第1話「診療所の日常」
ハーフエルフの医師・スイリアが小さな村で過ごす日常を描いた物語です。
この作品は、現在連載の長編「昭和の艦長ですが、異世界会津に召喚されました!」の登場人物の一人であるスイリアのスピンオフとなっています。
本編を読んでいない方にも楽しんでいただける内容ですので、どうぞお気軽にお読みください。
朝日が東の山々から顔を覗かせる頃、タジマティアの村はまだ静寂に包まれていた。
診療所の二階、質素な寝室でスイリアは目を覚ました。
窓から差し込む柔らかな光が、彼女の銀紫色の長い髪を優しく照らしている。
「今日も始まるわね……」
彼女はそっと呟くと、ベッドから身を起こし、窓辺に歩み寄った。
窓の外には、朝霧に包まれた村の風景が広がっている。木々の間から煙が立ち上り、早起きの村人たちが朝の準備を始めている様子が見える。
スイリアは深呼吸をして、この静かな時間を味わった。
華やかな王宮での生活とは対照的な、素朴ながらも心安らぐ日常。今では彼女にとって、この小さな村こそが心の拠り所となっていた。
彼女は白い長手袋を手に取り、右腕に装着した。
その指先には繊細な刺繍が施されており、よく見ると植物や花の模様が浮かび上がっている。
手袋の下には、幼い頃の事件で負った火傷の痕が隠されていた——その傷は肉体の痛みよりも、心の傷のほうが深かった。
「スイリア様、お目覚めですか?」
階下から猫のような甘い声が聞こえる。メイドのミアだ。
「ええ、ミア。今降りるわ」
スイリアは鏡の前に立ち、自分の姿を見つめた。
銀紫色の髪と青緑色の瞳。そして僅かに尖った耳——彼女がハーフエルフであることを示す特徴だった。
かつては自分のこの姿に苦悩したこともあったが、今はそれも自分自身の一部として受け入れている。
医師として働く彼女にとって、華美な装いは不要だった。診療所での彼女は、王女ではなく、ただの医師スイリアでいられる。それが彼女にとっての救いだった。
階段を降りると、すでにミアが朝食の準備を整えていた。テーブルには温かいハーブティーと焼きたてのパン、新鮮な野菜のサラダが並んでいる。
「朝から患者さんが来ていますよ」
ミアは小さな声で伝えた。彼女の猫耳がピクピクと動き、その様子は見ていて微笑ましい。
「そう、わかったわ。朝食の後ですぐに診ましょう」
スイリアは朝食を摂りながら、今日の予定を頭の中で整理していた。
薬草の調合、定期的な往診、そして帳簿の整理——小さな診療所とはいえ、すべてを一人でこなすのは骨の折れる仕事だった。
朝食を終えると、スイリアは診療着に着替え、待合室へと向かった。そこには年老いた男性が腰を押さえながら座っていた。
「おはようございます、マルダさん。また腰が痛むのですか?」
スイリアの声に、老人はほっとした表情を浮かべた。
「すまんのう、先生。毎度毎度同じことで」
「いいえ、それがこの仕事ですもの」
スイリアは優しく微笑むと、診察室へと老人を案内した。診察台に横たわる老人の腰に手を当てると、彼女の手から柔らかな緑色の光が漏れ始めた。
エルフの血を引く彼女の特別な能力——「生命の共鳴」は、触れるだけで患者の痛みや病状を感じ取ることができる。マルダの腰の痛みは、長年の農作業による骨の変形から来るものだった。
「ふむ……いつもより炎症が強いですね。薬と湿布を処方しましょう」
診察を終えると、スイリアは裏手の調剤室へと移動した。
そこには様々な薬草や調合器具が整然と並べられていた。
彼女は的確に薬草を選び、手際よく粉末にしていく。そして、その粉末に僅かな魔力を込めると、薬効が何倍にも高まった。
これもまた、彼女の特殊能力の一つだった。
普通の医師には真似できない、エルフの血を引く者だけが持つ才能。
「マルダさん、これを一日三回、お湯に溶かして飲んでください。そして、この湿布を寝る前に貼ってくださいね」
老人に説明を終えると、彼は深々と頭を下げた。
「いつもありがとう、先生。あんたがこの村に来てくれて、みんな助かっとるよ」
その言葉に、スイリアの胸が温かくなった。
かつて「よそ者」として距離を置かれた日々を思えば、今では村の人々に受け入れられ、必要とされていることが何よりの喜びだった。
「私こそ、この村に来られて良かったです」
彼女は心から笑顔を向けた。
マルダが帰った後、次から次へと患者がやってきた。
熱を出した子供、怪我をした若者、体調不良の妊婦……。
村の唯一の医師として、スイリアは一人ひとりに丁寧に向き合った。
昼過ぎ、少しの休息時間にスイリアはミアと庭の薬草園を見て回った。日々の刈り取りと手入れは欠かせない仕事だ。
「カモミールの状態が良くないわね。もう少し日当たりを考えないと」
スイリアが心配そうにハーブの葉を摘むと、ミアが水差しを持って近づいてきた。
「スイリア様、少し休憩なさいませんか? お弁当を用意しましたよ」
ミアの親切な気遣いに、スイリアは感謝の笑みを向けた。
「ありがとう、ミア。そうね、少し休もうかしら」
二人は診療所の裏手にある小さなベンチに腰掛けた。
ミアの作った弁当は豪華ではないが愛情がこもっていて、どれも美味しかった。
「そういえば、明後日は村の豊穣祭ですね」
ミアが会話を切り出した。
「ええ、今年も盛大に行われるみたいね。収穫も豊作だったから、村の人たちも心から楽しめるわ」
スイリアは遠い山々を眺めながら答えた。豊穣祭は村の一大イベントで、彼女も静かに楽しみにしていた。
「あの、スイリア様……」
ミアの声が少し沈んだ。
「何かしら?」
「王都からまた、お呼び出しの手紙が来ています」
その言葉に、スイリアの表情が一瞬凍りついた。静かな日常に、また波風が立とうとしている。彼女は深く息を吐き、空を見上げた。
「……また断りの返事を書かないといけないわね」
声には疲れが滲んでいた。王家の一員である以上、永遠に逃げ続けることはできない。
いつかは向き合わなければならない現実に、彼女の心は密かに揺れていた。
休憩を終え、午後の診療が始まる時間になった。スイリアは再び白い手袋を整え、診療所の扉へと向かった。
どんな悩みや痛みを抱えた人が来ても、彼女はその手で癒していく——それが彼女の生きる道だった。
玄関の扉を開けると、そこには見知らぬ旅人の姿があった。その男性は何かに追われるように息を切らしており、その腕には重い傷が……。
「どうか、助けてください……」
男は力なく呟くと、そのまま診療所の床に崩れ落ちた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
スイリアというキャラクターは、本編でも重要な役割を担うヒロインの一人です。
彼女の優しさと強さ、そして秘められた過去に少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。
次話では、スイリアの過去の一端と、彼女とミアの絆について描いていく予定です。感想やコメントをいただけると、とても励みになります。