セリア嬢の教訓
このお話は、わたくしの祖父、ギュンター・ローレンツからよく聴いたものです。このお話は後世にも伝えていくべきだと考え、ここに記録いたします。
祖父はこのお話をする際、必ず、こうも言っていました。「他人の行動を予測する時、自分の常識が足枷になり、完璧に的中させることなんてできない。だから、人の心を掌握しようだなんて思ってはいけないよ。もしもそう思ってしまったら、その時は、きっと痛い目を見るから」
わたくしの住むダルベラ王国では、数十年前、新たな法律が施行されました。殺人を犯すと、その犯人も被害者と同じ方法で処刑されるというものです。目には目を歯には歯をという事で、この法律は最初、多くの国民から支持されました。これで人を殺してしまう者が減ると考えたのです。実際、それは正しく、施行されてから数年で殺人件数は半分以下になりました。しかし、数ヶ月後、建国以来の連続殺人鬼が現れました。その手法は、身体中の皮膚を剥ぎ取るという、極めて残虐で、猟奇的なものでした。
当時の祖父は衛兵をしていました。
初めての犯行が起きた日、通報を受けた祖父が現場へ行くと、肉が剥き出しになり、血塗れのご遺体に出迎えられました。被害者は男性で、背は平均より少し低いくらい。この事から、まだ成長期の少年だったのでは。と祖父は推測しました。何しろ、皮が無いもので、皺の有無は勿論、顔付きもはっきりとは分からず、身長や筋肉量から見積もるしかなかったのです。
そして、祖父含む衛兵隊はとある手掛かりを発見しました。違う色をした二種類の毛髪です。片方は辺り一面に落ちている真っ黒な髪。そしてもう片方は煌びやかに光る金色の髪。これを見付けた祖父が被害者の瞳の色を確認してみると、チョコレートのような焦茶色でした。この事実と、黒い髪が辺りに散らばっている事から、このブロンドヘアが犯人のものであろうという事が分かりました。
犯人の凶行は、この後も続きました。どうやら犯人は被害者の性別や立場を問うていないらしく、被害者同士に共通点も見出せませんでした。唯一、被害者の中に屈強な大男がいないという事を手掛かりに、衛兵隊は、犯人は華奢、または平均的な体型の男だと推測する他ありませんでした。
この一連の殺人で何より特筆すべきなのは、被害者の身体に、皮が剥がれた以外の傷創が見られないという事です。つまり、被害者は死後、皮を剥がれたか、もしくは、生きたまま剥ぎ取られてショック死したかのどちらかという事になります。この噂はどこから漏れ出たのか、すぐ国中に広まり、当時の衛兵は皆、国民は勿論、貴族や国のお偉方に至るまで、様々な方面から槍玉に挙げられていました。ですが、当の衛兵達はそれ程慌てていませんでした。それは、何故か現場には必ず犯人の物と思われる証拠品が残されていて、すぐ犯人を捕まえられるだろうと思っていたからです。
そして、最初の事件から半年後、ついに祖父は犯人を捕らえました。現行犯でした。被害者はまだ息をしていて、皮膚は半分だけ残っている状態。顔には血に染まった涙が流れていました。
もう長くないだろうと祖父は手にかけようとしましたが、応援に駆けつけた同僚に止められ、病院へと搬送する事になりました。被害者はその同僚に任せ、祖父は数人の同僚と共に犯人を連行しました。驚く事に、犯人は一切の抵抗をしませんでした。祖父に見付かったというのに動揺する素振りすら見せず、まるで忠犬かのように従順なのです。
犯人はフリッツ・ベッカー。祖父の予想通り金色の髪を持った華奢な青年で「そこで皮を剥いでいなければ天使に見えただろう」と祖父は言っていました。ベッカーは連行中、名前を含め、ぺらぺらと自分の個人情報を喋りました。
補助官、ベッカーの二人と共に尋問室に入った祖父は、ベッカーに尋ねました。
「ベッカー、被害者とお前は知り合いだったのか?被害者同士の共通点は洗い出せなかったが」
「衛兵さん、違うよ。みんな知らない人だ。もしかして動機が気になるのかい?でも教えてあげないよ。どうせ死刑は確定だろう?」
「そうだ。お前は処刑されるだろう。だから、どうせ死ぬのだから教えてくれないか?犯行に及んだ動機と、捕まったら自分も同じ目に合うのに、何故あの殺し方を選んだのか」
ベッカーは少し考えた後、こう言いました。
「俺の処刑を衛兵さんが担当してくれるなら教えてあげようかな。でも、俺が処刑されるその場でね。俺は衛兵さんを気に入ってはいるけど、信用はしてないから」
ダルベラ王国の法律では、一度処刑台に立った処刑人が勝手な方法で処刑したり、意図的に処刑を放棄する等の行為を厳しく禁じています。それは、死刑囚と処刑人が裏で繋がっていたら、処刑方法が死刑囚にとってずっと楽なものになってしまったり、処刑自体を取り止める事ができてしまうからです。処刑台には必ず三人の監視員が就き、この内の過半数から法律に違反したと判断された処刑人には、死刑囚と同等という、厳しい罰則が課せられます。つまり祖父は、ベッカーから動機を聞いた後、別の処刑人と代わってしまうと、処刑の放棄だと扱われてしまうのです。
