可哀想の続き
「ボク、両親がいないんです」
「え」
「親戚とかもいません。十年前、親戚一同揃った時に事故で全員亡くなりました。ボクだけ、インフルエンザで行けなくて。家に残っていたんです」
「だから、あなたの言う『つつじ』とは無関係かと。ただ、名字が似てますねって言いたかっただけなんです。」
驚かせてしまってごめんなさい。
ハの字に下がった眉と柔らかな口調でチャロアが紡いだ言葉に、オニキスの首が無意識に縦に動く。僅かすぎるくらいの動作で頷いたオニキスの足元。
マグカップとマットはチャロアに手早く回収され、洗濯機行きだ。マグカップはもちろんシンクであるが。初めて見るフローリングが剥き出しの床に、茫洋と目を向けていた。あのマットはオニキスがここに来た時にはもう敷かれていたものだったからだ。
遠くでごうんごうんと洗濯機が動き始めた音がする。
考えが纏まらないなんて初めてで、無意識下に思考が巡り続けるオニキスの頭を、温かい何かが触れた。
頭を上げるのが怖かった。それがなにかわからなくて、見上げたらなくなってしまう気がして。それでも、この温かさの理由を知りたくて。
オニキスはそろりと目線だけを上に向けた。
人は、感情は、言葉は。
これをなんと言うのだろう。
「優しさ」である気がする。「安心」である気がする。「悲しい」であるような気がした。
すべてを混ぜたら、「同情」という感情になる気がした。
その答えにたどり着いた途端、身体は何故か反応して。ぱしり、頭をなでていたチャロアの手を弾いていた。ほんのり赤くなった手の甲を押さえ、目を瞬かせるチャロアと同じに。オニキスの大きな青い目が揺れる。なぜ、叩いたのか……拒絶したのかわからなかった。
同情など、この家に放り込まれる前、使用人たちに。保存食を届けに来る老婆に散々された、されている。口に出して「可哀想」だとも言われたこともある。なのに、なぜ、チャロアには許せないのか反応してしまうのか。そこがうまくわからない。
オニキスが何も言えないまま、チャロアが何も言わないまま。時計の針の音だけがやけに大きく聞こえる。
「青は藍より出でて藍より青しって言葉があるんですけど」
「知って」
「それを、こう言い換えた人がいたそうですよ。『愛は哀より出でて哀より愛し』と。哀れでも、同情でもなんでもいいんです。ただ、愛というものはいろんなきっかけで生まれるものだということを、覚えていてくださいね」
ぬるい温度を宿した細い指が、オニキスの頬に触れる。
チャロアが何を言っているのか、今のオニキスにはわからない。ただわかるのは、あの使用人たちも老婆も「アイ」ではなかったのだと薄っすら思った。「可哀想に」と言って満足していなくなる。
オニキスの反応も返事も気にしていない。だから何も返ってこなくていい。だってオニキスは哀れむ自分を満足させるための道具だったのだから。
けれどチャロアは、内緒話をするように、大切な秘密を分けるように。今のオニキスにはわからないことでも、それをわかった上でちゃんと教えてくれるから。
「……わかった」
「オニキスさんはいい子ですね! ぎゅーってしちゃいましょう!」
抱きしめてくれるこの腕があるから。ちゃんと返ってくることがわかったから。オニキスを見てくれるから。何でも良い、今はただそれだけでいい。