26.水浸しの足跡
ジョゼはセルジュに連れられ、一階奥の部屋に案内された。ジョゼが不安がったので、他の議員たちは二階の部屋にまとめられた。
「君の不安はよく分かるよ。娼婦とか娼館の主とか言うだけで、何をしてもいいと勘違いする男は多いからな。議員がこれだから職業差別は無くならず、回り回って我々も〝政治屋〟と馬鹿にされるのにな」
そう言いながら、セルジュはジョゼに鍵を手渡した。
「トイレに行く時は必ず鍵をかけてから行けよ。ここは窓も施錠出来る。そちらもぬかりなくな」
ジョゼは受け取った鍵をしっかりと握りしめた。
「ありがとう」
「何かあったら銃でもブッ放してくれ。すぐに行く」
「そうね……ふふふ」
扉は閉められた。ジョゼは不安になりながら、部屋の中を点検する。
窓の外は、大雨で暗くて見えない。轟音が全ての生活音をかき消して、むしろ無音の中にいるみたいだ。
部屋の中から鍵をかけると、デスク際から椅子を持って来る。それを踏み台にして濡れた服を高い位置にある物干しロープにかけると、ジョゼはベッドにごろんと体を横たえた。
腹が満ち、眠るには充分だが、風呂に入れないのは色々と堪える。
初夏の大雨のため、部屋の中が蒸し暑い。なのに豪雨で窓は開けられず、何とも不快な気分だ。
「……暑いわ。何か飲み物でも貰って持ち込めばよかった」
ジョゼは目を閉じ、何とか寝ようと試みた。
しかし、寝入って数時間も経つと──
「駄目だ。喉が渇いて起きちゃう」
風雨は尚も外で暴れ回っている。ジョゼは汗を拭いながら起き上がると、鍵を手に部屋を出た。
そして、自分の部屋に鍵をかけると、執事の部屋へ水を貰いに行こうと歩き出す。
執事の部屋は一階にあり、夜でも明かりがついているので明かりを持たずとも辿り着くことが可能であった。
ジョゼは執事の部屋に入ると、水を要求した。執事は台所へ向かうと、水の入ったビンを彼女に手渡した。
ジョゼが再び部屋へ戻ろうと歩き出すと──何やら妙に足元が滑ることに気づく。
「あら、いつの間に……?ずいぶん床が濡れているわ」
こんな夜遅くに、誰か客人でもあったのだろうか。
「変ね。寝る前まで、ここはこんなに濡れていなかったはずなのに……」
ふと、ジョゼの胸の中に恐怖が去来した。
「まさか……みんなが寝静まった頃合いを見計らって、泥棒でも入ったんじゃないでしょうね?」
嫌な予感というものは、得てして当たるものだ。ジョゼは水の足跡が続く絨毯を辿りながら、自分の部屋には入らず、手前のセルジュの部屋までやって来た。
ドンドンドン!
雨音に負けじと戸を叩く。その音に気づいたのか、セルジュが部屋から出て来た。さっきまで寝ていたらしく、髪は結わえていない。
「んー……どうした?ジョゼ」
「ちょっと、気になることがあるの。一緒に来て欲しくて」
「……こんな時間に?」
「床が濡れてるのよ。かなりびっしょり」
「まさか、浸水?」
「そういう感じではないわ。濡れた誰かが侵入して来たような感じなの」
「……あー」
セルジュは後頭部を寝ぼけながら搔きむしると、
「泥棒が入ったのかどうなのか、気になるってことか」
「そう、そうなのよ!」
セルジュはデスクからマッチを取り出すと、燭台に火を付け持ち上げた。
「ジョゼがそこまで言うなら、行くか……」
二人は部屋を出た。
まず執事部屋に声をかけ、水の足跡を追って行く。その足跡は、二階へと続いていた。
ふと、窓ががたつくような音がした。セルジュはハッとしてジョゼを背中側に回し、先がよく見えるよう燭台の灯りを掲げる。
二階の奥のドアが開け放たれていた。その部屋から、しきりに窓ががたつく音が聞こえて来る。
「……あの部屋は、モーリス殿の部屋だ」
なぜ、この暴風雨の中、あの部屋の窓と扉が空いたままなのか──二人の間を、嫌な予感が駆け抜けていく。ジョゼは銃に手をかけたまま、慎重に歩みを進めた。
セルジュが意を決してモーリスの部屋を照らし出した、次の瞬間。
二人は声の出ない叫びを上げ、後ずさった。
窓ガラスは内側に向かって割れ、大雨が吹き込んでいる。ベッドは水浸しだ。暖炉には火がくすぶったような跡があり、まだ小さな炎がチラチラと燃えている。
部屋の中央に倒れていたのは、モーリスだった。
そしてそのこめかみには、銃痕がくっきりと残っている。
ジョゼは銃を構え、周囲にまだ何者かが潜んでいた場合に備え牽制する。セルジュがモーリスにそろそろと近づいて、その脈を取った。
脈は動かない。
「……死んでる」
セルジュがそう呟くと、ジョゼは唇を噛んだ。




