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【1章完結】天使の國  作者: 遠梶満雪
1章 無限焼却修整都市オピドゥム・アケディアエ
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5節 少女は夢にも見なかった

 午後の仕事とその手伝いを終えて帰宅したアルカとラビを迎えたのは、ヴァイスハイトが手配した温かな三人分の食事だった。


 丸ごとのパンに、きちんとした具材が入った出来立てのシチュー。新鮮なサラダの上にはよく焼けたベーコンまであった。

 決して特別なものではないが、それでもアルカにとっては口にしたこともないものばかりだ。


「こ、これっ、食べていいのっ……?」

「勿論! ラビがお世話になったようですし、雇用主としてのささやかなお礼です。お陰様で今日は儲かりましたー!」


 そんな風に軽口を叩きながら食器を出し、ヴァイスハイトは微笑ましげにアルカのはしゃぎようを見ている。

 それと同時に心中では、こんなにも分かりやすく粗末な生活を強いられる人間がいる、この楽園の(いびつ)さを気味悪がっていた。


「お腹が驚かないように、ゆっくり食べてくださいね」

「はーい!」

『いただきます』


 湯気を立てるシチューをそっと掬い、口に近づけたところでアルカの手が止まる。今すぐにでも掻き込んでしまいたいくらい、魅惑的で心地良い香りが鼻先へ漂ってくる。


 だからこそ恐ろしかった(・・・・・・)


 この味を知ってしまうのが怖かった。単なる親切心で準備されたのだろうこの幸せが、悪魔との契約にさえ思われた。


 きっと一口(・・・・・)食べてしまえば(・・・・・・・)私は使命から(・・・・・・)逃れることが(・・・・・・)出来ない(・・・・)


 そんな予感が頭の中をぐるぐると巡る。

 ここでこの味を知らないまま立ち止まれば、いつも通りの毎日を過ごして、ちょっと気の毒な普通の女の子として短めな一生を終えられる。


 そのほうが、『使命』を果たすよりずっと楽だと思う。


 ふと、手を止めたまま顔を上げた。


 無表情にパンを頬張るラビがテーブルの向かい側に、不思議そうにこちらの様子を窺っているヴァイスハイトが隣に座っている。


「毒は入ってませんよ」


 そんなの疑ってもないよ、と言いたくなるような冗談を商人は言う。


 暖炉には火が灯っていて、目の前には温かい食事があって、優しい誰かが一緒にそれを食べている。


 今、自分は欲しがることを思いつきもしなかった光景の中にいる。アルカはそれに気がついてしまった。


 じわり、と視界が滲んだのを感じて、まずいと思った。瞬きを繰り返して誤魔化そうとすると、どんどん鼻水が垂れてくる。啜ると涙が溢れてくる。


 とうとう大きな涙の粒がテーブルに太陽にも似た模様を幾つも描いた。


「どっ、え、泣い……何……そんなに!?」

『! !! ! !?』


 目を見開いて慌てだす二人に何も答えず、アルカは勢い良くシチューを食べ出した。量が減ってきたらパンを千切って掬ったし、カリカリのベーコンとサラダも涙と一緒に頬張った。


 心臓をバクバクさせながら、ヴァイスハイトがアルカの暴挙を止めようとする。


「あの、そんなに勢い良く食べたら……」

「…………おいしい」

「!」


 鼻をグスグス鳴らしながらアルカはそっと呟いた。


「…………おいしいよ」


──────────────────────


「おなかいたい」

「言わんこっちゃないですね」


 粗食に慣れ親しんだ胃は、急激に掻き込まれたまともな食事に耐えられなかった。


 藁のベッドで転がって痛みに耐えるアルカを、ラビが心配そうに見ている。ヴァイスハイトは無知な子供に教えるように言った。


「人間は脆いですからね」

『どうしたらいい』

「とにかく、これはもうそっとしておくしかないでしょう。僕は馬車に戻りますが……」


 ヴァイスハイトについて行こうとしたラビの長い外套の裾を、目を潤ませたアルカがぎっちり掴んでいる。


「……懐かれましたねえ、ラビ」

『:-)』


──────────────────────


 夜半、目が覚める。お腹はもう痛くない。月は滑稽に明るく、昼間のように物がよく見えた。

 アルカはまた同じベッドに入っていたラビに声をかける。


「…………ラビ」


 人形故にそもそも寝てもいなかったのか、すぐにパチリと瞼が開き、深海のような青い瞳がこちらを向いた。


「あのね、聞いて欲しいことがあって……ヴァイスハイトさんも一緒に」

『分かった』


 快諾したラビはベッドから元気よく降り、外へ飛び出していく。どうやら彼は『自分が役に立つ』ということに喜びを感じて活発になるらしい。アルカは寝癖を直しながら後を追った。


 ヴァイスハイトはあまり寝なくても良い性質のようで、灯りをつけて馬車の荷台に寝そべり葡萄酒の瓶をお供に本を読んでいた。ラビたちに気がつくと、それらをそそくさと片付ける。


「元気になりました?」

「うん」


 ついもじもじとしてしまうアルカを、ラビもヴァイスハイトもゆっくりと待つ。


「あのね、二人に言わなきゃいけないことがあって、その、明日じゃ時間もないから、今が良いんだけど……」

『大丈夫』

「ええ、構いませんよ」


 優しく意志を見せる二人に、彼女は少し安心したようだった。

 アルカは深く息を吐く。それから、真っ直ぐに二人を見据えて、自身の『秘密』を語り出した。


「実は、私────────────」

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