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天使の才能  作者: WK2013
5/9

5.天使と牛丼並盛

「図書館・図書館学」のNDC(日本十進分類法)は「010」。だから図書館関連の書籍は、図書館のフロアの一番隅っこに排架されることが多い。我がキャンパスの図書館では、おもに地下2階と地下3階の開架書庫の隅っこに並べられている。地下2階は日本語の教科書や文献が並び、地下3階は主にレファレンス資料や外国語の資料。マイさんのような学部2年生は、地下2階の書籍のお世話になるのだろう...

 ...あ、いた。

 地下2階の分類「010」の書棚を見つめる彼女。ボクの存在には気付いていない。その瞳の輝きに、この子は本当に本が好きなんだ、ということを改めて気づかされる。

 今日のマイさんの出で立ちは、白のポロシャツに少し色落ちしたインディゴブルーのルーズジーンズ。ぺたんこの黒いスニーカー、ウェリントンの眼鏡と、後ろで括った髪は変わらない。

 ボクはというと、「二週間に一回くらい、不定期」という学内でのサイクルを崩してもいいのだろうかと、などと変なことを考えて、声をかけられずにいた。


「あっ、タイさん。いらっしゃったんですか」

 ボクに気付いた彼女が、館内なので小声で言う。

「やあ...探し物?」とボクも小声で言う。

「勉強に疲れて、なんとなく眺めてました。タイさんは」

「午後一からゼミの仲間と次回の準備でディスカッションやって、その後論文の検索とかして、やはり疲れたからブラブラしてた」

「今日はバイトがあるんですよね」

「ああ、9時から」

 腕時計を見て彼女が言った。

「じゃあ、これからうちの駅前のアーケード街で牛丼食べるんで、ご一緒しませんか」と、囁くような声でマイさんが誘う。


 大手チェーンの牛丼並盛一杯が、学食のカレー大盛とほぼ同じ値段。食事について「学食カレー本位制」を採用するボクにとって、贅沢の範疇には入らない。

 マイさんの最寄り駅の改札から、アーケード街を5分ほど歩いたところにある牛丼店の、カウンターに二人並んで並盛を食べる。

「マイさんが牛丼が好物とは、意外だったなあ」

 食べ終わって水を飲みながらボクが言う。

「一人暮らしを始めてからです」

 彼女は、残り少ない汁の染みたご飯を、丼鉢の縁でお箸を器用に使って丁寧にまとめては、口に運んでいる。

「試しに入って食べてみたら結構美味しかったので、夕飯作ったり洗い物する元気がないとき来てます。月に2回くらいでしょうか」

「ボクは頻繁には来ないけれど、時々無性に食べたくなることがある。おかげさまでしばらく、『牛丼欲求』に襲われなくてすみそうだ」


 ごちそうさま、と言って食べ終わった彼女。水を一口飲んで言う。

「タイさん、少しだけお時間よろしいですか?」

「10分くらいなら大丈夫だけど」

「じゃあ、手短に言います。この週末に、母親と会うことになりました」

 一度会おう、という話を以前からしていたところ、この週末土曜日に会わないか、という連絡がきて、待ち合わせの場所と時間を決めた。会う日が近づいて、だんだん緊張してきたのだという。

「もう8年以上会っていないし、ああいうことがあったので、どんな反応をしてしまうか、不安で...」と下を向いてマイさん。

「お父様には話したんだよね」

「はい。でも父は離婚の当事者ですし、誰か家族以外にお話しして、どう振舞うのがいいか聞きたかったんです...」と相変わらず下を向いて彼女が言う。

「じゃあ、ボクも手短に言うね。そのとき感じた気持ちをそのままに表したらいいんじゃない? 泣きたければ涙を流せばいいし。怒りたければ噛みついてやればいい」

「噛みつくんですか?」と言って、彼女はボクのほうへ向く。

「刑法に抵触しない程度にね」

 プラスチックのコップに残っていた水を飲み干すと、彼女が言う。

「ありがとうございます...気持ちが、少し楽になりました」

 相談に乗って貰ったからボクの分の牛丼代を出す、とマイさんは言った。けれど、ボクは固辞して自分の分を払った。


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 とは言ったものの、お母様と会ってマイさんがどうなっただろう、と気掛かりな土曜の夜を過ごし、翌日曜日、「キッチン・アンジュ」へと向かう。6月も末になっていた。

 いつも通り出迎えてくれる奥さん。寡黙なご主人も変わらない。

 マイさんも普段と変わらない。

 カウンター席の奥に並んで、2時から授業をする。初めの頃は当惑気味だった彼女も、だんだん要領を得てきたようで、質問内容からも、確実に知識を習得していることがわかる。ペースも当初の目論見通り。

 キリのいいところで、3時少し前に授業を終える。マイさんがご主人に本日のランチを注文する。彼女は、今日はビーフシチューのセット。ボクは変わらずサラダセットのサラダ、ライス大盛り。

 しばらく黙って食事。ボクは時々彼女のほうに目をやり、様子を窺う。昨夜のことを聞きたいのだけれど、彼女が話してくれるのを待つことにする。

 食事の半ばくらいから少しずつ会話が始まる。先ほどの授業に関して。7月に発表される芥川賞、直木賞について。


 二人ともほぼ食べ終わった頃、マイさんが昨夜のことを話し始める。

 副都心の駅近くのビルの上層階にある、日本料理店の前で待ち合わせ。彼女は約束の時間の少し前に行った。

「目印とか決めてなかったんです」と彼女。

「目印って『ピンクのブラウスを着ている』とか、『紀伊国屋書店のカバーをかけた本を持っている』とか?」

「そうです。まあ、いざとなったら電話番号もメアドもわかるから、連絡取りあえばいいかって」

「で、どうなったの?」

「約束の時間に、キャリアっぽい女性がやってきました。すぐに母だとわかりました」

 思い出すように少し間をおくと、ボクのほうに向いて彼女が続ける。

「会った瞬間、二人とも思わず笑い出したんです」

「どうして?」

「だって、眼鏡がわたしと同じウエリントン。しかも同じべっ甲柄で色目も一緒。母が眼鏡をかけるようになったのは最近なんです。それなのに、わたしと全くおんなじ形、おんなじ色のフレームを選んだんですから。『なんやかんや言っても親子だねえ』って」

 そう言うと彼女は微笑んだ。

 日本料理店で食事をしながらお互い近況報告をして、また時々会おう、ということになったという。

「おかげさまで、涙を流したり、噛みついたりすることなく過ごすことができました」

「ボクのアドバイスは不要だったね」

「そんなことありません。お話を聞いてくださったおかげで、落ち着いて向き合うことができました。ありがとうございました。お礼に、今度こそは牛丼をご馳走させてください」

「ご馳走してくれるんだったら、その日本料理店がいいなあ」とボクがニコリと笑う。

「じゃあ、スポンサーが見つかったら、ということで」とマイさんもニコリ。

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