22.娼婦と侮るなかれ
今日もジョゼは夢を見る。
マレーネに、養女として迎えられた日の夢を──
リゼットと出会ったのは、娼館リロンデルに入ってすぐのことだった。
リゼットは貧しい漁村から出て来た女だった。漁村で売春まがいのことをして何とか金を工面し、王都までやっと出て来られたらしい。リロンデルに来た時には時代遅れのおんぼろを着ていたリゼットだったが、給与を前借りしてなうての美容師に髪をセットしてもらい、流行の服をまとうと一変、誰よりも美しい娼婦に変貌した。
ジョゼはこの一件で衣装の大切さを知った。どんなにいい素材でも、身だしなみが整わなかったりおかしな服を着せられていては、魅力は激減する。反対に、ちょっとばかりへちゃむくれでも、豪華な衣装を着せればそれなりになるものだ。
娼館で事務員または雑用のような働きをしていたジョゼは様々な場面に出くわしながら、プロデュースのノウハウを蓄積し始めていた。
マレーネは娼婦上がりの女だった。彼女自身は余り語りたがらないが、実は貴族の血を引いていると言うから驚きである。そこから娼婦になったのには、かなり重たい理由があったらしい。
二人きりでいつもの食事を事務室で摂っていた時のことだった。マレーネはジョゼに言った。
「性の対象になるっていうのは、とても悲しいことなんだよ」
ジョゼは何も喋らず、食事をかき込んでいた。
「自ら性の対象になりに行くのは、もっとむごい。私は、あんたをそういう風には育てたくないんだよ」
ジョゼは知っている。こういった独白の時は、聞き役に徹するのが安牌だ。
「私の母は娼婦でね、父は貴族だった。でも捨てられたんだ。手切れ金だけは手にしていたから、生活は苦しくなかった。けれど、母は〝捨てられた〟というのが悔しかったらしくてね。私をその貴族に何度も会わせようとしたのさ。その結果……何が起こったと思う?」
ジョゼは何となく予想がついた。最悪のケースしか浮かばなかったので、何も答えられずに時間が過ぎるのを待つ。
マレーネは言った。
「私はその貴族に犯された。つまり、父親にだよ。あいつは化け物だ。だから、私は全ての男は化け物なんだと思うことにした。そして、そんな風に考えている内、私はそいつらから金を巻き上げることばかり考えるようになった。きっと、そうすれば私は化け物の犠牲者ではなく、化け物から金を巻き上げる猛獣使いになれるからなんだ」
猛獣使いとは、言い得て妙だと思った。
「一理あるな」
とジョゼは同意した。マレーネは食事を終えると、自嘲気味に笑いながら煙草に火を付ける。
「娼婦はさ、そういう女が多いんだよ」
ジョゼは黙って聞く。
「女はいつだって値踏みされる。しかし自分に好きな値段をつけて売る側になると、力関係が変わって来る。それが楽しくなって来る。自分に群がって来る男共から金を巻き上げて男を手玉に取れば、その金が自分の値段、価値になる。そしてその値札は、若く美貌のある内は青天井に張り替え可能なのさ。自分の価値はどんどん高まると錯覚する。だがね……」
ジョゼは話題が反転する予感に顔を曇らせた。
「若さと美貌はいつまでも続かない。そこで、どうするか。稼いだ金で事業を始めるか、諦めてどこかに嫁ぐか、死ぬかだ。この街では、ババアにはこの三択しか残されていない」
〝ババア〟のところに、妙にマレーネの実感が満載でジョゼは汗をかく。
「で、私は娼館を始めることに決めた。ここはいい建物だろう?立地も申し分ない。けど、私は諦めていない。いつか、もっとでっかい城に住んでやるんだ。こんな街中の事務室に寝泊まりして死ぬんじゃなく、貴族も真っ青な城の、ドでかい寝室でね」
その夢のある話を受け、ジョゼは言った。
