2.ご機嫌な娼婦たち
ジョゼはセルジュを伴い、娼婦たちがくつろいでいる庭へと出て行った。
セルジュはしどけない姿の女たちを見て、少し緊張感をまとう。ジョゼは囁いた。
「みんな、気のいい人達よ。露出多めだけど、怖がらなくて大丈夫」
彼女たちは週末、こうして王都トルニエの中心街にある娼館「リロンデル」を離れ、郊外のフルニエ城へ休暇にやって来る。週初めには、また娼館と言う名の現実へと帰らなければならない。
ジョゼが歩き出すと、召使が庭の離れで昼食のテーブル・セッティングを始めた。
「あら、ジョゼ」
少しふくよかな最年長娼婦・赤毛の美女リゼットがまず彼女に気づいた。リゼットはしがない女優をしているが、最近はそれにも限界を感じ、脚本家になるべく勉強を始めている。
「いい男を連れているわね」
「紹介するわ。貴族院議員のセルジュ・ド・バラデュール様よ」
「へー。ジョゼが自宅に男を呼ぶだなんて、まさか……」
ジョゼは首を横に振った。
「違うわ。仕事を依頼されているの。ねえ、これは内密にして欲しいんだけど、セルジュ様はフレデリク様の情報を、とにかく何でもいいから欲しいそうなの。そこで聞きたいんだけど、この中にフレデリク様と仲がいいって胸張って言える人はいるかしら」
ワインを飲み干し、しゃがれ声の娼婦・ミシェルが手を挙げる。
「はーい。私この前、ギロチン部屋であの方のお相手をしたわ」
しゃがれ声のミシェルはこの声で本職は歌手だと言うのだから驚きだが、この酒に焼け焦げた喉が歌い出せば、何とも言えないもの悲しさを呼び寄せるので巷で人気があった。彼女はいつも黒い髪をタワーのように逆立て、やたら露出の多い服を着ている。
セルジュはミシェルの言葉を受け、驚愕の表情になった。
「ギロチン部屋……?」
「フレデリク様といえば、界隈じゃギロチン好きで有名なのよ。娼婦をね、ギロチンにかけて楽しむの。勿論刃のない特注品で処刑ごっこをするんだけど、落ちて来る板の衝撃があるし、いつ落として来るか分かんないのでやらされる方はキツいのよね。で、フレデリク様はいつも死んだフリした娼婦の服を脱がせて──」
「……」
「あら、引いてるの?可愛いわね、坊や」
次に、すらりと背の高いアナイスが次に手を挙げた。
「私、逆にフレデリク様をギロチンにかけたことあるよー」
アナイスは30をとうに超えているが、見た目はあどけない少女のようである。金髪を少年のように顎の辺りで短く切り揃え、背が高くひょろりとしているのでたまに少年にも見間違えられる。しかしそのノンセクシュアルな肢体が男性も女性も魅惑する、中央街のキャバレーで人気があるダンサーであった。
ミシェルは驚きの声を上げた。
「マジ?そっちもするんだ」
「うん!フレデリク様にお願いされて、ケツをしばき上げたよ☆」
「私もしばき上げる側がいいなあ。首と腕を固定されたあの体勢、結構キツイのよね~」
ジョゼは遠い目をしているセルジュに囁いた。
「……何か重要な情報は得られたかしら?」
「……いいえ」
「うちのギロチンはね、本物のギロチンを参考に、馴染みの大工に作ってもらった特注品なの。他国ではギロチンは全て負の遺産として処分されているから、複製しようにも出来ないのよ。というわけで、ギロチン部屋は世界の娼館でもうちだけにしかないわ。みんな珍しがって、各国から見に来るのよ」
美女の集まる白亜の城は、傍目には楽園のように見えた。
しかし、実質的には地獄からの待避所である。
庭の片隅に昼食の準備が整った。五人は移動し、それぞれ席に座る。
「あーあ、ずっとここで暮らしたいなぁ」
ミシェルが寂しそうに笑う。ジョゼは彼女に向き合った。
「ダメよミシェル。あなたはこんなところで隠居するような器じゃない。文字や文学を勉強すれば、もっといいお客が取れるわ。そしてリロンデルから独り立ちするの。あなたにはまだ、ひとかどの高級娼婦になれる道があるのよ」
