2節 研鑽階層
重苦しい鎖の音と共に跳ね橋が架けられる。
実況の声に合わせて、十八人の勇者たちが順番に舞台へ進む。重厚な装備を調えた人々の中で、一際浮いているのは二番手を歩く優男である。
他のそれとは違い、防御などという言葉の欠片もない軽装で、ただ剣の一本のみを携えている。
その険しい眼光は、目の前を歩く猛勇の首を捉え続けていた。
「本日のメインバトル『ドラーゴ・ヴィットリオーソ』、いよいよ入場です! さあ、前年覇者ヴェスパー。今回も勝利は固いと目されています!! しかし王座を眈々と狙う二番人気フィエロ、現在三連勝! この勝負、両者が中心になりそうですね」
盛り上がる客席から一段上の廊下で、ラビたちはその光景を眺めていた。どこで手に入れたのか、ヴァイスハイトは古びたオペラグラスを片手に楽しそうにしている。
「ここは賭け闘技をしているんです。正しく言えば闘技のみが本体で、賭け部分は半ば公認になりかけているだけの裏商売なんですが」
「賭けって何?」
ひょこりと首を伸ばしたアルカが不思議そうな顔で彼を見上げた。ラビはその横で何かの紙切れを興味深げに嗅いでいる。
「まあ見ていてください。さっきのチケットは持っていますね?」
アルカは、「フィエロ」と書かれた小さな紙を握って頷いた。これは試合が始まる前、路地の入り組んだところで身なりの良い男から買ったものである。
「全員が初期位置に着きました! 『ドラーゴ・ヴィットリオーソ』、開戦です!!」
甲高い鐘の音と共に、大歓声が巻き起こった。
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──────ひと月と少し前。
「あら、ロチェスター。あなたが来るなんて珍かな。皇帝陛下が手離さないと思っていましたが」
御簾の向こう、仄かに花香る女性がそう呼びかける。参上したのは、細身の身体に優しげな面立ちの、黒髪の青年だった。腰に佩いた鈴のついた剣が軽く揺れる。
「その陛下に、研鑽階層へお使いさせられてなー。ついでに寄り道しに来たんよ。あー、引き篭もりには辛いわあ」
三大公が一人、理想帝国の『騎士』イアン・ロチェスターはそう言って笑う。
「逆に会わせてもらえてこっちがびっくり仰天よ。ほら、ぼく格好いいやん? ユースティさんがヤキモチ焼くかなと思っててんけど」
「様をつけなさいな不埒者。……ご心配なく。彼は最近お忙しいようで、安寧圏を離れていますの」
扇を開いた女性──『花巫女』シュファ・シャンティが呆れたように声を上げた。
「それで……わざわざ会いに来たのには理由があるのでしょう。申し上げなさい」
「え……、理由が無かったら駄目なん……? そんなん大公会議で話せばええやん……?」
「シックザールに聞かれたくないのでしょう?」
その声にイアンは動きを止める。
静かに座り込んだ彼は目を閉じて頭を掻いた。
「あーもー、敵わんわー、全部お見通しって」
「そちらこそ、どうせあの人が不在なのを分かって訪れているのでしょうに」
シュファが手元の香を焚くと、侍女たちが引き下がる。人気が無くなったのを感じ取って、イアンは言葉を発した。
「『月の代行者』の件や」
「…………!」
数週間前、光明諸島で『暴動』が起きた。地獄絵図の様相を呈したそれは、天使スペーシアの消滅をきっかけに発生したと考えられている。
しかし本来、天使たちは核が破損するか、極端なエネルギー不足に陥らなければ死ぬことはない筈である。現状の光明諸島でそれが起きる可能性はほぼなかった。
この不測の事態に、即座に情報収集へ出かけたユースティから、スペーシアの消滅に関して『月の代行者』の情報がもたらされ、それによって天使たちは初めて「天敵」の存在を認知した。
