4.娼館リロンデル
次の日。
昼食を済ませると、ジョゼたちとセルジュはめいめいの馬車に乗り、王都トルニエに帰ることにした。
ジョゼの馬車の中で娼婦たちが囁き合う。
「ジョゼ、セルジュ様と夜中まで話し込んでたじゃない?何があったのよ」
ジョゼは肩をすくめた。
「いいえ、何も」
「私たちが見ていないところで、愛を育んでいたのね?」
「そんなんじゃないってば」
それを聞き、彼は狙い目だと娼婦たちは判断する。
「セルジュ様って、見た目がいかにも男らしくて素敵じゃない?四兄弟の次男だとか」
「全員リロンデルのお客様にならないかな~」
「えー、でも、長子相続だから長男以下は素寒貧の貴族も多いのよ?」
「それで政治家になるしかなかったに違いないわ。でも、今の政治家は悲しいほどに無力よ。王族の諮問委員が権限を握ってるから、重要な政策ほど通らないらしいわ」
「それじゃ機能不全だし、議員にお小遣いあげてるだけじゃない。トランレーヌの政治構造って、そういう意味で破綻してるわよね。発展した先進国のモノマネばっかやっててさ、本質がないのよ」
ジョゼがパラリと新聞を広げる。と、娼婦たちは世間話をぴたりとやめた。
ジョゼは、字の読めない彼女たちに代わって新聞を音読してやるのが日課だった。
娼婦たちはそれに熱心に耳を傾ける。リロンデルの客は、彼女たちより遥かに地位と学がある貴族や商人がほとんどだ。昨今の話題や知識について行けなければ、彼らと会話を続けることが出来ない。上顧客に気に入られるには、常日頃の勉強が欠かせないのだ。
「首無し遺体殺人……犯人の手がかりなしか」
馬車に揺られて、四人は王都という地獄へと引き返して行く。
夜がやって来た。
王都中心街にある娼館リロンデルは、ブティックやレストランの立ち並ぶ一角にあった。外観はまるで貴族の別荘のような佇まいで、瀟洒な造りの広いバルコニーがあるのが特徴だった。かつてはここから娼婦が顔を出し、客の誘惑に耽っていたらしい。
王都中心街には娼館がまんべんなく配置されていた。なので娼館の利用客は日常から切り離されることなく、ごく自然に非日常に身を投げ出すことが叶ったのである。
彼ら利用客の、娼館までの流れはこうだ。まず、彼らは昼間喫茶店でくつろいでいる娼婦に声をかける。喫茶店は今や出会い喫茶のようになっているので、男たちはそこで気に入る娼婦を探すのである。
高級娼婦は街には出ないうえ、私娼は性病蔓延の観点から基本的には(建前上)国の法律で禁止されている。なので、昼間から大手を振って町を練り歩いているような娼婦は必ずどこかの娼館所属だった。気が合う娼婦が見つかれば、彼らは夕方ごろ彼女たちに連れられ、それぞれの娼館に行き着くことになる。
今宵もリロンデルが開店する。娼婦たちはめいめい好きな格好で客を出迎えるが、お得意様の要望があれば、三人統一されたコスチュームで出て来ることもあった。
食事をし、嬢と話だけして帰る男もいる。
あえてジョゼだけを呼出し、経営の話や情報を仕入れに来る客もいる。
しかしほとんどの客が、娼館の一室で仮初の愛を処理して帰るのだ。普通の寝室風の部屋もあれば、ギロチン部屋のように趣向を凝らした部屋もあった。一番人気は高級な調度品に囲まれたシノワズリ風の部屋で、客は異国情緒を楽しみつつ娼婦に相手をして貰いたがった。リロンデルの前の主人マレーネが贅を凝らしてしつらえた、他の娼館にはない高級で特別な部屋。このように、どの娼館もその娼館ならではの独自色を打ち出して売り上げを競っていた。
ジョゼの強みは、三か国語が話せるので国外の観光客も接客出来るところにあった。彼女は国外の新聞三社と、常に広告を掲載させる契約を結んでいる。トランレーヌは戦火の頻度が少ないので比較的古来の街並みが残っており、街全体が建築観光地化していた。その観光地で言葉が通じる娼館という安心感は、周辺諸国から観光客を集めるのに充分だった。この点も、リロンデルが他の娼館の追随を許さない強みであった。
朝方になると、客は夢から醒めて帰って行く。
ぼろ雑巾のようになった娼婦たちは、男たちの香りを消そうとするように湯浴みをする。そのシャボンの香りが漂う中で、ジョゼは売り上げを集計した。
娼婦の取り分は、飲食売り上げの一割+個人売り上げの半分+客からのチップ全てである。どの娼館よりも明瞭会計だ。普通の娼館は家賃と装飾費などの雑費を差し引いて残りを月給として渡すので、給与を誤魔化しやすい。ジョゼは絶対に娼婦に日給方式でこの全てを渡した。そうしなければ、娼婦たちの金銭感覚が面白いように狂って行くからである。やはり一度に大金を手にすると、欲望に忠実な娼婦は散財しがちなのであった。
売り上げと給与を帳簿にしたため、娼婦に給与を渡し終えると、朝に女主人の業務は終了する。
ジョゼは日の光と共に、眠りに落ちて行く。
23日がやって来た。
今日はフレデリクの予約が入っている。ジョゼは緊張感を持って娼館を開いた。
いの一番に入って来たのは、セルジュである。
がらんどうの娼館の接待フロア内はファンデーションとアルコールの残り香がないまぜになって、どこか生々しい寂しさを漂わせている。
怯えたような顔のセルジュを見つけるなり、白々しくジョゼは言った。
「あら、バラデュール議員じゃないの。ここは初めてかしら?」
セルジュは面喰ってから、道端で懐かしい親戚に出くわしたかのように弱々しく微笑んで見せた。