「だってぇ……勉強ムズいしぃ」
「だから、私が指南してあげるって言ってるじゃない」
「ジョゼったら、娼館の主の癖に変なのよ。普通は娼婦を借金漬けでがんじがらめにして、娼館から逃げられないようにするのが娼館の主の稼ぎ方なのよ?それなのに、高級娼婦に仕上げて追い出したいなんてさ」
ジョゼは肩をすくめた。
「私の人生の目的は娼婦から金を巻き上げることじゃないわ。無学だから、非力だからって踏みつけられる女を一人でも減らすことなのよ」
ミシェルとアナイスは顔を見合わせて、少し神妙にした。
「ま……あんたの生い立ちからすると、その発想に至るのは理解出来るけどね」
「でも勉強なんて無理よ。今更……」
一方、最近勉強を始めたリゼットはふんと鼻を鳴らした。
「時間さえかければ、何とかなるわよ。私最近、手紙が書けるようになったの。まだ下手だけど……劇団のパトロンをしているヴィトリー男爵との伝手が出来たわ」
「ええっ、ホント?」
「ええ。だからあんたたちも頑張んなさい。一番先に娼館を出て行くのは誰なのか、競争しましょうよ」
ケラケラと笑うリゼットに、二人の娼婦は嫉妬するフリをして指をくわえて見せた。
セルジュはその会話を興味深く聞いている。ジョゼはそれを覗き込み、彼に問うた。
「貴賤を問わず、誰もが今よりいい生活をしたい気持ちは一緒なの」
セルジュは視線をようやくジョゼに戻すと、素直に頷いた。
「だから貧しい人間を見てみぬふりをする奴は許せない。誰かを踏みにじって上へ行こうとする奴は、もっと許せない。特に、誰かの命を奪ってまで、その目的を果たそうとする奴らには──」
セルジュはその熱っぽい語りを聞いてから、ふと尋ねた。
「ジョゼ様、あなたはどういういきさつで裏社会に身を投じたのですか?」
するとジョゼは黙秘するように口をつぐんだ。代わりに娼婦たちが答える。
「この娘はさ、自分の意思でこんなところに飛び込んで来たんじゃない。売られて来たんだよ。人買いに攫われて、このリロンデルに売られたんだ」
ミシェルはそう言って美味そうに酒をあおった。
「でも三か国語話せる上に読み書きも出来たから、リロンデルの前の主のマレーネが娼婦にするのは勿体なく思って、養女にしたわけ。だからジョゼは娼婦出身ではない」
リゼットが続けて言う。
「私たちが知ってるのはそこまでよ。ジョゼは売られて来るまでのことについては話したがらない。そして過去を掘り下げようとして来る人間とは、口を利かなくなるから注意することね。だから議員さん……過去を気にしないで、今のこの娘を見て下さいね?」
アナイスがくすくすと笑って言う。
「マレーネ亡き後、リロンデルの正統な後継者と認められるまで時間がかかったわね。でも私、ジョゼは表でだって、これからもっと活躍出来る気がするの。それこそ、セルジュ様のように政治の世界に飛び込んで行ったって不思議じゃないわ」
白亜の城の小さなブラックドレスの少女。セルジュは改めてその大人びた様子に驚きつつ
「苦労されたのですね」
としみじみ呟いた。ジョゼはそれでようやく気を良くしたのか、ふわりと笑って言った。
「そうだわ、セルジュ様。来週にでも、娼館リロンデルを案内致します。情報を共有するのなら間取りを頭に入れておいていただいた方が、話が早いでしょう?」
食事が運ばれて来る。
「そうですね、そうしましょう」
「特にギロチン部屋は必見ですよ」
「そ、そうですね……」
召使が彼のグラスにワインを注いだが、やはりセルジュはそれに手を付けようとしなかった。
ジョゼは静かにそれを見つめ、彼に促した。
「セルジュ様、どうぞワインを召し上って下さい」
するとセルジュは、少し青くなってびくりと驚きに体を震わせる。ジョゼは彼の挙動を眺め、くすりと笑ってみせた。
「……飲めない理由が、何かあるのですか?」