117.全部あなたのせい
ジョゼは肩をいからせながら、ノールの邸宅の前に立っていた。
アポイントなど取っていない。怒りに任せて押しかけただけなのだ。
すぐに、玄関の扉が開く──
扉の向こうから、執事がやって来る。
「ノール様から伝言です。しばらく、ノール様は王都警視庁の監視下に置かれると」
ジョゼは目を丸くした。
「それでもよければ、お通し出来ます。監視の巻き添えになりたくなければ、お帰りいただきますようお願い申し上げます」
ジョゼは正面を向いたまま、ちらちらと周囲を確認した。
確かに、警官が周囲を徘徊している──
ジョゼは覚悟を持って言った。
「行きます。今、会わなければいけないの」
執事は静かに扉を開き、娼館の主を迎え入れた。
ノールの部屋に通されるなり、ジョゼは走り込んで行く。
「ノール!」
ノールは窓辺で優雅に紅茶を飲んでいた。そのテーブルをジョゼは両手で叩くと、サラーナ語で叫んだ。
「よくもそんなに呑気な顔していられるわね!」
テーブル上の陶器ががしゃんと揺れた。ノールはジョゼの方を見ず、紅茶をじっと見つめている。
「王が言っていたわ。クレールに関する新聞記事を書き換えるために、今から戦争を起こすんですって!」
どうやらそれは初耳らしく、ようやくノールの震える視線がジョゼを捉える。
「オル・ブフの民が、土地を追われるのよ。醜聞記事を戦争記事で上書きするためだけに!」
ノールは次第に困惑の表情になって行く。
「ノール。あなたのしでかしたことは、結局新たな戦争の引き金になっただけだったわ。この結果をどう思うの?国を追われたあなたが、新たな犠牲者を産んだこの結果を。あなたはそれで満足?」
ジョゼは彼女を見つめる。ノールは唇を震わせると、かつての主に反論した。
「私が戦争を起こしたんじゃない。王が戦争を起こしたのよ」
ジョゼは深いため息を吐いた。
「子どもみたいなことを言わないでノール。間接的に、あなたのせいだわ」
「でも……」
「そんなおためごかしを後から言うぐらいなら、しょうもない事件なんか起こさないでよ!」
ノールはガツンと紅茶をソーサーの上に戻した。
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
ジョゼは何か言おうとして、言い淀んだ。ノールは言い募る。
「スレン様だって、今のところ何も成果を上げられていないじゃないですか。女性議員にもなれず、法律も変えられない。推理でお金を巻き上げながら、男の遊び相手になっているだけだわ!」
「ふん。その言葉、そっくりあなたにお返しするけど?」
女二人では、まるで埒が明かない。
今までの方法では、この世界は変えられない。
そのことに気づいて、二人はすぐに言い争いをやめた。
「ねえ、ノール。私たち、何をすればいいのかしら」
「……」
「本当の味方って、どこにいるの?」
「……」
「男の力がないと、私たちは何も出来ないの……?」
ノールは深く考え込んでから、トランレーヌ語で執事に言い付けた。
「ジョゼ様にも、紅茶を」
執事が部屋を出て行く。ノールがジョゼに席を勧めると、彼女は神妙な顔でうつむき、席に就いた。
ノールがサラーナ語で語り出す。
「別の方法を考えなくてはなりません」
ジョゼは顔を上げた。
「でも、私もどうすればいいのか……よく分からないのです」
ジョゼは腕を組む。
「戦争になったら、トランレーヌはどうなるのかしら。私、買われて以降の王都の様子しか知らないの」
「確かに、私も戦時中のトランレーヌについてはよく知りません」
「アルバン二世の様子を見るに、国内には手が回らなくなるようね。帰ってから、城内の人間関係が滅茶苦茶になって直すのに苦労したそうよ」
「そうですか。となると、国内は一時的に混乱しそうですね」
「混乱に乗じて……でも、王と接することがなければノールにもはや何も出来ることはないわね……」
今後この国がどうなるのか、知りようもない。
「ところでスレン様。先ほど〝王が言っていた〟ということでしたが、それは王宮で王から直接お聞きになったのですか?」
ジョゼは答えた。
「そうよ。王はしばらく戦争にかかりきりになるから、愛妾たちの監視役をやってくれって言われたの」
「まあ……推理の次は監視ですか」
「とんだ便利屋に成り下がったもんだわ……」
「いいえ、スレン様。これはチャンスですよ。愛妾、つまり高級娼婦をうまいこと味方につければ、その周辺の人間関係も味方に出来ますから」
さすがノールだ。ずる賢いことにすぐに頭が回る。
「確かに私、高級娼婦の知り合いは少ないわね」
「彼女たちは希少種ですからね。普通に生きていて出会うことは滅多にありません」
「彼女たちに恩を売っておくか」
「男性貴族が兵士に取られるので、王都では高級娼婦が一番のお金持ちになります。取り入って損はありませんよ」
確かに王を攻めてこの結果ならば、その周囲を攻める方に舵を切るべきなのかもしれない。
「それに戦争は内と外の破壊行為ですから、何かが思わぬ方へ転がって行くかもしれません。難しいことですが──ピンチをチャンスに変えるという発想が必要なのかもしれません」
「何よそれ。占い?」
「そうするしかないのでは、ということです」
「あー、そういうことね……」
今までが順調に行き過ぎていた。それだけなのかもしれない。
ノールは言った。
「私なら、多少ですが愛妾の情報を教えることも出来ますよ。手分けして、アルバン二世の周囲に落とし穴を掘って行こうじゃありませんか」
「そうね」
「それから、これからも内密の話の時はサラーナ語で話しましょう。警官にマークされてしまって、トランレーヌ語で大っぴらに話すことはもう出来なくなりそうなので──」
そう二人が話し込む窓の下では、ベルナールとジネットがじっと耳を澄ましていた。
ベルナールは〝サラーナ語辞典〟を手にしている。
やはり全ては聞き取れなかった。彼はひとりごちる。
「サラーナ語が出来れば、二人を捕まえられるかもしれないな……」
ジネットが囁く。
「トラブルの芽は早めに摘まなければ……ジョゼさんのためにも」
「そうだな」
「最近、街では亡国サラーナから流れて来た遊牧民が最近密かにコミュニティを築き、トラブルを起こすようになっていますものね」
「ああ。表には出ていないが、裏社会では戦争に乗じて新たな種類のマフィアが生まれようとしているし……」
「彼らがジョゼさんやノールさんを担ぎ上げたら、厄介なことになるわ」
ジョゼがノールの屋敷を出て行くのを確認すると、二人は窓から離れて歩き出した。
「ジョゼはまだ急進党がスカートの裾を踏んづけているから安心できる。問題はノールだろう」
「証拠がないだけで、アラドの言う通り今まで城内で起きて来た事件にはノールが関わっていそうですものね」
「とにかく、早く二人を牢屋にぶち込んで安心したい」
「最近そればっかり言ってるわね、ベルナール……」
「ジネット、引き続きノールの監視を頼む」
「ベルナールこそ、ジョゼを見失わないようにね」
「……分かってる」
刑事はまだ見ぬ犯罪に警戒しながら王都へと消えて行った。
これにて10章が完結となります。
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