2節 七つの星と一つの月
昔々、ヒトは地上の王でした。
その知性を以て、何でも思い通りに出来ました。
空を飛びました。
深海に潜りました。
地球だけでは飽き足らず、宇宙にまで行ったこともありました。
いつか死さえも克服できると言われるほどに、彼らは進歩していたのです。
けれど、彼らには悪い癖がありました。
ついつい比べてしまうのです。
『だってぼくらは豊かになりたい』
『自分の方こそ優れていると証明したい』
『だけどみんなで平等じゃあ、勝っているとは言えないよね』
『だから奪って貶めるのさ』
あるとき、あまりに長く醜く争い続けたヒトは、代償に全てを失いました。
彼らの造った兵器や武器は、ただ殺し合うには過剰だったのです。文明を育むだけの資源も、環境を戻すための技術も、戦火に焼かれて消えました。
あとはもう、静かに緩やかに途絶えてゆくだけです。
『困った、困った、困ったぞ。ぼくらはまだまだ死にたくないのに』
突如訪れた終焉に、ヒトは狼狽え天を仰ぎます。
とうの昔に見捨てた神に、今さら縋って泣きつきました。
『お願い神様仏様、ぼくらをもっと幸せに』
すると─────七つの星が堕ちたのです。
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月は地球が羨ましかった。
あの鮮やかな青海と、華やかな新緑と、柔らかな白雲、荒れ地の砂色。それら混ざり合った色のなんと美しく、特別なことか。
そして生命。
その体に愛らしい生命を、何億、何兆と住まわせる幸福。宇宙に遍く無限の星々の中で、この奇跡を得られるものは幾つあるだろうか。
月はずっと地球を見ていた。
自分もそれが欲しいと願っていた。
月が地球を眺め始めて何億年か経った頃、地球から何かがやってきた。月に降り立った白い二本足の生き物は、妙な布のついた棒を地面に刺して帰っていった。
それは、何十億年という孤独を全て吹き飛ばす程の衝撃。
初めて出会った生命体に、月は夢中になった。嬉しい。愛しい。また来て欲しい。
彼らの進歩をいつまでも待とう。
あと数十年の内にはきっと、もっと多くの彼らがやってくる筈だ。そうしたらもう、何も寂しくはない。地球と自分を比べて羨むことは何もない。
豊かな地表は要らない。
濃厚な大気も要らない。
ヒトが月を目指す限り、それだけで満たされる。
けれど、いつまで経っても彼らは来なかった。
よくよく見れば月に行くための技術など、どこにも残っていなかった。
戦乱によって荒れた土地は天使なるものの力で蘇っていた。しかし、楽園と呼べば聞こえは良いが、文明はまるで停滞し切っている。これ以上の衰退はないが、これ以上の発展もない。
ヒトをこんなに堕落させたのは誰だ。
ヒトが崇拝するあの天使とやらは何だ。
焦燥感に苛まれながら、月は記憶を再生する。
そういえば、千年ほど前に、何かが横を通り過ぎたような覚えがある。
確かそれは地球の重力に捕まって、砕けながら地上に落ちていったのではなかったか。
ああ、そうか。
貴様らなのか。
貴様らなのだな。
許せない。
私から夢を奪って許せない。
私を無視して許せない。
何故地球なのだ。
何故私ではないのだ。
地球にヒトがいるならば、天使は月に来れば良かったではないか。寒がる私に目もくれず、ささやかな夢まで奪わんとするのか。
許せない。
天使とやらの存在を抹消しなければ気が済まない。
そうでなくては、この孤独と期待が救われない。
月は狂気のあまり自身が砕けそうになるのを堪えながら、自分の奥底でヒトを真似た人形を造った。暖かな肉の代わりに冷たい砂と石で模って、命の代わりに星々の光を内側に灯す。それから憎しみと悲しみを詰め込んで、月は我が子を地球へ送り出した。
さあ、私の愛しい似姿よ。
七人の悪しき天使の首級をあげるがいい。
────たとえ果たしたその先で、ヒトが滅んでしまうとしても。