「今やこの国では商人が台頭し過ぎて世間知らずの貴族の多くが金を巻き上げられ、別荘を売りに出していると言う。そういったところを狙えばいい。ルブトン川上流に既に三軒売り出し中とあった。狙い目ではないのか」
マレーネは頷きながら笑う。
「あんた、そんな情報どこで仕入れて来たんだい」
「客がそう言っていた。もう、別荘はダブついていると」
「でもお高いんでしょ?はー、まだまだ稼がないとねぇ……」
娼館リロンデルには、客をもてなす娼館エリアと、娼婦を住まわせる居住エリアとがある。昼間に同伴がなければ、彼女たちは老いるまでずっとここに縛り付けられて生きることになるのだ。
(空しい人生……)
いつか自分もそうなるのではないか、とジョゼが考えた、その時だった。
「あんた、私の子になるかい」
ジョゼは驚きに顔を上げた。マレーネは、疲れ切ったような顔で微笑んで見せる。
「この娼館は、いつか娼婦のひとりに引き継がせようと思っていた。でも、ある時……それが凄く空しいと感じるようになった。娼婦じゃない人間に娼館を譲りたくなったのさ。同じ娼館で働いた娼婦が経営すれば、結局似たような施設が続くだけだ。娼館に限らず、商売は、常に新しくなくてはならない」
確かに……とジョゼは相槌を打つ。
「そういうことをまるでしてこなかったお嬢さんは、どんな娼館を作るんだろうね?この館全体に漂っている悲壮感を払拭することが出来るんだろうか?」
「悲壮感?」
ジョゼは笑った。
「そんなものは、ここにない。あったら男たちが寄り付かなくなっているだろう」
マレーネはきょとんとしたが、何となく彼女の言わんとすることが分かったようだ。
「ふーん。あんたは、娼館を〝必要悪〟だとは思ってないんだね」
「〝必要悪〟なんてものはない。〝必要〟とは、善いものであるはずなんだ」
「まあっ。体を売って来なかった女はやっぱり考え方が違うねぇ」
「マレーネ。今、私を侮っただろう。そして悲しいことに、娼館の主であるあなたも娼婦を侮っている。確かに、娼婦になりたくてなった娼婦などいない。でも私が見るに、この館で働く女は全員その〝悲壮感〟とやらを徹底的に押さえ込んだプロフェッショナルだ。彼女たちは、世間や男から必要とされていることを知っている。しかし、もし自尊心が損なわれて悲壮感を醸し出している娼婦がいたなら、それは〝娼婦風情が〟と言うような客があるせいなのだ。彼女たちの害になるから、そういった不遜な客は追い返さなければならない」
ジョゼは一気にまくし立ててから、ふと気づく。
自尊心を踏みにじられたのは、方法は違えど、自分も一緒なのだと。
「娼婦の地位を向上させるべきだ。そのためにはマレーネ、あなたが偉くなることだ。そうすれば、あなたを真似て後進が育つ」
「あんた、いいこと言うね。娼館商いの当人らが自分を卑下してちゃだめってことね」
「商売と生い立ちは分けて考えた方がいい。商売は決定の連続であり、生い立ちは事故の連続だ。そこに繋がりなどない」
「言い切るねぇ。遊牧民らしい考え方だわ」
と、そこにリゼットが入って来る。
「マレーネ、ちょっと給与の前借を頼みたいんだけど」
「あら、いいわよ。いくら必要?」
「400デニーちょうだい」
「何に使うのよ」
するとリゼットは胸を張って答えた。
「デパートで、一番いいドレスをオーダーするわ。誰よりもいい女になって、顧客を地引網方式で捕り尽くしてやるのよ!」
そこに悲壮感は微塵もなかった。ジョゼはリゼットとマレーネを見比べて、娼婦にも新しい時代の風が吹いているのだと頼もしくなった。
そう。ここは女の逃げ道ではあるが、這い上がるための装置でもあるのだ。ここで這い上がらなければ、一生誰かにかしずいて生きるしかない。それに気づいた女だけが、不幸を振り払って生きて行けるのだ。
娼館を、娼婦を、男たちのための〝必要悪〟などとは絶対に言わせない。




