7節 千年の遺物
初めは孤独な欠片だった。
名前をくれた。
姿をくれた。
意味をくれた。
それは定義に他ならない。
あなたのお陰で私は私になった。
それでも私とあなたの記憶は、とうの昔に擦り切れた。
私が生まれた、たった一つの理由のあなた。
────あなたの声が、思い出せない。
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「導きの星、あなたがこのような地下の奥まで至るとは思いもしなかったな」
そう、フォルティアは呟くように言った。
配管巡る鉄の壁。いつも通りの研鑽階層だが、しかし、一つ違うのは、見かけぬ客人が訪れていることだ。下層に近い通路を、客人──ポールはフォルティアと共に歩いていた。
「フフン! お仕事とあらば例え火の中水の中、いつでもどこでもあなたの為のポールちゃん! ですので!」
ポールは質の良いスリーピースを身に纏い、ぽんと胸を叩く。足元では溝鼠がうろちょろと駆け回っていた。
フォルティアが僅かに眉を上げた。
機械仕掛けの昇降機に乗り、暫く不快な浮遊感に揺られていると、最下層に辿り着く。
そこは、錆と土砂に埋もれた未開発の領域であり、研鑽階層にとっては唯一の資源──過去文明の欠片が産出される金脈である。
更に奥へと進みながら、フォルティアは口を開く。
「…………あれは、私がここに来たときはまだ稼働していた、と思う」
「ふむ」
「気がついたときには壊れていたようでな。私が代理を務めてきたのだが──ここに来て、とうとう相見えたという訳だ」
二人は足を止める。
その先には、明かりに照らされた鉄の構造物が聳え立っていた。
ポールが楽しそうな顔で微笑む。
「これはこれは、懐かしいものです。人類が到達した極地の一つ────原子の蒼き光とは」
「ロチェスター殿の見立ては間違っていないか」
「ええ。間違いなく、これは『原子炉』ですね。大戦末期に造られたものでしょう」
冷え切ったそれに歩み寄る。
ポールは壁を優しく撫でると、フォルティアの方へ振り返った。
「ここの電力供給を任されていたようですね。換気、水質浄化、照明、昇降機…………この代わりを務められるとは、フォルティア様には脱帽です」
「褒めても何も出ない。…………導きの星、これは我々に直せそうか?」
声色一つ変えずにそう問うたフォルティアに、ポールは申し訳無さそうに答えた。
「いやあ、難しいと思いますね。……何せ、設計図も何も残っていないでしょう。少しずつ解析を進めれば何とか……といったところかと」
「…………そうか」
「しかし、また、何故そんなことを?」
ポールの問い返しに、フォルティアは少し黙り込んだ。それから、言った。
「私は──これが、兄上の本質だと考えた」
「兄…………カリタシウス様の?」
フォルティアは頷く。
「我々天使は、元は一つの存在だ。だが、かつて七つに割れた際に、核の欠けた部分を補填する必要があった」
七つの流星として落下した後、自我無き核は生存本能のままに周囲のエネルギーを回収したのである。
そのとき新しく生まれたにも等しい彼らは、身体の大半を占めるエネルギーによって本質を定められた。
「兄上……カリタシウスは別格だった。あれほどの規模で権能を行使することは他の兄弟では不可能だ。瞬間の火力に最も秀でたテンペランティウスでさえ、最期には核が砕けたのだから」
「………………」
「その理由が、ここにあるのなら────」
フォルティアはそれきり黙って袖を一振りした。
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勇気とは、恐怖や不安、あるいは躊躇い、あるいは恥──それらを乗り越え、先へ進むことである。人間の意志が貫き通されたもの、と言い換えることも出来るだろう。
勇気の天使フォルティアは、それは武勇であると定義した。
彼女は闘技というシステムを生み出し、研鑽階層の全住民をその中に組み込んだ。勝者には莫大な賞金を渡し、命の価値がその者の強さによってのみ決定される階級構造。
天使フォルティアが何故このような社会の形を最善としたかは不明である。
そもそも、彼女が楽園の運営を開始するまでの動向は誰にも知られていない。どこに居て、何をしていたのか。誰を見て、武勇の理に辿り着いたのか。
否、誰も知ろうとしなかったのかもしれない。
兎にも角にも結果としてフォルティアは、六つの楽園の中で最も自立した社会を造りあげた。
彼女が介入するのは最低限の生存権のみ。空気は澱み、清い水もない、研鑽階層という死の空間を、生存可能な環境に維持することだけである。
しかし、逆説的に言えば、武勇の理に取り残された者たちは、最低限以上にはなれない。故に逃げ出す者も居れば、最下層で危険な労働に身をやつす者もいる。
それでもフォルティアは、それを改善しようとはしないだろう。何故ならば、ここに暮らす住民たちは誰も不満など抱いていない。等しく与えられる豊かな生活など僅かにも望んでいないからである。
盲目的な彼らには、自らの強さしか世界を変える術はない。
故にこの楽園は熱狂する。
武力と名誉の追求により、ここに人類は停滞した。
阿修羅研鑽階層イーラ・エト・インサーニア。
私はここを、そう名付けることにした。
(とある手記より引用)




