プロローグ :蠢く始原の泥
──食うか、食われるか。
その問いは、生まれた瞬間からわたしの核に刻まれていた。
柔らかな粘膜が蠢き、ぬるりとした身体が暗黒の泥海を漂う。名もなきスライム。知恵も言葉もない、生物未満の原初の怪物。
だが、わたしは他の“それら”とは違っていた。
わたしには記憶があった。異世界のもの、かつて人間だった何者かの記憶が、スライムの脳髄に溶け込んでいる。
なぜだ? わたしは、なぜここにいる?
何もかもがわからない。けれどひとつだけ確かなことがある。
この世界は、弱肉強食。
思考した時点で、私は“弱者”ではなくなった。
第一の喰らい──眼のないヤツだった。
岩陰から現れた巨大なナメクジのような魔物。粘液の匂いでこちらの存在を察知したのだろう。ぐにゃりと全身を蠕動させながら迫ってくる。
恐怖? いや、むしろ歓喜だ。
生き残るために喰らう。──それがこの体に刻まれた本能。
跳ねた。しなやかなゼラチン質の肉体が、無機質な空洞を弾むように飛び込む。
敵の腹部に吸着。体内のコアを高速回転させながら、強酸性の体液を噴出する。
──ズジュル! ジュボボボボ!
咆哮。いや、悲鳴か。だがそれもすぐに絶える。
敵は一分と持たずに溶け、喰われ、同化された。
力が流れ込む。身体が膨張する。
記憶も、技も、性質すらも……「喰えば、手に入る」。
これが、わたしという存在のルールだ。
スライム。
忌み嫌われ、最弱と侮られ、冒険者の踏み台とされるモンスター。
だが──わたしは喰らう。すべてを、すべてを。
魔物を、英雄を、神を。
やがて、世界そのものを。
神祖マザースライム――それが、わたしの名となる。
だがその名が世界を震わせるまで、あと三百六十五万回の“捕食”が必要だった。