6節 碧き星の呼び声と使命の巫女
小さな頃、いつもおかしな世界が見えていた。
誰もいないところから楽しそうな笑い声がした。
何もない野原に途方もなく高い奇妙な建物があるような気がした。
一人でに動く鉄の馬車、変な服を着て歩く人々、空には白い煙を残しながら飛ぶ大きな鳥。
どれも少し透けていて、よく見ようと目を凝らせばすぐに消えてしまうので、お化けなんだと思っていた。
一人で過ごしていると、時々頭の中で声がした。
優しい女の人の声をしたそれは、まるで絵本を読むかのように、昔に生きていた誰かの話や、滅んでしまった場所、忘れられてしまった技術の話をしてくれた。錬金術という概念を教えてくれたのも声だった。
もしかしたら私のお母さんなのかもしれないと思ったけれど、ある日聞いたら違うと言われてしまった。
その声は、私に見えているものは過去の世界だと言った。
そんな不思議な出来事を大人に話してみたことはあるけれど、誰も本気にしなかった。気味悪がりもしなかった。
頭の中の声に何度も何度も繰り返し尋ねられたのは、いつか天使を倒しに行ってくれないか、ということだった。
七人の天使は、千年の時を過ごしてその在り方が歪んでしまった。ヒトを守護し、代わりに欲望や感情を分けてもらうという初めの約定を忘れ、ただ自分の理に従うことしか出来なくなっている。
寿命のない彼らがこれ以上壊れていくのを見たくない。
ヒトが本来の姿をこれ以上忘れていくのを見たくない。
声はそう言って泣いた。
幼心に可哀想だと思った私は、訳も分からず「いいよ」と答えた。
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「…………声は自分を『水の惑星』だと言った。かつて私たちはそれを地球と呼んだんだって」
時が経つにつれ、『使命』を果たすことが怖くなった。絶対に無理だと思った。どうしたら良いのかも分からなかった。
痛いのも、苦しいのも、大変なのも嫌いだった。だから聞こえなくなった声のことは忘れて、ただ本を読み、学ぶことで目を逸らし、変わらない毎日を過ごそうとした。
しかし、そこにラビが現れた。
「責められてるように感じたよ。もう、勇気を出さなきゃいけない時なんだって」
それでも言い出すのが怖くて、素知らぬ顔をやめられなかった。周りの大人たちがそうだったように、まるで信じてもらえないかもしれない。仲間にしてもらえても、捨て駒みたいにされるかもしれない。
未来が何も見えなくて、ここから先には進みたくないと思った。
「だけど、もう立ち止まるのは終わりにして、一歩踏み出してみようと思う」
新たな出逢いの中に、自分でも気づかなかった欲を見つけた。彼らと一緒なら、本当に出来るんじゃないかと感じた。
私も、君について行きたい。
「何が出来るか分かんないけど、何も出来ないかもしれないけど、君と一緒に旅をしたい! 君の使命を────私の約束を果たしたい!」
叫び切ったアルカが前を向く。
ラビはにっこり微笑んで、タブレットを胸元に掲げた。
『私は月の代行者。使命を帯びて此処に在る。────私はあなたの勇気を支持する』
「私の話、信じてくれるの……?」
再び涙を溢しながら、アルカは小さくか細く尋ねた。かつて誰にも見向きもされなかった御伽噺の現実。ただ、この貧しい生活を抜け出したいが為の嘘に聞こえてもおかしくない話。
『私は私のことを信じてくれたあなたを信じる』
ラビはそっと手を伸ばして、アルカの涙を拭いた。その無機物で出来た指先に生きた血は通っていない筈なのに、何故かとても温かくて柔らかく感じた。
「ええと、あと、それで、ラビについていくならヴァイスハイトさんにも許可を貰わないと、と思って……」
「いいですよ!」
「早い!! 軽い!!」
二つ返事で親指を立てたヴァイスハイトに、ラビが物言いたげな目つきを向ける。妙なことを考えているんじゃないだろうなと言わんばかりの不審そうな顔だ。
「あれ、何か僕疑われてます? まあ生活費の意味も込めて多少のお手伝いはしてもらうことになりますけどね。小難しい事情の話なら、もうラビがいるんですし色々今更じゃないですかー?」
「そうだけど……そうだけど……!」
ヴァイスハイトは伸びをしてから瓶を取り出して、僅かに残っていたらしい葡萄酒を飲み干した。
「言ったでしょう? 僕は傍観者だって。こんな面白そうなこと、特等席で見られるなら何だって構いませんよ」
こうして、復讐を背負う人形と錬金術師の少女と商人の青年の三人は、人類に仇なす罪深き旅に出た。
世界にはまだ、六人の天使が残っている。
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「ねえ、聞いた? アルカが居なくなったんだって」
「知ってるよ、夜の間に昨日の商人にくっついて出ていったんだってね」
「なんて怠け者なんだろう、自分の仕事も忘れてさ」
「酷い奴だね」
「ずるいよね」
「きっと天使様が罰を下されるよ」
「そうだね、怠け者は処刑されるよ」
「テンペランティウス様万歳!」
「……ところで誰が家畜小屋の掃除をするの?」
「それより誰が薪を集めに森まで行くの?」
「早く家の掃除をしてよ、洗い物だって溜まってる」
「ぼくは歌を歌わなきゃいけないよ」
「ぼくは楽器を鳴らさなきゃ」
「それじゃあ誰もやらないじゃない」
「だってそんなの、ぼくらの仕事じゃなかったよ」




