3.利用し合う間柄
セルジュは気まずそうにワイングラスを見つめると、
「恥ずかしながら私は酒に弱いので、ワインぐらい度数の高い酒を飲むと意識が混濁するのです」
と言う。ジョゼは笑顔を貼り付けたまま、朝の事件を回想する。
「ワインを飲めない方に、毒入りワインを飲まそうとは思わないわね……じゃああのワインは、やはり私に」
「ジョゼ様、何の話ですか?」
「いえ、何でも……こちらの話です」
ジョゼは手をパンと打った。
「そうだわ。セルジュ様、もしよろしければ今日はここに泊まって行かれませんか?」
セルジュは戸惑い気味に目を泳がせる。
「明日は予定がないので泊まってもいいのですが……話が急ですね」
「もう少し親睦を深めておく方がいいかと思いまして」
「なるほど。確かにとんぼ帰りも詮無いですし、いいですよ」
「ところで……私のことは、どちらでお聞きになりましたの?」
「王都警視庁人身売買取締部のギニュイ部長からです。あなたのことを、信用がおける女性だと言っていた。何でも、人身売買に対して警察よりも厳しい姿勢で接しているからだと……」
「……」
「先程の話を聞いて、その背景を理解しました」
セルジュの視線が、少し和らいでいる。ジョゼはほっとした表情を見せ、娼婦たちは誇らしげに微笑み合った。
娼婦たちが食べ始める様子をゆっくりと眺め、セルジュはかなり遅れて食事を始める。
ジョゼはそれを見て、
「……用心深い性格なんですね」
と呟いた。セルジュは何かを誤魔化そうとするように咳払いをしてみせた。
夜になった。
ディナー後の蝋燭の灯りの中、ジョゼは持ち込んだ新聞をセルジュに見せる。
「首なし遺体……?」
「今年に入って三件目なの。最近、どんどん王都の治安が悪化しているわ。警察はアテにならないし、政治の力でどうにか出来ないかしら?」
「犯人がまだ逮捕されていないんですか」
「今のところ被害者は男性ばかりだけど、早く犯人を見つけて貰わないと娼婦たちはおちおち同伴も出来ないわよ」
セルジュは静かに言った。
「凶器はギロチン……ですか?」
ジョゼは頷きながら、少し笑った。
「そんなわけはないと思うわ。今の死刑は薬殺だから、ギロチンを使わないのよね。20年前までは使っていたようだけど」
「それを見てしまって、当時それが性癖になった輩も多かったそうですね」
「フレデリク様なんかは、そうね。セルジュ様は……?」
「私は25歳ですから、見た記憶がないです」
「かつてギロチン刑はルブトン川のほとりで行われていたのよ」
「……」
「まるで見せしめの殺人みたいだわ。誰かに何かをアピールしているかのような」
セルジュは蝋燭の火に照らされながら苦笑した。
「夜に私を呼び出したのは……推理を聞かせるためですか?」
ジョゼはふんと鼻を鳴らして
「何を期待してらしたの?」
と彼をからかって見せた。セルジュは首を横に振る。
「期待していたのは確かですが、そういうことではなく……夜に呼び出されたのは、私がある部分であなたから信頼を勝ち得たからではないかと……」
ジョゼは少し面食らうと、勝気な顔から一転、寂しげな表情になって正直な腹の内を吐露した。
「……私、仲間を失うのが怖い。だからあなたにも協力して欲しいのよ」
セルジュは呆気に取られる。
「仲間……?」
「見たでしょう、庭園で朗らかに笑う娼婦たちを。私、今が一番幸せで、この幸せを失いたくないの。みんな、ここに来るまでに散々酷い目に遭って……ようやくこの土地で会えたのよ」
「……」
「男性には分からないでしょうけど、女は非力だから治安悪化の影響をモロに喰らうのよ。だからこうして、肩を寄せ合って励まし合って生きてるの。……なのに、もう。警察が役に立たなくてイライラするわ」
セルジュは先程まで泰然としていた娘の素直過ぎる言葉に困惑したが、
「リロンデルの皆さんの平穏のためなら、協力しますよ。政治的な解決方法というのが余り思い浮かびませんが……警官の増員とかですか?」
ジョゼは少女に戻ったように、興奮気味に頷いた。
「それ、いいわね」
「警官は、リロンデルを利用しないのですか?彼らに提案してみてはどうです」
「うちには来ないわ。……特に刑事とは犬猿の仲なもので」
「?」
「あ。またあなたに関係ないことを……ごめんなさい」
話せば話すほどジョゼのマダム然とした仮面が剥がれ、どんどん幼い少女へ変貌を遂げて行くようだった。それを感じて少しずつ、セルジュの頬から緊張が抜けて行く。
「娼館〝リロンデル〟には、いつうかがえばよろしいですか?」
ジョゼはその言葉を聞くと、ぱっと晴れやかな顔になった。
「いつでも!お話や食事だけのご利用も出来ますよ」
「顧客はどんなのがいて、何時に来ます?」
「フレデリク様なら、23日にご予約されています」
「……ギロチン部屋の予約?」
「はい」
二人は笑い合った。
「ジョゼ様」
「呼び捨てでいいわ。さも親しいふりをしておこうじゃありませんか。そうした方が、きっとあなたの益にもなるわ。政治と裏社会は密接な関係にあるのだから」
「ジョゼ。23日に偵察がてら、そちらに向かうよ。普通に正面玄関から入ればいい?」
ジョゼは再び大人びた娼館マダムの顔に戻って勝ち気に微笑んだ。
「ええ。まずは客として来て。そっちの方がフレデリク様に怪しまれずに済むわ」
「緊張するな……」
「政治家をお続けになるんだったら、演技の練習もしておいた方がいいわよ。あなたは軍人上がりだからそういうことに不慣れなのかもしれないけど、騙し合いの政治の世界でのし上がるには、ちゃんとそのための勉強をするべきだわ」
セルジュは少し間を置くと、思い出に浸るようにしみじみと言った。
「自分で言うのもなんだが、私は政治家には向いていないと思う」
ジョゼは全てを受け入れるような笑顔でそれを聞く。
「兄弟は四人いて、全員軍人だった。けど、私は落ちこぼれでね。腕の怪我で軍部ではのし上がれなくなったから、親族の伝手で無理矢理政治の世界に突っ込まれただけなんだ。実は、なりたくて政治家になったわけじゃない。ただなりゆきでやっているだけだ」
ジョゼはその独白を笑い飛ばした。
「私と一緒ですね」
セルジュは目を見開いて少女を見つめる。
「なりたくてなったわけではないなら、尚のことその世界でのし上がらなければ面白くないでしょう?向いているなどと思い上がっている脇の甘い奴らに、一泡吹かせてやりましょうよ。まずはスパイの証拠を揃えて、名を上げないとね」
セルジュは蠟燭の燭台ごしに、眩しそうにジョゼを見つめる。
「……ジョゼは前向きだな」
「いいえ。利用できる人間を、利用し尽くそうと思っているだけです」
「……!」
「セルジュ、もっと〝悪〟に染まりなさい。清濁併せ飲むのが、政治家の役目ってもんじゃありませんか」
セルジュの目の色が変わって行く。ジョゼはそれを眺め、不敵に微笑んで見せた。