1節 錬金術師の少女
朝、目が覚めたらまずは家畜小屋の掃除をしに行かなきゃいけません。
掃除が終わったら彼らにご飯をあげて、それから雌鳥が産んだ卵を一つだけくすねて持って帰る。
一度森の中の家に帰って、茹で卵と乾き切ったパンだけの素晴らしい朝食を終えたら、今度は今日一日、村のみんなが使う分の水を汲みます。
もし、みんなが起きてくるまでに少しでも間に合わなかったら明日のパンがなくなっちゃう。
だから、足首を軋ませてでも足早になるのです。
午前中は村中の家を回って掃除したり、暖炉の灰を掻き集めたり。畑作業を手伝うこともあります。
午後には森に戻って薪を集めて村へ持っていきます。途中で木の実を見つけられたら幸運です。空腹を紛らわすことができますから。
そうして一日、くたびれることにすらくたびれるくらい働きます。すると、ようやく夕暮れ時に少しのお金と余ったパンを渋々ながら分けてもらえるのです。
それが私の在り方です。
仕方ありません。私には家族もいないし、村の中にも住んでないし、本当だったらとっくの昔に死んでいます。居場所を分けてくれるだけでも村のみんなには感謝すべきなのです。
仕方ありません。こういう暮らしをしているのは、私だけの話でもないのです。生きるため、たった数人の『働きもの』に何もかもを押し付ける。それがこの都市の選んだやり方なのです。
天使様は勤勉な者がお好きだから。
天使様は清貧な者がお好きだから。
働いて、働いて、働いて、働いて────そして何も欲しがらない。それが天使様の望む私たちの姿。そうある者がいる限り、彼はヒトをお救いくださるのです。
資源溢れる肥沃な土地も綺麗な水も温暖な気候も、この『楽園』の全てが彼の権能によるもの。
誰も彼に逆らおうなどとは考えません。何も思わず、馬鹿になって、ただ平穏に生きられれば良いのです。
そうして幸せに生を終えられる大多数に比べれば、使い捨てられる『働きもの』の何と些細なことでしょう。
ああ、そんな風に思い込みでもしなくては、とても正気でいられないのです。
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「そんな、まさか。天使様! この子を連れて行かれたら、この村はとても生きてはゆけません!」
俯く少女の両肩を掴んで、村長らしき中年の男が必死に嘆願する。その視線の先には、二人組の若者がいた。
背には美しい白の羽が一対。彼らこそは天使であり、この一帯を守護する『楽園の王』の遣いである。
天使たちは困ったように顔を見合わせると、窘めるように村長へ語りかける。その声色には、少女に対する憐憫と村人たちへの呆れが混じっていた。
「今日一日、彼女の徳を見ていましたが、よく努めておられます。是非、我らが王の元へお連れしたい。王もお喜びくださるに違いありません」
「一人抜けたらその分だけ、皆でより働けば良いではありませんか。それとも貴方がたは怠惰な堕落の徒なのですか?」
言い返しこそしないものの、頑なに頷かない村長に痺れを切らしたのか、天使たちは少女にも尋ねた。
「君はどうしたい? 我々と共に来るか?」
パッと顔を上げたところで少女の顔は強張った。
ギリ……と肩に村長の指が食い込む。余計なことを言うな、という睨めつけるような視線を背後に感じた。
少し眉を寄せて、目を泳がせた後、少女はか細い声で答える。
「いいえ、天使様。私はこの村が好きなので……」
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家に帰ると本を読んで勉強をします。
これは誰に言われた訳でもなく、私が私であるための作業。
いつからあるのかも分からない、知らない人の遺した空き家で、運良く手付かずのままだった学問書を何度も読んで覚えます。
錬金術が一番好きです。永遠の命なんてどうでもいいけれど、鉱石を弄ったり薬を作ったりするのは楽しいです。
村のみんなは錬金術には興味がないみたいです。訳の分からないものを学ぶより、毎日歌って遊んで暮らすほうが大事なんだそうです。まあ、私の大事な宝物たちを取り上げられても困るので、それはそれで良かったのかも。
そうして知恵を磨き、その埃で心の瞳を曇らせて、真に見るべきものから目を逸らすのです。
本当に怠惰なのはこの私。
あれこれ理由を引っ張り出して、自分の使命を隠すのです。
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翌日も彼女は森へ足を踏み入れる。
しかし、常とは違い鳥の囀りも狼の遠吠えもなく静寂に包まれたそこはまるで初めて訪れた場所のようだった。
小枝を踏む音だけが響く空間を少女は進む。
しばらくすると、木漏れ日の中、開けたところの落ち葉の上で誰かが、潰れた蛙のように倒れているのが見えた。それは自分と同じか、僅かに年下くらいの少年に思われた。傍らには布切れのついた棒が落ちている。
「…………!?」
慌てて駆け寄り軽く揺さぶると、彼は不安定にグラグラと起き上がった。ウサギじみた茶色の髪の間から、深淵のような青の瞳が覗いている。
「だ、大丈夫…………?」
少女が恐る恐る尋ねると彼はこくこく頷いた。それでもまだ少しぼんやりしているので、手持ちの水と拾った木の実を勧めると、彼は興味深そうに眺めてから口に含んだ。
ようやく落ち着いた少年はコミカルな動きで何かを探しているようだ。
彼が自分の身体をペタペタ触ってから、ホッとしたように取り出したのは薄い透明な板だった。少年はそれを誇らしげに掲げると、少女へそれを見るよう促した。
透明な板に文章が映し出される。
『あなたの親切に感謝を述べる』
「何その板!?」
『私には会話用の音声データが搭載されていない。文字での交流を許して欲しい』
「喋れない、ってこと……?」
少女は板を撫でてみたり透かしてみたりと不審そうな顔で見つめていた。
「ガラス……じゃない、樹脂? でも、どうやって文字を…………。き、君は一体……何なの……?」
少女の問いに少年は、旗を拾って立ち上がる。青地に白い星と紅白の線が描かれた鮮やかなそれは、もう誰もその名を知らない国の象徴だった。
『私はラビ。七人の天使を滅ぼすために月からやってきた』
それは人類への宣戦布告に他ならない。その意味を理解しているのかいないのか、彼は少女に微笑んだ。
『:-)』
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