10節 濁りて尚、光輝く彼こそは
鷹の羽に白銀の鎧。光のような金の髪がたなびいた。彼こそは『修整都市』が楽園の王、テンペランティウス。
きつい紅玉の瞳が小さな叛逆者たちを見下ろす。
初めにラビの持つ旗に目を止め、それから目を丸くして驚いているアルカを見た。
彼はおもむろに口を開く。
「…………そうか」
眉間に皺を寄せたまま、テンペランティウスは指を一振りする。すると、羽の意匠が施された小さな栞が現れた。
「……これは、城に出入りする為の許可証だ。規律を満たしている者には等しく渡している。城の書庫など好きに使え、善き娘よ」
そう言って栞をアルカに渡すと、テンペランティウスは踵を返す。翻った外套から剣の鞘が覗いた。
「娘の善行に免じ、一週間は城下に逗まることを許す。だが、それを過ぎれば疾く修整都市を発て。我が楽園を脅かすこと、なん人たりとも罷りならんぞ、月の代行者」
そのまま立ち去るテンペランティウスを、天使が慌てて追いかける。ラビは背中の旗に伸ばしかけていた手を下ろし、少し深く息を吐いた。
『一度、ヴァイスハイトのところへ戻ろう』
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その晩、アンヴァンシーブルを預けた馬宿の隣の食堂で、幾つもの料理を三人で囲みながら、ラビとアルカは事の顛末をヴァイスハイトに語って聞かせていた。
「いやあ良く我慢しましたね!」
ワシワシと両手でラビの頭を揉み撫でるヴァイスハイト。ラビは不満げにしつつも食事を優先するあまり、されるがままだ。
アルカがとろけたチーズを吹き冷ましながら首を傾げる。
「我慢ってどういうこと?」
「だってほら、獲物が突然目の前に現れたら、そのまま殴りかかるくらいはしそうじゃないですか」
『失敬な』
自身への不当な評価に憤慨しつつ魚の小骨に苦戦するラビは、いつになく真剣な眼差しだ。一方、ヴァイスハイトは器用に肉の塊をナイフで小さく切り分ける。
「いやいや、出会った当初は実際そうでしたよ。成長したんですねえ」
『…………自分ではよく分からない』
自分で喋る必要が無い為、先程からラビの食事の手は休むことを知らない。便利そうで少し羨ましいなと思うアルカ。
「とにかく、何か色々バレちゃったみたい。でも私は城に入っても良いって。優しいんだか怖いんだか分かんないよー!」
「話を聞く限りですが、彼は我々と積極的に敵対しようという気は無いようです。まあ、心底から真面目なんでしょうね」
りんごのパイを平らげたラビは、ヴァイスハイトの言葉に頷く。テンペランティウスの様子を見るに、彼にとっては修整都市の維持こそが最優先で、力尽くで脅威を排除することを嫌がっているようだった。
『だけど、こちらはそういう訳にもいかない』
鼻を一つ鳴らしながら、ラビは堕落の匂いを感じ取っていた。
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「…………足労感謝する、導きの星よ」
冷酷な闇と無音を斬り裂いて、気怠げに玉座に肘を付いた男が述べた。彼は『理想帝国』のカリタシウス。全てを慈しむが故に、抱く温もりを残らず誰かに分け与えた者である。
間もなく謁見の間に現れたのは、中性的な雰囲気を帯びた女、ポールだった。
「こちらこそ、拝謁のお許し、恐悦至極にございます、陛下」
傷一つなく磨かれた床を、良く使い込まれた革靴の踵が小突く。カリタシウスは興味深げに顎を上げた。
「改めて、その速さには驚かされるものだ。つい先刻まで修整都市に居たのだろう? 我々ですら、その距離に一晩は掛かる。面妖なことよ」
「まあその辺りは企業秘密ということで。その代わりといっては何ですが、陛下ご希望の皆様の動向はしっかりと調べて参りましたー!」
そう言ってポールが手元のスイッチを押すと、パパーンと気の抜けた音が鳴る。カリタシウスが眉一つ動かさないのを見て、ポールはそそくさとスイッチを仕舞った。
「とは言えど、明らかに方針が変わったのは『修整都市』と『研鑽階層』くらいですね」
テンペランティウスは落ち着きを欠いており、修整都市の各地から勤勉な民を中央へ招集している。また、フォルティアは下層の住民を用いて何かを始めようとしているようだった。
『安寧圏』のユースティは通常運転を続けているが明らかに外敵を意識しており、『懺悔城砦』のフィデミアは未だ様子を伺っている、というのがポールの見解であった。
「少なくとも、『月の代行者』の存在は貴方がたの思考パターンを変容させています。──失礼、陛下からすれば、これは面白くないかも知れませんね」
「よい。それも許容することが私の努めだ」
カリタシウスは指先で軽く唇を撫でながら、何か思案しているようであった。
「『月の代行者』…………月は、それ程までに我々を憎むか。────不毛なことよ」
「何を言おうと、一時は神性さえ持っていたお方です。厄介な相手を敵に回しましたねえ」
けらけらと笑うポールにカリタシウスは少し横を向いた。
「神か。我々はその概念を有さないが、故に興味深い。高位の存在でありながら、その定義をヒトに頼る。導きの星よ、月は何故『神』ではなくなったのだ」
「ワ……! 難しい質問……! うーん、そりゃまー色々とありましたけど──やっぱり一番は『見られてしまったから』なのでは?」
カリタシウスの沈黙が言葉の続きを催促していた。ポールは少し冷や汗をかきながら顎に手を当てて講ずる。
「あー、古来より人類は月の光に魅せられていた訳なんですが……神格化しかり、伝承しかり……」
「手の届かぬ異界の存在であったと」
「そうですね。……しかし、憧憬する彼らの進歩こそが神秘の幕を剥がしてしまった。蓋を開けてみれば、月はただの石と砂ばかりで、ウサギも姫君も居やしませんでした、ってね」
ただ科学の矛が向く先に墜ちた月は、最早その信仰を保てない。人類は終いには現実の空間として足を踏み入れ、文明の痕跡さえ残した。
「まあそれでも、地上から見える月は綺麗だって認識は変わりませんでしたけどね。…………貴方がたも、本当の姿を知られたら『天使』ではなくなるのでしょうか?」
ポールの疑問に、カリタシウスは目を細めた。
「さあな、だが恐らく、その時に我々を再定義するのはヒトではあるまいよ」
「ああ、成程…………」
カリタシウスは少し眠たげだった。先程からその金色の目をよく瞬かせている。
「──ふむ、良き講釈であった。私は………………少し、眠る」
「あらら、随分とお疲れのようで。仕事のし過ぎなんじゃないですか? しかし用向きが終わったのなら、私もこれで」
こうして二人の会談は終わる。
背を向けるポールの足音に耳を澄ませながら、カリタシウスは瞼を閉じた。




