53.姫と女官の化かし合い
ジョゼの瞳が確信の色で染まって行くのを見つめ、ノールはふふっと笑った。
「スレン様、そんなに怖い顔をしないで下さい。だって……あなたもそうでしょう?ここへ来たということは私と同じように、陛下の懐に入り彼を暗殺しようと画策したのではないですか?」
サラーナ語で喋っているので、使う言葉に遠慮がない。ジョゼは冷や汗をかいた。
「……ノール。ばれたら国家反逆罪で死刑よ?」
「あら……スレン様ったら、ここまで来ておいて何をビビッてらっしゃるの?」
ジョゼが日和ったと判断したノールが、髪を逆立てんばかりに憎悪の炎を背負う。
「父を!母を!殺された恨みを!晴らして何が悪いのよ!」
彼女は髪を振り乱すと、いきなり思いのたけを叫んだ。
「たかが金のために民族を皆殺しにしたひとりの男を!自分は何千人と殺しておいて、昼夜問わず女に乗っかってヘラヘラしてる男を!殺して何が悪い!」
ジョゼはノールの抱えた憎悪の余りの大きさに驚き、へなへなとその場に腰を抜かしてしまった。
そしてこわごわと、荒れ狂うノールの顔を見上げる。
彼女の目は血走り、髪は乱れ、もはや何かを見ている顔ではない。
彼女の瞳の中には、地獄しかない。
宮廷でいつも微笑んでいた可愛い女官ノールは、もういない。
(私も……)
ジョゼはぼろぼろと泣いた。
(私も……あの子と同じ)
誰かを憎み、陥れようと毒殺未遂に勤しみ、そのために体を差し出し、敵の懐に飛び込んだノール。ジョゼは自身も一度は行動に移そうとした計略の、そのむごい帰結を彼女に見出していた。
(私も……ついさっきまで、あの子みたいになろうとしていた)
ノールと同じように王に見つかるべく、今まで娼館を経営して、事件を解決して、有名になろうとジョゼは頑張って来たのだ。
(なのに、なぜこんなに悲しいの?辛いの?こんな気持ちになるはずじゃなかったのに……)
いざ自分の未来をこうして突き付けられると、ジョゼは暗澹たる気持ちになった。ノールが至った道を、これからジョゼもなぞる運命なのだろうか。
「ノール。あなたはどうやって陛下を毒殺するつもりなの?」
目をこすりながらジョゼが問うと、ノールは不敵に笑ってこう答えた。
「言わないわ」
ジョゼは頷いた。
「そ、そうよね……」
「でも、スレン様は陛下に事件解決を依頼されちゃいましたね?」
「……!」
「分かっても、言わないで下さいね。あいつを殺せなくなっちゃいますから。ね?」
確かに、ノールが犯人だと教えてしまえば王は殺せない。
けれど──
「けれど、ノール。私が暴かなくても、もし毒殺が失敗してしまったら、あなたは死を覚悟しなければならなくなるのよ」
ノールはジョゼの忠告を一笑に付した。
「何をおっしゃいますか。あいつを殺せるなら、私はいつ死んだって構いません」
「ノール。私はようやくここであなたに会えたの。あなたにだけは、危ない橋を渡って欲しくない……!」
ジョゼは本心を言ったつもりだった。しかし、その言葉でノールの心は急速にジョゼから離れて行く。
「ふん、お戯れを。どこでそのような綺麗事を習ったのです?」
ノールはそう言うと、煮え切らない態度のジョゼへ舌打ちをした。
「私たちは散々辛酸をなめたではありませんか!王族最後の生き残りであるあなたこそ、今どれだけふざけたことを抜かしているかが分からないの!?」
ジョゼは再び目をこすった。
余りにも不幸が続き過ぎ、スレンもノールもすっかりねじ曲がってしまった。
スレンの方は幸いマレーネがそのねじれを取ってくれたが、ノールの場合は全く幸運に恵まれず、心身がねじ切れてしまったのだ。
ジョゼは意を決して立ち上がると、ノールを正面から抱き締めた。
宮廷で甘えていた、あの頃のように。
「……スレン様?」
「辛かったわね、ノール」
「スレン様……」
「ごめんなさい。私、あなたを失いたくない一心なの」
「……」
ノールは何やらずっと小刻みに震えていたが、しばらく抱き合うと、興奮が冷めたかのように落ち着いた。
「……気持ちは、分かりました。でも……」
二人は体を離した。
「私は、二人がかりならばより早く内密に陛下を殺せると思っておりましたが、目算が狂ったようです」
「ノール……」
「推理を外せば陛下はあなたを見切ってしまうでしょう。と、いうことは……」
ノールはなぜか、にっこりと笑った。
「化かし合いが始まりますね」
ジョゼはごくりと喉を鳴らした。
王へ毒を盛っている毒婦と、毒殺の推理を求められている娼館の主の対決が、皮肉にも始まってしまったのだ。
「スレン様が毒殺未遂事件を解決するより早く、私が王を殺して見せます。せいぜい頑張って推理なさっているといいわ。私の毒殺は、絶対にバレませんから」
ジョゼが事件を解決すれば、ノールは殺される。
(どうしよう、私……)
予期せぬ状況に見舞われ、ジョゼがパニックになっていたその時だった。
扉をノックする音がした。
「……ノール、ジョゼ、いる?」
ジョゼは総毛立つ。
返事もしていないのに強引に扉を開けて現れたのは、アルバン二世だった。
「なんだ、返事をしてくれよ」
会話はサラーナ語だったので、内容は把握されていないはずだ。ジョゼとノールが固まっていると、アルバン二世が告げた。
「ノール、ちょっと出て行ってくれないか。ジョゼと二人きりで話がしたい」
その瞬間、ノールの瞳に憂いが戻る。
「ジョゼ様と……二人きりで……?」
「ああ、そうだ。いいから早く出て行け」
ノールはちらちらとこちらを心配そうに見ながら、名残惜しそうに部屋を出て行く。ジョゼは真っ青になった。
「……え!?」
「ようやく二人きりになれたね、ジョゼ」
憎き王の腕がジョゼの肩を無遠慮に抱く。ジョゼの体は様々な感情を処理しきれず、硬直して行く。
「君は娼婦なんだってね。あいさつ代わりに、楽しませてくれるよね?」
ベッドにいきなり押し倒され、組み敷かれた瞬間──ジョゼの頭の中は怒りに沸騰した。
(こいつ……!殺す!!殺してやる!!)
しかし、拳銃も、食らわせる毒もない今、一体どうすれば王を殺せるのか、ジョゼは皆目見当がつかなかった。
(どうしたらいい?誰か……!)
アルバン二世の足が、無遠慮にジョゼの足の間を押し広げようとする。
(誰か、助けて!)




