61.王族専用牧場
ジョゼ達は謁見の間を出ると、一階のパン焼き窯の部屋まで向かう。王族は決して入らない使用人の作業場だ。
香ばしいパンの香りが充満する部屋に料理長はいた。50代の、太ったベテラン料理長である。
「これが九月の献立表だ」
簡素なメモを渡され、ジョゼとベルナールは目を通した。
ジョゼはそれを読了すると、得心したように頷く。ベルナールが尋ねた。
「何か分かったのか?」
「……ええ、まあ」
ジョゼは続けて料理長に問う。
「王宮の食事に使う材料はどこから調達していますか?」
「王族専用牧場だよ。フェザンディエ市郊外にある──」
「他に仕入れ場所はありませんか?」
「ないよ」
ジョゼはベルナールに言った。
「この牧場が怪しいわ。既にここで、毒を入られれている可能性があるのよ」
すると料理長は首を横に振った。
「俺だって作ってる間に味見ぐらいするさ。でもこの通りピンピンしてるぜ」
「でも、中には味見していないのもあるのではないですか?」
「まぁ確かに日によっては味見していないのもあるかも知れねえが……」
献立表を見る限り、ジョゼには心当たりがあった。
「多分これは、料理人なら味見しないはず……」
「?」
「お気になさらないでください。ひとつうかがいたいのですが、この王族専用牧場に一般人が入ることって出来ますか?」
「陛下の許可があれば入れるよ」
ジョゼはそこでもじっと考え込む。
この牧場に出入り出来て王からの許可を得られる人物と言うと、的が絞れるだろう。
「ベルナール、その王族専用牧場とやらに行ってみましょう。フェザンディエなら、馬車で行ったら二日くらいかかるわね」
「宿を取るか?」
料理長が言う。
「王族専用牧場には、従業員たちが住む古城がある。そこに泊まるといい」
ベルナールは、それを聞くやなぜか大きなため息を吐く。
「どうしたの?ベルナール。もう疲れたの?」
「ジョゼと古城……?嫌な予感しかしないんだが」
「奇遇ね。私もよ」
しかし、これは王からの依頼である。公務員であるベルナールは断れるはずもないし、ジョゼとしては王に貸しを作るチャンスでもある。
やるしかないのだ。
細かい事務手続きはベルナールに丸投げするとして、ジョゼは少し気になっていることを料理長に質問した。
「あの……王族専用牧場に出入りしている人間って、チェックすること出来ます?」
「ああ。それなら王宮に定期的に帳簿が送られて来るから、出入りはすぐに分かるぜ。書庫へ行け。そこにまとめられている」
「ありがとう」
パン焼き窯の部屋を出て、ベルナールと共に書庫に向かう。書庫番に話を通し、最近の帳簿を見せてもらうと、ジョゼは早速そこにノールの名前を捜した。だが──
ない。
ノールは全く王族専用牧場に出入りしていなかった。
ジョゼが眉根を寄せながら献立と帳簿とを交互に睨んでいた、その時だった。
「……犯人に心当たりがあるのか?」
急にベルナールに尋ねられ、ジョゼは目を瞬かせて顔を上げた。
「……え!?」
「さっきから横で観察していると、ジョゼはずっと特定の名前を捜しているようにしか見えないんだが」
「な、何よ!急に名刑事みたいなこと言うのやめてくれる?」
「はぐらかすなよ。名前を追うたびに顔色がころころ変わるもんだから、ジョゼにしては何か焦っていると思って見ていた」
しまった、とジョゼは思う。表情管理が全く出来ていなかったのだ。隣にいるのが馴染みのベルナールということで、すっかり油断していたらしい。
「誰を疑っていた?」
「……」
「言え」
「い、言わないわ」
するとベルナールはこともなげにこう問うた。
「愛妾ノールか?」
ジョゼはさっと顔色が白くなる。そして「また油断した」と悔やむ。思えば、彼は娼館メンバー以外だと一番古い付き合いの人間なのだ。
ベルナールはジョゼを覗き込むと、周囲をはばかって続けた。
「君はノールと古い友人らしいな」
「……なぜそれを?」
「君にへっぽこ刑事と散々馬鹿にされて来たが、へっぽこだとしても刑事なんでね。陛下周辺の怪しい人物の情報は集めてある」
「……何ですって!?」
ジョゼが食いついた釣り竿を引くように、ベルナールはそっけなく立ち上がる。ジョゼも立ち上がって前のめりになった。
「じゃあ、ベルナールはノールの色々なことを知ってるのね?」
「まあな。彼女がサラーナ王宮の女官であったことも──」
ジョゼがその情報に固まっていると、ベルナールは覚悟を持って彼女の耳に囁いた。
「ジョゼがスレン皇女であったことも」
ズキッとジョゼの胸が痛んだ。
ベルナールは、そこまで知り得ていたのだ。
知り得ていて、今までジョゼに何も言わないでいた。何か目的でもあって、泳がされていたのだろうか。
「……そう」
「警察の側でそういった情報は押さえてある。先に言っておくが、だからと言っていきなり捕らえたりはしない。俺たちはジョゼの安全を確保したいと思ってる」
ジョゼは恐る恐る顔を上げた。
「……本当?」
「だから逆に言えば、安全を確保するためにジョゼを捕らえることがあるかもしれない」
「……」
「もう少し早くジョゼに言えればよかったんだが……」
ベルナールはそこから何か言おうとして、口をつぐむ。ジョゼの方は、彼や警察が敵ではないらしいことが分かり、ほっと息を吐いた。
彼は咳払いをして場を仕切り直すと、話を続けた。
「ジョゼも有名になって来たし、俺もそろそろこういったことを伝えるべきだと思っていた。最近陛下の周辺がキナ臭くなって来ているからな。陛下と親しくなって行けば、周囲の誰がどんなことを陛下に吹き込み、ジョゼに何を仕出かすか分からない。警察としては、その辺りの不要な混乱をひとつでも取り去りたいのが実情だ。そのために、どうすべきか──おいおい話し合って行けたらと思う」
二人は帳簿を戻した。
「脱線した、話を元に戻そう。つまり君はノールを疑っていたわけだ。しかし、牧場の帳簿に彼女が出入りした情報は載っていない」
ジョゼは腕を前に組む。
「やはり、一度現地に向かった方がいいわね」
「そうだな。牧場でノールが直接毒を入れたとの推理は当たらなかったわけだが、別の誰かが犯人かもしれない。陛下に牧場への入場許可を請うことにしよう」




