4節 使命と覚悟、それから試練
咳き込みながら街を歩く少年教皇を、掠れた声が引き留める。
「どうか、どうかお願いします、シックザール猊下。私たちにお恵みを…………」
そう言いながら地面に額を擦り付けていたのは、研鑽階層の地上部に暮らす貧乏な夫婦であった。
研鑽階層では武勇こそが理。闘技によって勝ち得た賞金の額によって命の価値が決まるが、かといって住民の全てが戦える訳ではない。器用な者は装備製作や戦術考案など強者の支援に回ることで生き残るが、それが出来るのも一握りだ。
そうして落ち零れていった弱者たちは、最下層の過酷な労働で生計を立てるか、地上に出て天使フォルティアの庇護そのものから抜けるしかない。
この夫婦は後者を選び、そして苦しんでいるのであった。
お付きのラヴィーネが遮るように立ちはだかる。
「説法も待たず、直に話すとはなんと恥知らずなことか! 弁えなさい!!」
「下がれ、ラヴィーネ。ムカつくがこれも仕事だぜ」
つまらなさそうに鼻を鳴らしたシックザールは懐から金貨を幾らか取り出すと、それを脇の水路に放り投げた。
金貨は汚泥の満ちた中に、とぷんと沈んでいってしまう。
呆気にとられる夫婦に向かって、シックザールは極めて嬉しそうに言った。
「どうした? 拾えよ」
はっとした二人はバネ仕掛けのように跳ね起きて、両手を汚しながら汚泥を漁る。生臭い匂いが辺りに飛び散り、夫婦は通行人から軽蔑と嫌悪の目で見られた。
シックザールはそれを見ると、クスクスと愛らしく笑って立ち去ってしまう。
夫婦は泥まみれの金貨を握り締めて叫んだ。
「彼はなんと慈悲深い方なのだろう、こうすれば、私たちは苦難の末に正当な対価を手に入れたことになるのだ!!」
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「ねえ、今の見た!? 信じられないんだけど! あれが教皇のすることなの?!」
遠巻きに一連の出来事を見ていたアルカが憤慨する。ラビは見慣れぬアルカの挙動に、少し慌てふためいているようだ。
ヴァイスハイトが苦い顔で答える。
「なんというか……彼は昔から少し性格に問題がありましたが、ここまで変わってないとは……」
「私、行ってくる!」
突然駆け出したアルカにヴァイスハイトが上擦った声を上げる。
「何しに!?」
「怒りに!!」
飛ぶように走っていったアルカは、たちまち彼らに追いついた。足音にシックザールが振り返る。
「ちょっと! さっきのは酷いよ!」
「は? なんだよお前!」
アルカが彼に伸ばした手をラヴィーネが抑える。細腕に似合わない腕力でアルカの手首を捻り上げた。
「…………っ」
「次から次へと……!」
忌々しげにラヴィーネが言う。
そこへ、ラビとヴァイスハイトが遅れて駆けつけた。
「アルカさん!」
ラヴィーネがアルカの手首を放すのとほぼ同時に、ヴァイスハイトが間に割って入る。シックザールは苛立ったように頭を掻いた。
「おいおい……どういうつもりだ、ヴァイスハイト。何でお前がここにいる」
アルカとラビが目を丸くして彼を見上げる。ヴァイスハイトはわざとらしく両手を軽く上げてみせた。
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「で、追いかけて来たのか? はあ、お人好しだな」
「教皇に言われたくないんですけど! 偉い人なんだから、ちゃんとそれらしい振る舞いをしたら良いのに!」
騒ぎの後、シックザールの滞在している宿までやってきたラビたちは、彼らに一通りの事情を説明していた。
「………………ヴァイスハイトとはアカデミーで首席争いをした仲だ、話だけは聞いてやると言ったが──『月の代行者』だと? 冗談も程々にしろよな」
『本当だ』
「いや何、疑ってる訳じゃあない。よりによってこのぼくに協力させようって魂胆が信じられないんだよ」
深く溜息をついたシックザールは、悪辣な笑みを浮かべて続けた。
「何で教皇であるぼくが、人類滅亡なんて大犯罪に加担しなきゃあいけないんだ? 寧ろここでお前らを取り締まる側だぜ、ぼくは」
その言葉にラビは首を傾げる。
『でも、現に捕まえていない』
「チッ、つまんねえ奴だな。ああ、そうだよ。ぼくは三大公の中じゃあ、一番お前らに肯定的さ。こんなクソみたいな世界、さっさと無くなったほうが良いからな」
そんな言い方って、と反論したアルカに、シックザールは冷たい目を向ける。その、幼さには到底不釣り合いな目付きにアルカは僅かに慄いた。
「おかしなことを言うなあ。だったら、お前は人間を絶滅させる覚悟も無しに、天使を倒すことが使命なんてほざいてる訳か? それとも、お綺麗な世界を壊そうなんて異常者か?」
「そ、そうなるって決まった訳じゃ……」
「そうなると決まった訳じゃあないが、そうならないと決まった訳でもない」
「そうならないように、頑張るの!」
シックザールはアルカに近づくと、アルカの胸倉を掴む。ラビが殺気立つが、ヴァイスハイトが制止した。
教皇は淡々と言葉を紡ぎ続ける。
「頑張るだけか? じゃあ、それが失敗したとき、どうするんだ? 世界中の人間から罵られる覚悟はお前にあるのか? 死にゆく人間の呻きを聴き続ける覚悟は? 全ての責任がお前の両肩にのしかかっても、押し潰されないでいられるのか? この世は奇跡で出来てないんだよ。それが分からないならやるべきじゃあないし、そんな奴に力は貸せない」
「…………!」
「ぼくはぼくがクズなことくらい死ぬほど理解していて全部やってるが、こんな自分のクズさも分からないような奴が星の巫女だなんて、がっかりしたよ」
アルカがはっとした顔をする。アルカのことについては何も言っていない筈だった。
「なんで、そのことを……」
「よーく知ってるぜ、小さい頃から誰かの声が聞こえて、過去の夢が見えて…………ぼくも、同じだからな」
だからこそ、ムカつくんだよ、とシックザールは吐き捨てる。
「結局お前が選ばれてぼくには何もなくなった。誰もぼく自身を見てくれない、何をしたって教皇としてしか扱ってもらえない! なのにそのお前がこんなお花畑だなんて、悔しくてしょうがないんだよ…………!」
シックザールが手を離し、アルカはぺたりと床にへたり込む。何かを我慢するように踵を返したシックザールに、アルカが声を放つ。
「どうしたら良い?」
「あ?」
「どうしたら、私の覚悟を示せる?」
声に怯えの色はない。
顔を上げたアルカの目には、しっかりとした光があった。シックザールは歯を食い縛る。
「………………ラヴィーネ、来い」
「はい、シックザール様」
白い髪をたなびかせ、傍に控えていたラヴィーネが進み出る。その手には身の丈ほどもある重厚な鉄の戦棍が握られていた。
「本当はぼく自身で片をつけたいところだが……そうも行かない事情があってな。こいつはぼくの部下の中で一番強い。一発でも当てられたら、認めてやるよ」
頷いたアルカは、腰のランタンを引き抜き、伸ばして杖に変える。戦棍を構えたラヴィーネにシックザールが命令する。
「殺す気で行け。負けるなよ」
「大丈夫、ラヴィーネはシックザール様以外に負けないもん!」
広い部屋の中、戦いが始まる。
アルカは唾を飲んで身構えた。




