45.貴族の自由
王都のカフェは男女のカップルで溢れ返っている。
無理もない。昼間のトランレーヌの喫茶店は、娼婦が連れ込んだ同伴客の男でごった返しているのである。
ジョゼの顔なじみの娼婦たちも客の男を引き連れ、昼から夜の営業に繋げるべく精を出している。娼婦たちはこのように昼に男たちに粉をかけ、夜の店への動線をせっせと蜘蛛の巣のごとく作り続けているのである。
ジョゼは周囲を見渡しながら、セルジュと自分とは娼婦と客のように思われているのだろう、などと考えたりする。サラーナから来たジョゼには、一夫一妻が原則のこの国の御仁たちが貴族から平民までおおっぴらに商売女を引き廻している神経がよく分からない。サラーナのように一夫多妻にすればいいのに、といつも思う。
二人が案内されて共に席に座ると、
「セルジュは、まだ結婚しないの?」
と不思議そうにジョゼが尋ねた。セルジュは固まる。
「……何だよ藪から棒に」
「あなた、二十五でしょ。早くお嫁さん貰わないと、いい子から売り切れるわよ」
セルジュは何か言いたげにじっとお節介なジョゼを見つめたが、彼女は既にメニュー表に視線を移している。
彼は簡単に言った。
「結婚したら、自由じゃなくなるだろ」
「あ。セルジュは自由を愛するタイプなの?でも、その割に女っ気なさすぎない?」
「自由って、女関係の自由のことじゃないよ……自分らしく生きられるかどうか、っていうところだよ。多分私は、親の言いなりに貴族女性と結婚なんかしたら、それを一生後悔するような人間だと思う」
確かに貴族の子息は親の定めたレールをひた走るのが常だ。だからか、より深く娼館に入り浸ってしまう貴族は多い。
「そう……じゃあ、セルジュの求めている自由って何?」
「何だろう。それを実現したくて議員になっているのかもしれない。この国は身分制度や宗教のしがらみでがんじがらめになっているから、議会制度が出来たのを機にそれをほぐして行きたいんだ」
「ふーん?」
「この国は生活において、行動制限する掟が多すぎるって思わないか?特に女は、家に縛り付けられるだろ。子どもは親の作品扱いされて人生を軽んじられ、一方で男は役割を背負わされ過ぎてる」
「なるほど……そんな風に思ったことは、ついぞなかったわ」
異民族で娼館の経営者のジョゼは、社会から逸脱しているので彼の感じるような窮屈さとは無縁だった。
「もっと自由度の高い社会を作りたいっていうことなのね?」
「そうだな。そうすれば、私も生きやすくなるだろうと思ってね」
「生きにくいの?セルジュ」
いきなり芯を喰われてセルジュは笑った。
「そうだな。うん、とっても……」
「そうだったの……。でも、そんなこと今までちっとも言わなかったわ」
「言う必要に迫られなかっただけだ」
「じゃあ今は、言う必要に迫られているのね?」
セルジュは乾いた笑いを見せた。それから近くに来た店員を呼ぶと、三種のサンドイッチとコーヒーを二セット注文した。
「……何でもお見通しなんだね、ジョゼは」
「話なら聞くわよ。それも娼館の仕事だもの。お客様の中にもね、プレイ中に泣き出したり、娼婦に身の上話を聞いてもらいたがる人って多いの。男性は外で虚勢を張っていないといけない分、発散する時のエネルギー放出量がえげつないのよ」
ジョゼから見れば、セルジュもまた、漏れなくそんな男性の一員なのだった。セルジュは内心、自分の弱さを自嘲した。目の前の美しい少女が同調してくれて「癒されてなどいない」と言えば嘘になる。
「そうだな、最近ちょっと親につき上げられていて」
「やっぱりそうなのね」
「議員になるまでは応援してくれてたみたいなんだけど、私が政治活動に精を出していると知るや、何か別のことをやれと口出しして来るようになった」
「えー?何でだろう」
「驚くような話なんだけど……私の父は息子を常に支配下に置き、コントロールしていないといけないと思い込んでいるんだ。家父長制の悪い部分だね。家長が子どもに言うことを聞かせられないと〝あの親は駄目だ〟と周囲からレッテルを貼られる。親の言うことを聞かない子どもも〝あいつは駄目だ〟と頭ごなしに言われてしまう。この国では、親子が不幸になる連鎖が続いてしまっている」
「ああ、ちょっと分かる気がするわ。誰も得しないのに、人の目を気にしているのね」
「最近も……勝手に結婚相手を決めて来られたりして」
ジョゼは悲しい顔になった。
「そう……貴族って大変ね。生涯の伴侶も自分で選べないのね」
「だから、娼館が儲かるとも言えるけどね。見ろ、この娼婦の量を」
「でも、そうは言うけど彼女たちだって好きで娼婦をやってるわけじゃないわ。女は働き口も給料も極端に少ないから、娼婦にならざるをえないだけよ。うちの娼婦たちもそう。女優や歌手やダンサーじゃ生きてくお金が足りないから、しかたなく娼婦をしているわけ」
「へー。……娼婦は割と自由な生き方をしていると思っていたが、そういうわけでもないんだな」
注文の品が運ばれて来る。抜けるような青空を見上げながら、ドライトマトとモッツァレラチーズのサンドイッチを齧りセルジュが問う。
「そうだ、裏社交界のことなんだけど……ジョゼはダンスなんかは出来る?」
「それは出来るわ。色んな紳士に教えてもらったから」
「色んなって……どんな奴?」
「ふふっ。何を気にしてるのよ、お客様に決まってるじゃない。今日のセルジュ、どこか変よ。一体どうしたの?」
「……まあいいや。ドレスは踊りやすいのを最優先にしてくれ。でも、くるぶしまで隠す長さのドレスだ。アクセサリーは、新参者なら特に、高価なものや華美なのはやめておけ。人が多いので、落としたりしたら迷惑になる。シンプルなものか、なくしてもいいようなイミテーションが望ましい」
「へー。王様のところに行くのだから、高級にすればいいと思っていたけど違うのね」
「社交界は社交の場であって、ファッションショーじゃないからな。たまに若い癖に随分めかしこんで来る奴がいるが、陰で顰蹙を買っている。あいつは何をしに来てるのかと。目的を見失ったらいけない」
「そっか。社交の場なのね……陛下と仲良くなるための」
セルジュはそれを聞くと、眉をひそめた。
「……陛下と?」
「ええ。だって、そういうものなのでしょう?社交界って」
「まあ、そうだが……まさかジョゼは、陛下の愛妾の座を狙っているのか?」
ジョゼは目をぱちくりと見開いた。
「何よセルジュったら……そうだと言ったら、どうなのよ」
セルジュは椅子に背をもたれると、ジョゼに納得の行かない視線を送る。ジョゼは彼の初めて見せる表情に気づいて、急にどきどきと胸を鳴らした。