祖父は悩んだ末、ベッカーからの条件を呑みました。
裁判が始まるまで、尋問は十回程度行われましたが、新たに得られた情報はありませんでした。裁判が始まると、何の滞りもなく進み、ベッカーには死刑判決が下されました。証拠も出揃っており、自供もしているのだから当然でしょう。
処刑当日、約束通り祖父は処刑人として、椅子に座らされているベッカーの前に立ちました。
「ベッカー、私がお前を捕まえた時に、お前が皮を剥いでいた人を覚えているか?マルクス・グレルマンさんだ。名前なんて知らないだろうが。その人が数日前に亡くなったらしい。感染症で、苦しみながら逝ったそうだ。」
「そっか。衛兵さんが殺すのを、衛兵さんの同僚が止めなければ楽に死ねただろうね。かわいそうに」
それを聞いた祖父は、悉く快楽犯なのだと呆れ果ててしまい、本題に入ろうとしましたが、それよりも先にベッカーの方から切り出してきました。
「それで、色々聞きたいことがあるんだったね、衛兵さん。動機と、何故あの殺害方法を選んだか。だったっけ?」
囀るようにそう言うベッカーに対してふつふつと腹を立てる祖父を尻目に、ベッカーは続けます。
「別に、あの人たちじゃなきゃいけなかった理由はないよ。人を殺すのは目的じゃなかったし。ただ、この方法で死刑になることができたら、なんでもよかったんだ。俺はね、この、皮なんてものがあるから人は本音を隠してしまうんだと思うんだ。化けの皮とか言うでしょう?これがなければ人はもっと自分をさらけ出せるし、自分もそうなりたいとずっと思ってた。でも、自分でやったんじゃ背中とかに皮が残ったまま死んでしまうし、それじゃあ望むものにはなれない。そんな時にあの法律が施行された。人を数人殺すだけで、人に皮を剥いでもらえる。だからあのやり方で殺したんだよ。衛兵さん、満足したかい?」
祖父は酷い吐き気を催しました。そんな理由で人が死に、何より、今から自分が、この殺人鬼の望む残忍な方法で処刑を遂行する。その事実に祖父は逃げ出したくなりましたが、それはできません。逃げ出してしまうと、後ろにいる監視員三名より、手を組んでいると判断され、ベッカーと同じ方法で処刑されてしまうからです。祖父のその様子を見てベッカーは、口角だけが上がった表情で笑いかけました。そうしていると、監視員の一人がカウントダウンを始めました。これがゼロになっても処刑を始めなければ、手を組んでいると判定されるのです。それに焦った祖父がベッカーの皮膚にナイフを当てると、ベッカーは苦悶の表情を浮かべ、喜びました。それを見た祖父は、ついに吐き出してしまいました。監視員を担当していた内の一名に、わたくしがその時の話を聞いた際、その方は「片や涙と吐瀉物でべとべとになりながら人の皮を剥いで、片や笑いながら皮を剥がれて、散々な地獄絵図だった。死刑の執行はボーナスが貰えると言えど、俺はやりたくないね」と仰っていました。祖父が処刑を終えて戻ってきた時には、数十年分老けていたそうです。実際、祖父は、その日から亡くなるまでその姿が変わっておらず、町民からは「あの爺さん数十年前からずっと同じ姿で、きっと悪魔に魂でも売ったんだ」等と言われていました。
これが、祖父から聴いたお話の全容です。
祖父は、国を恐怖に包んだ人物を捕らえたという、この功績を称えられ、伯爵の座に就きました。国家の英雄とまで言われる祖父ですが、わたくしの目には、どうも不憫に映ってしまいます。菜食主義者な事もあり痩けた身体に、寝付きが良くないらしく隈の目立つ目元。祖父のおかげでわたくし達家族は不自由の無い暮らしができていますが、わたくし達が担う筈だった不幸まで祖父一人が負っているかのような、そんな感覚に襲われるのです。わたくしは最期のその時まで、祖父の幸せそうな顔を見た事がありませんでした。普段は優しい祖父と笑い合った経験がわたくしには一度もございません。それは、我が家では、祖父に対し笑いかける行為がタブーとされていたからです。ベッカーを捕らえなければ、祖父が伯爵の称号を頂く事は無く、きっとわたくし達は何かしら不自由のある暮らしをしていたでしょう。しかし、それでも良いから、わたくしはたった一度でも良いから、家族皆で笑い合いたかった。ただ、それだけなのです。
わたくしは、この惨劇を二度と起こさぬよう、事件の概要をこうして記録に残し、一寸ばかりでも未来の人々の役に立てばると良いなと、もっと言うと、少しでも多くの家庭が笑顔で過ごせると良いなと、そう、心より思っております。
一七九〇年十二月十日 セリア・ローレンツ