1節 七人の天使と或る人形
雨が降る。
黒雲が空を覆い尽くして、雷鳴と雨音が何もかもを掻き消した。
泥濘の中に這い蹲って、猛禽のような羽を力無くばたつかせていたのは、ヒトに似た美しい何か。血と雨に濡れた彼女は、泥を掻いて手を伸ばそうとする。まだ諦めていないのだ、まだ希望を失ってはいないのだ、と。
そして、それを見下ろす一人の少年。いや、目を凝らせばそれは生命ではなかった。寸分の狂いもないように均一に設計された完全な人形。彼が深く被った頭巾付きの外套は、雨が染み込み黒ずんでいる。
『天使スペーシア。あなたの負けだ』
彼の持つ端末に、機械的な文字が浮かび上がる。彼が持つ旗がくるりと回り、決着を告げた。
「ひとりぼっちの月のひと」
羽の彼女は掠れた声で言った。
「希望のないモノ、願いのないモノ、お前は何と醜いのだろう」
形ばかり真似をして、と呟いて、彼女はゆっくり瞼を閉じた。それは命の終わりだった。ほどけるようにどろどろと、彼女の姿は溶けてしまい、最後に一枚の羽根だけが残る。
それを拾い上げた少年は、表情の変わらぬまま目を伏せた。
それから彼は襟巻きに顔を埋め、足早にその場を立ち去った。
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希望が死んだよ、と或る天使が円卓で言った。長く切り揃えられた射干玉の黒髪を揺らして、折れそうなほど細い脚を艶めかしく組む。その姿は誠に麗しき少女に見えた。
「殺されたのか? 正義、貴様はそれを黙って見ていたのではあるまいな」
自尊心の高そうな騎士の姿をした天使が円卓の向かいから問い詰めるように聞いた。彼は苛立っているのか、眉間に皺を寄せて机に前のめりになって肘をついている。
「そうカッカするなよ! らしくないぞ、節制。直接見た訳じゃない。あの子の楽園が壊れるところに行き当たっただけさ。気の毒だけど、そういうことだろう?」
「…………どういたしますか、我が兄。愛よ」
凍えるような雰囲気を纏った女王の姿をした天使が握った杖を少しばかり傾けた。それに応えたのは立ち居振る舞いの高貴な気難しそうな青年だった。他と違って彼には羽がない。
「難民は我々で手分けして受け入れよう。信仰、お前の『懺悔城砦』には如何ばかり余裕がある」
「三千は。つい先日にも断罪したばかりですので……」
それを聞いて、カリタシウスは静かに頷いた。
すると、それまで黙っていた若い女剣士の姿の天使がすうっと手を挙げた。
「私の『研鑽階層』には入れられない。住居も物資も不足している」
「勇気、それは貴様の怠慢だろうが。地下に引き籠もって戦いばかりして」
噛みつくようなテンペランティウスの態度に、彼女は答えこそしなかったが明らかに殺気立っていた。伏せていた瞼を僅かに開けて、彼のほうを睨めつけている。
「よい。その分は帝国で引き受ける」
カリタシウスが仲裁するようにそう言った。
「いがみ合うより、まずは悼もうではないか。肉を分けた我らが姉妹の死を悲しもう」
「そうだね」
「そうだ」
「そうしましょう」
「そうするべきだ」
そうして、愛、正義、信仰、勇気、節制は希望の不在を嘆いた。知恵はどこにもいなかった。




