36.作家・炎上
火はかなり長い時間燃えていた。ジョゼたちは教会に避難し、事なきを得た。鎮火の知らせが来た頃には、すっかり夕方になってしまっていた。
ジョゼたちは娼館へと引き返す。
その道すがら。四番街のアパルトマン周辺には、野次馬たちが続々と集まっていた。消防士たちが燃え盛る火を消し去った後には、黒々としたアパルトマンが残っている。ジョゼたちは野次馬に混じり、黒い建物を見上げた。
「早いところ火が消えて良かったわ」
「何だってあんなに燃えたのかねぇ?」
などと話していると、ふと、アパルトマンの玄関から誰かが出て来る。その人物を見て、ジョゼとリゼットは眉をしかめた。
ベルナールだ。
ジョゼは後ろを振り返ると、メリアスとブライアンに言った。
「あの……娼館へ帰る前に、もっと遠くの別の場所で飲み直しませんか?」
「あら、どうしたの?マダム・ジョゼ。娼館はすぐそこじゃない」
その声に即座に反応し、ベルナールがこちらに駆けて来た。
「あ……やばっ!」
「ジョゼ!またお前か……!」
去ろうとする寸手のところで首根っこを掴まれたが、何が〝また〟なのか、ジョゼは心当たりがなく首をひねった。
「ベルナール、そんなに慌ててどうしたのよ?」
「あの火事の火元は、フロランという作家の部屋なのだ。ジョゼはこの名前に心当たりがあるだろう?」
「!」
「フロランは〝文学サロン〟に出入りしており、先日のサロンではジョゼとも会話していたという証言があってだな……」
「!!」
「ふん、やはりそうか」
それについては、ジョゼのみならずその場にいた全員が反応した。ベルナールは全員を睥睨し、目を光らせた。
「そしてフロラン氏は死亡した──彼はこのアパルトマン唯一の死亡者だ」
おずおずとメリアスが歩み出て問う。
「刑事さん、火事の原因は何でしたの?」
ベルナールは頷いた。
「先ほどの火事はフロラン氏の部屋で起きまして、先程彼の死亡が確認されました。煙草の不始末が原因のようです」
「はい……」
「しかし被害者の元には常にかなりの人数が出入りしていたそうで、事件の線も捨て切れません」
「なるほど……」
「そういうわけで、今はその交友関係を洗い出しているところなのです。彼は数々の文学サロンに顔を出していたらしい」
「まあ……」
「メリアス先生も、捜査に協力していただけませんか?」
ジョゼが口を挟むより早く。
「はいっ!」
即座にメリアスは顔を輝かせて答えた。ジョゼは「げっ」と声が出る。
「ちょっと、メリアス先生……?」
「ああ……!事件の重要参考人になるなんて初めてだわ。この経験はいつか必ず創作に使えるはず!」
「先生……?」
「きっと私に、小説の神様が微笑んでいるのよ!」
「先生……」
「行きましょうマダム・ジョゼ。こんな機会は滅多にないわよ!」
こんな機会がいくらでもあるジョゼは早く帰りたい一心だったが、そこまで言われては仕方がない。
四人はベルナールに促されるまま、焦げた匂いのする現場へと入って行った。
焼死体を見るのはショックが大きすぎるので、ジョゼ以外はしばらく玄関で待機した。
部屋の内部に入ると、全てがものの見事に焼けてしまっていた。焼けていないのは、台所にあるワインの瓶と食器ぐらいである。もしこれが放火殺人であってもなくても、証拠はあらかた燃えているであろう。
遺体はベッドに寝たままの姿勢だ。
「扉には鍵がかかっていました。誰かが出入りしたということはありません」
玄関の扉も、半分ほど焼け落ちていた。が、鍵はかかっている。
窓が大きく開いている。
「フロラン氏の死因は恐らく焼死かと。外傷は特に見当たりませんでしたから……それから、この部屋には可燃物が多すぎます。近隣住民によると、壁際には原稿用紙が山と積まれていたそうです」
捜査員はそう言ったが、ジョゼには気になる部分があった。
「ベルナール。ちょっと、遺体の口を開けて貰っていいかしら」
思わぬ話にベルナールはためらったが、二人がかりで口を広げると、ジョゼはその中を覗き込んだ。
「ふーん、やっぱりね」
「……何がだ?」
「この遺体、口の中が綺麗なの」
「……?」
ジョゼは捜査員たちに怪訝な顔を向けられ、呆れてこう続けた。
「分からないの?彼は火災の煙を吸い込んでいないのよ」
それでようやく、ベルナールは気がついた。
「ということは、彼は煙を吸い込む前に、死んでいた……?」
「そうね。口の中が綺麗なままの彼は、恐らく殺されてから火をつけられたのよ。つまりこれは火の不始末からの焼死ではないわ」
火元はベッドサイドであった。ここが一番燃えているらしい。
「これは、煙草の不始末に見せかけた他殺よ。外傷がないなら、きっと毒殺ね」
そう言い切ってから、ジョゼはふと、嫌な予感がした。
「煙草……そういえばリゼットも、文学サロンで煙草を貰っていたわよね……?」
彼女は慌てて階下へと駆けて行った。




