17節 祈りのみを祝福に
アルカはそっとテンペランティウスを離す。彼はその場に力なく座り込んだ。
最早、彼に敵意はない。ぼろぼろと、ぼろぼろと。炎ではない、本物の涙を流していた。
「ミスタ、私は────」
なんということを、と呆然と呟いた後、彼は仰向けに倒れる。もう身体に力は入らなかった。
「天使テンペランティウス。あなたの負けだ」
ラビが旗を下ろす。ころん、と鈴の音がした。
自身の終わりを悟りながら、テンペランティウスは讃えるべき勝者たちに語りかけた。
「…………私を倒した者たちよ、あなたたちの名を聞こう」
ラビは短く自身の名を掲げ、天使と同じ金色の髪を持つ少女ははっきりとその名を答えた。
「天使様、私は、アルカ・ミスタと言います。千年樹の森の東にある村に暮らしていました」
テンペランティウスは驚いた顔で、目の前の少女を見つめる。それから、全てを悟ったかのように笑った。そんな彼を不思議そうに覗き込むアルカの瞳には、しっかりとその笑顔が、鏡写しに映り込んでいる。
「良い、名前だ。………………君の故郷を焼いてしまったことは謝るしかない。いや、許さなくていい」
「いえ、どうしようもない村でしたから。それに、私こそ謝らなくてはいけないのです。私を、善き娘と呼んでくれたあなたに」
「何の間違いがあろうか」
「いいえ、私は怠惰でした。与えられた使命から逃げ、言い訳をし続けていた。私はたった今から、本当にやるべきことを為すのです」
テンペランティウスは彼女の柔らかな髪に触れようと手を伸ばし、思い直してやめる。その時、彼の核はついに限界を迎えて砕け散った。
「………………ならば、今度こそ使命に最後まで向かい合うが良い。そして、その旅路に祝福があらんことを。我らの為す祝福ではなく、ただ、祈っておこう」
その身体は炎の欠片となってほどけていく。
テンペランティウスは目を閉じ、言った。
「ああ、あなたは、ずっと、近くにいたんだな。何より美しい──私の弟よ」
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天気雨が降り始めた。
何も無くなった地面に、アルカは半分炭になった木の棒を刺した。花も何も供えられない、一人ひとりを悼むことも出来ない墓だった。
テンペランティウスの『修整』は、楽園のおよそ南半分を焼き尽くした。範囲内にいた生命はおそらく何一つとして生きていないだろう。それはつまり、アルカの育った村も灰に消えたことを意味していた。
一人でしゃがみ、ただ手を組んで祈るアルカを、ラビはじっと見ている。そんな彼女に声をかける影があった。
「どうしようもない村、だったんじゃないんですか?」
どこに隠れていたというのか、ひょっこりとヴァイスハイトが姿を現す。
「…………まあ、それでもね。というか今までどこ行ってたの? 私たち凄い頑張ってたんだけど?」
『姿が見えないから死んだのかと思ってた』
「うわ酷い言い草!! 僕、戦いは苦手なんですって言ったじゃないですか!! というかあんなの、常人には無理ですって!!」
ぐいぐいと髪や袖を引っ張る二人に、ヴァイスハイトは精一杯抗議する。しばらくして、アルカが自分の服に顔を埋めて泣いていることに気がついた。
ヴァイスハイトはその背に柔らかく手を回す。その姿は子どもをあやす親のようでもあったし、懺悔を聞く神父にも似ていた。
「…………本当に、どうしようもない人たちだったよ。嫌いだったし、憎んでた。でもね、それでもね、──あの人たちが居なかったら、私はここに居ないんだよ」
赤子の状態で捨てられていたアルカにとって、命と存在理由をくれたのが彼らであることに変わりはない。彼らの怠惰を否定することは、自分に与えられた全てを否定することだ。
アルカには、かの楽園の王のように彼らを『不要』と断ずることは出来なかった。
「……そうですか。いえ、それで君が楽になるなら一緒に悼みましょう」
ラビもね、と彼が微笑むと、人形は不思議そうにして着いてくる。三人で墓の前で祈りながら、アルカは、とうとう大きな声を出して泣いた。
世界にはまだ、五人の天使が残っている。
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「ねえ、聞いた? 天使様がいなくなったって」
「知ってるよ。それに、南の方は全部焼けたんだってね」
「これからどうしよう」
「どうしようか」
「ここから立て直すのは大変だよ」
「ただ生きるのだって大変だよ」
「働き者って言ったって、何も無いところからは頑張れないよ」
「頑張ったってどうにもならないかも知れないよ」
「面倒臭いなあ」
「面倒臭いね」
「だけどさ」
「天使様は種を沢山遺してくれたね」
「資材も沢山残ってる」
「僕たち、農業のやり方も、建築のやり方も知ってるね」
「天使様はどうにも出来ないことしか助けてくれなかったもんね」
「やり直せるね」
「やり直せるよ」
「やり直そっか」
「やり直そう」
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「これから修整都市はどうなるんだろう」
馬車の中で、そうアルカが呟いた。
パチパチ瞬きをするラビに、重ねて続ける。
「光明諸島みたいになっちゃうのかな」
『祝福を失って、暴走する?』
こくん、と頷いたアルカに、ラビも眉を寄せる。ヴァイスハイトは黙って考え込んでいた。
だけど、とアルカは外を見る。
雨上がり、湿った剥き出しの地面の上。そこにはちらほらと、薄緑の芽が見えていた。
「もしかしたら、皆もやるべきことを見つけられるのかもね」
ここまでで一章は終わりとなります!
面白かった、と言っていただけることが多くてありがたいことこの上ないです!今後とも応援よろしくお願いします!




