1節 三大公
研鑽階層は最も貧しい楽園だ。
陽もなく、土もないここではまともな食物は育たず、他の地域から売ってもらうしかない。鉄の部品に囲まれた地下空間はどこまでも奥に下にと伸びているが、危険が多い為に居住には向かず、住居は常に足りていない。
天使は発展に興味がない。ただ、最低限の生存のみを保証する。光を灯し、各階層に空気を送り、飲み水を浄め、どこからともなく湧いてくる害獣共を排除する。
それを一人でやっているのだから、当然そこから零れる者たちも出てくる。彼らに待つのは、暗闇の中での死だ。
ここでは強い者しか生きられない。
ここでは稼いだ賞金が全て。
そう書くと、まるで生きるために戦っているのだと思われそうだが、そうではない。
我々は、戦うために生きている。
もっと強く、もっと強く、もっと強く。
自らの価値の証明を。
命を燃やし、血を流し、それでも叫ぶのだ。
『勝ちたい』と。
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「修整都市からの旅のお方ですね。『大火災』は大変だったでしょう。どうぞ、ゆるりとお休みを。お荷物は部屋へ運んでおきますね」
「よろしくお願いします」
ラビ、アルカ、ヴァイスハイトの一行は、二週間ほどの馬車旅を終えて研鑽階層の地上部に辿り着いた。交易地や宿場町としての役目を持つここが、地下に広がる楽園『研鑽階層』の唯一なる玄関口である。
早速宿を取り、大きな荷物と長旅に疲れたアンヴァンシーブルを預け、各々、ひさかたの寝台に寝転がっていると、ラビがぴくりと起き上がる。
「どうしたの?」
『外が騒がしい』
そう言われて耳を澄ますと、確かに人々のざわめく声と鐘の音がする。興味津々に窓に張り付く二人を見て、椅子に腰掛け金勘定をしていたヴァイスハイトが片眉を上げた。
「ああ、この音は…………」
見たほうが早いと思いますよ、と言われ、連れられて外へ出る。扉を開けると、より一層、ざわめきと鐘の音は大きくなる。人混みに近付くと、ヴァイスハイトは親切そうな人の肩を叩き、彼らが向いている方向を指さした
「これはどなたがいらしているのですか?」
呑気な顔をした男は気分良さそうに答えた。
「若教皇シックザール猊下だよ! 難民の慰問と説法に来てくださったんだ。みんな、有り難いお姿を一目見ようと必死だよ」
「若教皇?」
下からぴょこんと顔を出したアルカが不思議そうに聞き返す。ヴァイスハイトがこっそりと耳打ちした。
「三大公と呼ばれる貴人のお一人ですよ。教皇シックザールは『懺悔城砦』で最も位の高い人間です」
「はじめてきいた…………」
ヴァイスハイトはアルカを肩車して、人の山から頭を突き出させてやる。目を凝らすと、確かに遠くに立つ少年の姿が見えた。
ラビも見たがって無理やり攀じ登ったので、ヴァイスハイトの腰は死んだ。
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灰がかった黒髪が揺れる。
若教皇シックザールはゆったりとした上等な衣服を纏って人々の前に立つ。傍には長い白髪を綺麗に揃えたラヴィーネが静かに目を伏せて待っている。
「ヒトよ、より祈りなさい」
声変わりも迎えていない、透き通るような声が響く。
「ヒトよ、より願いなさい」
顔色を悪くしながら彼は語る。
「強く祈り、強く願うだけ、天使様は応えてくださいます。そうすれば、彼らはあなたたちを救ってくださる。祝福を与えてくださる。光明諸島や、修整都市のようなことは二度と起こりません」
理に従い、約定を果たすのです、と言ったところで、突然咳き込んだシックザールが蹲る。真っ赤な液体がぱたぱたと床に落ちた。どよめく群衆を尻目に、控えていたラヴィーネが駆け寄る。
「シックザール様!」
「カハッ、ゲホ、ゲホ…………クソッ!」
シックザールはラヴィーネに肩を支えられてそのまま壇上を去る。ただその際に、一言を残して。
「天使様は仰いました。『祈りを捧げよ、願いを捧げよ。さすれば我ら、祝福を授く』」
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ラビたちには到底手の届かない高級な宿屋。
赤に塗れた服を着替えさせられ、乾き始めた口周りの血を拭き取られながら、寝台に腰掛けたシックザールはけらけらと笑った。
「ラヴィーネ、おい、面白かったな。並んだ人間共の間抜け面、爆笑もんだったぜ」
「ちょっと、喋らないでよう!」
「知るかようるせえな。あーあ、あいつら必死になって祈っちゃってさあ。ぼくが『泥水を啜れば幸せになる』って言えば本当にやりそうだよな」
ラヴィーネは困ったような顔をして黙っている。そんな彼女の頬にキスを落とすと、シックザールはつまらなさそうに、力なく横たわった。
「……いつもの薬を持って来い。あと、鎮痛剤も頼む」
「…………はい」
口付けの感触を反芻しながら、ラヴィーネは静かに立ち去った。
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「三大公は『安寧圏』『理想帝国』『懺悔城砦』にいる、人と天使の橋渡し役として自由に天使と会うことが許された存在の総称です」
『他の楽園には居ない?』
「ええ。そもそもテンペランティウスのように、天使自身が大っぴらに姿を現しているなら必要ないですからね」
宿屋に戻ると、ヴァイスハイトの講義が始まる。
三大公────『花巫女』シュファ・シャンティ、『騎士』イアン・ロチェスター、そして『若教皇』シックザール・ザイン・レーツェル。彼らはそれぞれの領域の天使に認められ、その意志を広めるために遣わされる人間たちである。彼らを通さずして、天使に会えるということはまず無い。
「追々は、そこの辺りも考えていかなければなりませんね」
「偉い人に会わなきゃなのかあ。ちょっと大変かも」
「むしろ、研鑽階層の天使に会うことの方が大変なのでは? 何せ、彼女は人とほとんど関わりませんから」
『研鑽階層中を虱潰しに回る』
何としてでも自力で探し出す、と言わんばかりにふんすふんすと意気込むラビに、ヴァイスハイトは人差し指を立てた。
「まあまあ、僕に考えがあります」
『考え?』
「たった一つ、天使フォルティアに会う方法があるのですよ。少しばかり運任せですがね」
意味ありげに笑うヴァイスハイトに、ラビとアルカは首を傾げた。




