脆い自由の中で
少し、気になっていたことがある。
お金持ちは、ネガティブ思考の人や汚い人には合わない――そんな価値観が、心のどこかで引っかかっていた。
その感覚をもとに、もし自分がその世界に立ち、自由や存在意義を考えたらどうなるだろう。
そんな想像から、この小説は生まれた。
廉は毎日、派遣の仕事場で無数の歯車の一つとして動いていた。
「安定」という名の鎧は、彼を守るが、同時に重く圧し掛かる。
目の前の書類も、会議も、笑顔も――すべてが“やらされている感覚”で覆われていた。
ある日、昼休みの喧騒を避けて、廉は小さなカフェの窓際に座った。
外の通りをぼんやりと眺めながら、心の奥でため息をつく。
そのとき、ひときわ存在感のある人物が目に入った。蒼井──大企業を若くして成功させ、何度もメディアに取り上げられた実業家だった。
蒼井は、完璧にアイロンのかかったシャツを着て、腕時計をちらりと見ながらノートパソコンを開いていた。落ち着いた佇まいに、どこか余裕すら感じられる。廉は思わず視線を逸らせなかった。
「どうしてこんな場所に?」と心の中で呟きつつも、偶然の出会いに胸がざわつく。
その瞬間、蒼井と目が合った。廉は思わず独り言のようにつぶやいた。
「お金持ちは自由でいいよな……」
蒼井は微笑み、静かに問いかけた。
「君が思う自由とは何だ?」
廉の頭の中で、瞬間的に思考が巡る。
「社会のルールをうまく利用する道もある…でも、その道は既存のゲームの上で動くしかなく、自分の意味は薄れる。
一方、ルールを疑い、自分で生き方を作る道は孤独だが、存在の実感が強い――ただ、自分はその“選ぶ自由”を持てるだろうか?」
蒼井は微笑んだまま答えた。
「そう感じるのは自然なことだよ。自由というのは、ルールを知らなくても、知っていても、選べることにある。重要なのは、自分で選ぶ意識を持つことだ」
廉は混乱した。
既存のルールを知らない自分にとって、蒼井の言葉は遠い理屈のように聞こえた。でも、その言葉の奥には、見えない光が差し込むような感覚があった。
心の奥で、廉は気づく。
自分の内側は脆く、瞬間ごとに変わる。ネガティブも、虚しさも、揺れる思考も――すべてが自分の一部であり、決して固定されていない。
「内側を満たすことは幻想かもしれない。でも、その幻想と向き合うことこそ、僕の選ぶ自由だ」
派遣という不安定な現実の中で、廉は少しずつ思った。
安定を得るために歯車でいることも、揺れる自分の内側と向き合うことも、両方を抱えながら選び続けることが、生きる意味なのだ、と。
そして今日も、揺れる内側と外の世界を抱えながら、彼は一歩を踏み出した。
小さく、儚く、脆い自由の一つ――だが、確かに彼自身のものだった。
あとがき
社会的、情報を瞬時に得られる人は、お金持ちになれるのかもしれない。
例えば、EVがいいと仲間内でいわれれば飛びつき、批判的な風潮が訪れれば手のひらを返すように変わる――
そんな変わり身の早さは、主体性を失い、流されるままに生きる危険性を秘めている気がして、どこか胸の奥がざわついた。
自分は、歴史を作りたいわけではない。
ただ、すべてが不安定で揺れ動く世界の中で、立ち止まり、迷いながらも自分自身で納得し、選び続ける――
そのことだけを、自分の生の指針にしたいのだ。
不完全で、脆く、はかない自由――
それでも、その自由の中で歩みを進めることが、生そのものなのかもしれない。




