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自転車道

作者: Niko Korn

自転車が納車された。大体1か月ほどかかった。なかなか入手が困難であるランドナーのフレームである。ホールベースが長く、前傾姿勢をとりながらも長距離に最適であるから、疲れやすいわけではなかった。サドルにはまた別で革サドルにした。ハンドルもややドロップハンドルが外に開いているものにした。フェンダーはアルミで亀甲の意匠があるものにした。そして、カンチブレーキは・・・。キャリアは・・・。このようにして現在では珍しい本格的なランドナーが出来上がった。自転車は多くの種類があるということを知った。もともとはロードバイクがほしかったのであるが、多雨な気候の日本ではもはや独自に進化したこのランドナーが自分にもっとも適しているように感じた。そして、どこか少しフランスを感じるのはよかった。ただし、魅力的な細身フレームがクロモリであることには注意をしなければならなかった。要は防錆をいかにして施すかということである。私の場合は接合部に粘度の高いグリスを塗る、という方法で対処することにした。

 そうやって初心者の自分なりにこだわった自転車がようやく日の目を見ることになった。もちろん納車の日はそれまでの雨の続く鬱屈した日々のうちで一つを選ぶ、ということにはならなかった。それらをすっかり忘れたような阿呆みたいな晴天を選んだ。自転車を日光浴させるには中途半端な日差しよりもこうした正面から熱気をはらんだ日差しの方がよいと思った。そしてやはりそれは春先の一日であった。

 この自転車を納車した店は都合の良いことに自転車道の傍らにあった。経営の方もだいぶうまくいっているのではないだろうか?パンクをした自転車の修繕もやっているわけだから、またそのほかの細かいところのメンテナンスもやっているのだから自転車乗りにとってはうれしい店だろう。それで、やっぱり、この店は繁盛していた。店主もかなりの年季が入っているがそして背もまるくなっているが、足取りと腕は確かであった。こう言う店主は一流であるはずだという勘があった。そして多くの人が持ち合わせている勘でもあったらしい。つまりは凡庸でありながら、これだと思ったものが当たった時の嬉しさはやはりある程度に良いもので、凡庸であるがゆえに共感者も多くて、それゆえ話をするときに純度の高い喜びかたをするので互いに良い関係になりやすかった。そうして店内でできた自転車仲間が数人いた。しかしながら、自転車仲間といいつつもその実、店外で彼らにあったことはなかった。今、私は自転車に初乗りし、店を後にして自転車道を突き抜ける。明確にはこの道がどれほど長く続いているかは知らない。できるだけ長く続いていることを願いたい。

 道中、ある程度のスピードが乗ってきたところで、店内でしかあったことのなかった自転車仲間に邂逅した。しかし、その再会は極端に短いものであった。彼はむかいの方からやってきた。目はグラス越しにも真剣であることが分かった。彼はアルミのフレームであった。クラシカルなものは好きであったらしいが、なんだか選手のようなものらしい。私は彼がお店内で見せていた柔和な笑みを浮かべていないことになぜか愕然とした。一瞬のことであったからこそのイメージの乖離が衝撃の一波として押し寄せる量が大きかったということなのだろう。彼の眼にはきっとレースが写っていたのだろう。自転車仲間といっても趣味や気が合うということだけで、ましてや数回しか会っていない私にはそこまで打ち解けてはいないが、私は自転車という趣味を初めたばかりであるし、そうした中でただ一人で飛びこんだ中に趣味や気が合う人物がいるというのは大変心強かった。それがまた一人になってしまった感じがした。そのため、やはり私は自転車を走らせながらそうした刹那の衝撃が少し心の奥に残るのを感じてしまった。しかし、それでもしばらく走ると空や春特有のややビビットな色彩が私を活気づけた。先ほどの感傷はきっと自転車の悪いところの一つなのだろう、と思った。自転車というものは自力で車輪を動かす乗り物であるが、その動かし方はそれぞれであるために、緩やかに走ることもできれば、早く走ることもできる。また、こうした速さに関しては気持ちが影響する。もちろんプロはそんな原因によって記録に大差が出てしまうことはまれであると思うが、趣味でやっている人間にとってはよくあることなのだと思う。そうして、その気分を投影した通過速度によって私に対する世界の流れはコントロールされる。その中で人に会うのだ。それも自分と同じく彼はまた彼の速度をもって。世界における孤独さと私から見てはそれに準ずる孤独さが衝突し、それぞれがそれぞれをある人間とはとらえてもそれを一景に落とし込み世界と同様に流すのだ。

 こんなことを考えていると隣を追い越された。そしてその姿はあっという間に彼方遠ざかっていく。彼は鮮烈なデザインを落としていった。春はビビットだが、また違うビビットであった。かれはおよそ私にその背中と彼の乗り物をイメージとして与えてくれた。

 これは自転車の良いところだろう。同じ方向に進むものがいることを世界が私に示唆してくれる。彼もまた現時点では孤独であるが、彼もまた自分よりもスピードは遅いが、同じ方向に向かうものがいることを知っている。両者が知っているのだからその面では心強くなるし、もはや互いにその同じになったタイミングである一種の奇跡を感じるのだ。

 先ほどから走り始めて1時間ほどたつのだが、なかなか人がいない。すれ違う、また先行する人物にも2人しか会っていない。周りはひたすらに草木とそれから道路の下は河川である。また、時折農地にもなる。おそらく、農地には人がいたのだと思うが、それは単に農地の世界にあって決して私に届かず外界として認識されたに違いない。やはり人と接する必要より人間として人を求めるという意味での識域に入ってもらわないといけない。こう言う自転車にでも乗っていなければ辟易としそうなことばかりをぐるぐると考えて、そうして、結論的には自転車をこいでいる存在としての私を認め、世界を思うままに流すことのできる存在としての私を認め、自転車のうえに生を見出し、自転車以外での生活における静を見つけ、私もあるとき誰かの一景になっていることを再確認して安心する。私の両義性をそこに感じるからだ。

 自動販売機が待ちぼうけであった。私はそこで水を選択し、一時静止した自転車とともに世界と同化する。自動販売機はその装置であった。水は少ししか飲まない。ボトルを自転車に取り付けてさらに進む。

 何キロ走っているのかは知らない。というより、何キロでも良かったし、それを知る必要もなかった。時間は太陽で測った。

私は実は逃避行している。 


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