9節 勤勉の都
長閑な森の合間を抜け、花咲き乱れる丘を越え、ラビ、アルカ、ヴァイスハイトの乗った馬車は修整都市中央、城下街へと近付いていく。
遥かに聳える石積みの壁。それはいつかの模倣なのだろうか。何に備える必要もない筈のこの世界で、ただ人々を区切るように置かれていた。
「中央には特に天使が多いです。彼らは自我を持つと言えど楽園の王の端末ですので油断なさらないように。全て筒抜けになると考えてください」
ヴァイスハイトの言葉に二人はこくこくと頷く。
それから、いよいよその壁の石目まで見えようかというほどの距離に来ると、少し離れたところに天幕を張る、やつれた人々の姿があることに気付く。
「どうしたんだろう」
アルカの疑問に、ヴァイスハイトが目を凝らして答える。
「あれは…………服を見るに光明諸島の方々ですかね。暴動から逃げてきて、もっと北に行こうとしているのかもしれません」
「ふぅん…………」
そこへ、何もかもを失った彼らの為にある天使が食糧を持って現れた。
人々はたちまち呻き声を上げて群がる。老若男女で食事を奪い合い、掴んだままに胃へ詰め込む姿は、生き物ですらない別の何かを見ているようだった。
「…………光明諸島の規律は『安心』だったそうです。衣食住の全てが天使スペーシアによって保証され、人々は未来のことなど考える必要がなかったのでしょう」
それを突然取り上げられ、錯乱状態に陥った人間たちが、ただ目の前の生に縋りつこうとして胃を満たす。喉に詰まらせ窒息しようが、膨れた腹が堪らず裂けようが、ただ喰らう。それだけが彼らの救いであった。
「我々がこれからしようとしていることは、そういうことなんですよ」
さらりと言ってのけたヴァイスハイトは、少し首を傾げてラビの方を向く。
『それでも、堕落した魂は誰かが浄化しなければいけない』
ラビは一枚の羽根を掌に乗せ、ただ静かに見つめていた。
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「すごいすごい!! すごーい!!」
目を輝かせ、アルカは飛び跳ねながら辺りを見回す。商人の一行として問題なく門を抜けた三人は、城下街メインストリートにやってきていた。
舗装された大通りの両脇には隙間なく木と石の建物が建ち並ぶ。柿色の屋根瓦で統一された街並みは、まるで一つの作品のようだった。
路端で広げられている露天商の品に吸い寄せられるアルカとラビを、ヴァイスハイトがすかさず引き戻す。
「迷子になりますよ」
「イィーーーーッ!!!!」
好奇心に駆り立てられ、もぎゃもぎゃと暴れるアルカを見かねて、ヴァイスハイトは馬車を指差した。
「分かりましたよ……。僕はしばらくこの辺りで取引しているので、ここの通りだけなら見てきても良いことにします」
次の瞬間、二人の姿はどこにも無かった。
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天使や人間が多く行き交う大通りは、小柄なアルカたちにとっては深い森と同じだった。
お互いにしっかりと手を繋ぎ、姉弟のように連れ立って歩く。人混みに慣れていないラビは少し気が立っているようで、頻りに周りを見回していた。
「遠くから色んな人が来てるんだね」
『ヴァイスハイトのような人間がこんなにいるとは思わなかった』
天使によって完全に需要が満たされている今の世界では、商業の価値はほぼ無くなったと言っていい。それでも、嗜好品レベルの品物に関しては未だに小規模な交易が続けられているようだった。
修整都市からは革や木材が提供される代わりに、研鑽階層で採れる鉱石やジャンクパーツ、安寧圏で人気の装飾品、理想帝国で製造される細工物や書籍などが並べられ、人々はその使い道も分からないままに買い求め、無意味な宝物として愛している。
「そこのお嬢さんと坊や、綺麗な石はお好きかな?」
義足の老人が二人に声をかける。
彼は襤褸の筵を広げていて、その上には幾らかの小瓶や小石が転がっていた。
「好きだよ! 何か良いものはある?」
「そうさなあ、この青いのはどうかな? そのままでも、砕いて絵の具にしても素敵だよ」
老人が石を一つ拾って二人に見せる。深く暗い青色をしたそれはあまりに脆く、持ち上げるだけでぽろぽろと欠片を落とした。同じく石で造られたラビはその光景に恐れ慄いている。
『…………!!』
「ラ、ラビの目の色に似てて格好いいね! でも入れ物が無いとちょっと困るかな……お爺さん、こっちは?」
アルカが指差したのは、透明なガラス瓶に入れられた銀色の粉だった。陽光を浴びて煌めいている。老人は髭の疎らな顎を撫でる。
「面白いものに目が向くねえ、これは水を掛けると燃える砂だよ。だからこうやってしっかり蓋を閉めとくのさ」
「うわーーー!! それ欲しいーーー!!」
思わずポーチを開いたアルカに、老人がお値段を耳打ちする。
「……すみません……出直します……」
『:-O』
美しくも危険な小瓶は、つい先日からお小遣いが貰えるようになったばかりの少女にはとてもとても手が届かなかった。
アルカは顔を赤らめ、肩を落とす。
すると、ラビが老人をつついてタブレットを差し出した。
『私が払う』
「坊や、そんなに持ってるのかね?」
老人の言葉に、ラビは無造作にポケットを探る。それから出した掌には、溢れんばかりの硬貨が握られていた。
「おお、それなら足りるぞい」
『じゃあこれ下さい』
支払いを終えたラビが小瓶をアルカに渡す。
「あ、ありがとう!」
『:-)』
素直な礼に親指を立てるラビは嬉しそうだ。襟巻きに隠れた口元は分からないが、ニコリと目を細めていた。
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「あれ、君!」
機嫌良く歩いていたアルカとラビと、すれ違った天使が声を上げる。足を止め、振り返るとそれは見知った顔であった。
「あっ、村の天使様!」
「なんだ、こちらへ来れたのか! 心配していたんだ」
彼は以前にアルカを中央へ誘った天使の片割れである。天使は傍らにいた天使の袖を引くと、その名を呼んだ。
「ほら、テンペランティウス様! あの子です、前に報告した善き民の!」
赤い瞳が振り返り、アルカの姿を見る前に、青い瞳とぶつかった。




