7.失くしたはずの指輪
新聞を読んで衝撃を受けたあとじわりと嫌な予感がジョゼの背中を走ったが、それは次の瞬間、案の定当たった。
ドンドン!
娼館の扉が叩かれ、ジョゼはため息交じりにその鍵を開ける。
無遠慮に開かれた扉から素早くベルナールの爪先が入り込んだ。それから令状が目の前に突き付けられる。
「ジョゼ及びその従業員を重要参考人として迎えに来た。王都警視庁まで同行願おう」
「あら……私たち、何もしてないのに?」
「指輪の盗難騒動があっただろう」
「え?まさか、あんなのがフレデリク様殺害の動機になるって言うの?」
ベルナールは何度か頷いてから、ふと斜め上に視線を逸らせて尋ねた。
「例の、金の結婚指輪だが」
「ええ」
「あの後フレデリク様や使いの者が探しに来たとか、取りに来たようなことはなかったか?」
ジョゼは首を横に振った。
「全くないわ。未解決のままよ」
「そうか……」
「ちょっと、何か気になることでもあったの?教えてよ」
ベルナールは渋々といった調子で答えた。
「例の遺体は、あの日リロンデルで紛失したはずの、金の指輪をしていたんだ」
ジョゼは目を剥く。
「ええっ?そんなことが……」
「別の場所で落としたのを、見つけただけかもしれない」
「……それなら、我々を容疑者から外しなさい。指輪の容疑は晴れたでしょ?」
「そうも行かない。当日のアリバイが証明出来なければ、容疑者候補の枷を免れることは出来ないのだ」
「……ふーん」
などと話し込んでいると、娼婦三人が寝ぼけ眼でそうっと奥の扉を開け、口々に言った。
「私たち、逮捕されちゃうの?」
「フレデリク様の相手をあんなに頑張って来たのに?」
「今日予約のお客さんはどうなっちゃうのよー」
ジョゼは不安げな彼女たちを見るや、すぐ前を向きベルナールに詰め寄った。
「これ以上、営業に支障をきたすことなど出来ないわ。さっさと解決して、日常を取り戻すのよ」
「……すぐに馬車に乗れ」
「その前に、ちょっと気になることがあるんだけど」
ジョゼは新聞を刑事に突き付けた。
「遺体に首がないのに、警察はどうやってフレデリク様だと判断したわけ?身に着けたものから推察、ってことなの?」
ベルナールは片眉を上げた。
「ああ……実は既にフレデリク様の奥様に現場に立ち会ってもらい、夫であると判断して貰ったのだ」
「普通、犯人が遺体の首を切るのは、身元発見を遅らせるためなのよ。でもあえて着衣のまま流したんでしょう?そんなに証拠満載の上で、わざわざ労力をかけて首を切り、更に川に流す必要があったっていうのは、どういうことなのかしら」
「……何が言いたい」
「その首なし遺体はフレデリク様ではない可能性があるって言いたいのよ」
ベルナールは忌々しそうに頭を掻いた。ジョゼはフレデリクにスパイ疑惑があると知っているので、もっと突っ込んだ情報が欲しかった。
「あのなぁ。ご家族がそうだと言ってるのだから……」
「客観的な視点がひとつも入っていない状況で、遺体を本人と断定するのは危険だわ」
「……」
「そこの娼婦は、三人ともフレデリク様の体を隅々まで知っているの。だから一回、あの子たちに遺体を見せて欲しい。それから本人かどうかジャッジしたっていいじゃない」
遠くで、娼婦たちが頷いている。
「私たち、協力するよ」
「殺人鬼がうろついてる街なんかじゃ、安心して営業出来ないもん」
「ジョゼ、やるぅ~」
ベルナールは面倒そうに頭を掻きむしっていたが、そっぽを向いてからそっと呟いた。
「……そこまで頼むなら、フレデリク様のいる河川敷へ寄ってやってもいい」
ジョゼは嬉々として頷いた。それからふと我に返って口を尖らせる。
「また、ていよく私の頭脳を使おうとしているのね」
「……お願いに応えてやっただけだが?」
「ふん。素直じゃないんだから……」
娼館から外に出て、五人は馬車に乗り込んだ。
王都警視庁までの道すがらに、ルブトン川はある。かつてはその河川敷でギロチン処刑が行われていた。
現場について馬車から降りると、遺体にゴザがかけられていた。娼婦たちはひいっと叫んだが、ジョゼは全くひるむことなく歩いて行って、祈りを捧げてからゴザをめくった。
確かに、その左手薬指には金の指輪がはめられている。
しかしジョゼは、言い知れない違和感を覚えた。
「ベルナール……その、服をめくってもらっても?」
すると、その声を合図に娼婦三人が集まって来た。
「あの、ズボンを下ろして見せて下さい」
「毎週しばきあげていたお尻を」
ベルナールは口をへの字にしながら、遺体のトラウザーの腰ひもを抜き取った。するりと自由になったウエストから臀部にかけてまくると、ミシェルが叫ぶ。
「五芒星のほくろがない!」
ベルナールはますます怪訝な顔をしたが、リゼットとアナイスが立て続けに言う。
「フレデリク様の右尻には、繋げると五芒星や五角形になるほくろがあるのよ。ご本人もよく自慢していたわ。ラッキー・シンボルだって」
「奥様はご存知なかったのかしら?」
「それに、もう少し太ってらっしゃった気がするんだけど。本当にご本人の遺体?」
ベルナールはじっと娼婦三人の顔を見比べている。
「どちらにせよ、君たちが何を言おうと奥様やご家族の意見が尊重される」
「えー!」
「しかし……参考意見とさせてもらおう。娼婦にも話を聞いた、とは報告しておく」
ジョゼは金の指輪に触れる。
「これ、外してもいい?」
「待て、勝手に触るな。私が外す」
ジョゼはベルナールに指輪を外してもらい、指輪の内側を見た。
結婚した日が刻印されていない。
硬い地面に押し付け、カリカリとこすってみる。
金が剥がれ、灰色の地金が出た。ジョゼとベルナールは同時に「あっ」と声を出す。
「貴族の結婚指輪が……金メッキだと?」
「それに、結婚した日が刻印されていないわ。アナイスが言うには、フレデリク様の結婚指輪には、内側に結婚記念日が刻印されているはずだと」
「……」
「妙だわ」
背後から、警官が近づいて来て告げた。
「ベルナール刑事、そろそろ」
「……ああ」
五人は河川敷を離れると、再び馬車に乗った。