そして、三大公イアン、シュファ、シックザールはこの未知なる『月の代行者』を、ヒトの守護者たる天使を滅ぼし人類断絶を企む悪しき存在である、と定義した。
「『月の代行者』は必ず他の天使のとこにも来る。そして、そのためにぼくらに接触しようとする筈」
「そこで食い止めろ、と言いたいの?」
「ま、妨害出来れば御の字やね。少なくとも天使を一人殺してる相手を人間の身で止められるとは思わんわ」
何故、とシュファは零した。
「何故、シックザールには言わないの」
「そらまあ、あの子は『本物』やし。それに、人間なんて滅んだほうが良いって本気で考えとるタイプやん」
本物。とシュファは繰り返す。
「ユースティ様やポールもそうだけれど、あなたの言っていることも時々難しい。千年の存在というのは複雑で儚く、興味深いものね」
「やめてやー、まだぼく二十九よ」
顔の前で手を振って否定するイアンは、ゆっくりと腰を上げた。
「それはともかく、な。…………よろしく頼むわシュファちゃん。人類史、続けていこか」
「………………ええ」
イアンの去り際、シュファが御簾を上げる。
「あなたは、何の為に?」
凡人では意味を図りかねるような問いだった。
騎士は片目を瞑る。
「二度と陛下を裏切らん為、よ」
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研鑽階層に再び鐘の音が鳴る。
ヴェスパー、と呼ばれていた大男が崩れ落ちた。
静かに剣を納めたのはあの優男、フィエロだった。
しん、と静まり返った後、割れんばかりの歓声が湧き上がった。それに応えるという訳でもなく、フィエロは早々に跳ね橋を渡る。
「うん、前評判通りですね。強いものです」
ヴァイスハイトがオペラグラスを下げ、満足そうに頷いた。食い入るように見ていたアルカは我に返ったように振り返る。
「勝った、けど、どうなるの?」
「僕たちはそのチケットを五千ペインで買いましたね?」
「うん」
「今回、彼のオッズは二番人気、三倍でした。つまり、このチケットを元々売っていたところに持っていけば、一万五千ペイン返ってきます」
その言葉に目を丸くしたアルカが飛び跳ねる。
「賭けってすごーい!! 気持ち良ーい!!」
「わはは、君はギャンブルに手を出してはいけないタイプかも知れないですねえ」
ぎゃいぎゃいと騒いでいる二人を尻目にラビは売店で買った大きいソーセージを頬張っている。ぺろりと食べ切ったところで、ぴくりと振り返った。
『…………』
「んだよ、お前らもあいつに賭けたのか。死ぬほど正しいが、死ぬほどむかつくぜ」
金の義肢を燦めかせ、見知らぬ少女が近づいてくる。彼女はホットパンツに、臍を出すような丈の、黒いインナー、その上からくたびれたパーカーを着込んでいる。その露出の多い格好には、色気というより戦意のようなものが感じられた。
後ろではおどおどした長身の男が、紙袋を被った奇妙な出で立ちでこちらの様子を窺っている。
「あなたたちは……?」
二人を見てアルカが尋ねた。
「オレを知らない? クソ、これだから田舎者は。どうせそのダセえ格好、修整都市辺りの出身だろ」
「なにをーーう!? そっちだってこんな陰気臭いとこに籠もってるんじゃないの!」
噛みつかんばかりに言い返すアルカに、口の悪い少女は歯を剥いて笑う。
「何だよ、やる気か? いいぜ、乗ってやるよ」
「………………ま、待って……」
長身の男のか細い制止にも彼女が留まる気配はない。
一歩踏み出した彼女からアルカたちを庇うように、ラビが旗を構える。
「ふん、脅せば怖気づくかと思ったが。…………そんなら丁度いい。ちったあその目にオレの輝き、焼きつけていけよ!」
そう言って、金色の光は拳を構えた。




