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天使の才能  作者: WK2013
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1.天使と図書館情報学

「天使の才能」――― 本の一節をそう読んでしまった...ん? 読み直すと「天賦の才能」。


 夜明け前に見た夢に、天使が現れたからだろうか。

 背中の肩甲骨のあたりに羽根が生えた天使は、低い山並みの上に広がる、ところどころ雲が浮かんだ青空をバックに浮遊していた。

 夢の中の天使の容貌を思い出せずにいたところへ、研究室の扉をノックする音。「失礼します」と言いながら、バックパックを背負って本を一冊抱えた女子が入ってきた。


 その子の姿が目に入った瞬間、夢で見た天使の姿にぴったりと嵌まった。


 端正な顔立ち。知性を湛えたその顔には、どこか少年の面影が感じられる。お化粧は控えめ。かなり度が強そうな眼鏡はべっ甲柄のウエリントン。セミロングの黒髪を後ろでシンプルに括っている。

 身長は同年代の女子より少し高いくらいか。ほっそりとした上半身。スレンダーなボディラインに絶妙に調和する微かに丸みを帯びた腰。ゆったりとしたデニムの裾から覗く足首はとても細い。平底ぺたんこの黒いスニーカーが、彼女の脚の長さを強調している。


「天使に会いたくば図書館に行け」と聞いたことがある。図書館情報学の教授の研究室に天使が現れても、別に不思議なことではないのかもしれない。


「失礼します。神野じんの教授はいらっしゃいますでしょうか」

 応接セットのところに来ると、その子はボクに言った。

「打ち合わせと言って出て行かれましたよ。4限はゼミがあるから、戻ってこられるとしたらその後かな。ご用件は?」

「教授にお借りした本を返しに来ました」

「預かって、4限のゼミのときに返しておこうか?」

「いえ、感想を聞きたい、と教授が仰っていたので、直接お渡ししたいんです」

「なら、4限が終わった頃、もう一度来たら?」

「わかりました。ありがとうございます」

 教授のデスクのほうを見て立っている彼女。ボクはソファーの右側に寄りながら声をかけた。

「よかったら、こちらどうぞ」

「失礼します」

 彼女はソファーの左側に腰かけた。

 座った彼女の脚のラインが見てとれた。想像に違わぬ美しい曲線。可愛らしい膝小僧をしているのだろう。

 大きなバックパックを下ろし、抱えていた本を膝に置く。その長い腕は、細さの中に不思議な逞しさを感じさせた。


 彼女は、ここ私立M大学の2年生。T県の天歌市出身で去年の春、文学部に入学。図書館情報学専攻に進み、この4月からこちらのキャンパスに通うようになった。

 ボクは東北の雪深い町で育ち、東京近郊の国立H大学を卒業して、4月にM大学の図書館情報学の修士課程に入学した。

「お互いここのキャンパスは日が浅いね」

「そうですね、なかなか慣れなくて」

 4月の終わり近く。しばらくキャンパスにまつわる話をした後、彼女が立ち上がった。

「4限の予習をしに図書館に行きます。あ、名前言うの忘れてました。わたしは坂上麻衣さかうえ まいといいます」

「ボクは、円城寺太えんじょうじ たい

「よろしくお願いします。円城寺センパイ。では、失礼します」

 彼女はボクに軽く会釈し向きを変えると、教授から借りている本を抱えて研究室を出て行った。


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 彼女と次に研究室で会ったとき、彼女は故郷の天歌市の青空のことを話してくれた。

「天歌で一番自慢できるものって、低い山並みの上に広がる青空なんです」

 桜と紅葉で有名な旧天歌藩十万石の城址公園、伝統工芸品、長く続く白い砂浜、国内有数の漁獲高を誇る漁港と新鮮な海産物...いくらでもある名所・名物の中で「広い青空」のことを彼女は自慢げに語る。

「条例で中心部でも高い建物が建てられなくて、人口20万の都市にしては珍しいくらい、人工物で区切られることのない空が広がるんです。それにT県は日照時間が長くて、晴れの日が多いです」

 ボクの出身地は周囲を山に囲まれた小さな町。だから人工物で区切られない空の広さでは負けないけれど、雪国で冬場はなかなか青空に恵まれない。


「東京都心は、やはり空が狭いですね」

 メッツォ・アルトの声で彼女はしみじみと言った。広い平野の一角にあるH大学のキャンパスから移ってきたボクは、まったく同感だった。

 木々に囲まれたキャンパスを一歩出ると、都心の南側の街並みはどこまでも高い建物が続いていて、北西端の大使館のあたりを除くと、人工物で区切られない空はほとんど見当たらない。

「慣れるまでは窮屈に感じるんだろうね」

「わたしも1年は郊外のKキャンパスでしたから、円城寺センパイと同じです」

「その『円城寺センパイ』という呼び方、どうかな...厳密にはセンパイじゃないし」

「どうお呼びすれば?」

「うん、名前の「タイ」で読んでくれれば」

「じゃあ、『タイさん』にしますね」

「キミのことは『マイさん』でいいかな」

「嬉しいです。脚韻を踏んでいますし」

 ご褒美をもらった少年のような笑みが、彼女の顔に広がった。


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


「高校のときは、女子4人組のバンドをやっていました」

 ほぼ二週間に一回、マイさんは神野教授の研究室にやってくる。「本は二週間以上借りない」が彼女のポリシーなのだそうだ。

「ギターを始めたのは小6のときです。楽器屋のショウウィンドウに飾ってあったアコギの虜になって、父にせがんで買ってもらいました」

 その後、名門の女子中学の合格祝いにエレキを買ってもらい、二丁使いでしばらく軽音部のサポートプレーヤーとして活動。高校に進んで、上級生のバンドからの誘いを断って、バンド未経験、楽器未経験、音楽未経験のメンバーで4人組のバンドを結成、一からバンドを作り上げたという。

「バンドの名前は『ミクッツ』。オリジナルメンバーのボーカルの子が転校してしまったんですが、ボーカル未経験とは信じられない逸材が加入して、高校3年まで存続できました。その子はまさに救世主でした」

 タイさんは音楽は? と聞かれて、ポピュラー系はあまり興味ない、残念ながら、と答えた。


「そういえば、マイさんはH大も受けたんだよね。どうしてM大にしたの」と聞く。

「H大の図書館情報学群って理系カラーが強いように思って。わたし、理系が苦手な根っからの文系人間なんで、図書館情報学専攻が文学部にあるM大にしたんです」と、少し目を伏せるようにしてマイさんが答える。

 けれども専門科目のシラバスに情報系の科目が結構あるので、図書館の「司書さん」のイメージとは、かなり違っていることに改めて気づかされたという。

「そうだね。情報の媒体が急速に紙から電子に変わってきている。図書館で電子ジャーナルを検索したことはあるでしょう?」

「ええ。少し」

「情報提供という機能だけを見れば、いずれ『図書館』という器はなくなって、『司書』という職名も『情報コーディネーター』とかに変わる時代がくるかもしれないね」

 M大の図書館情報学専攻には3つのコースがあって、図書館系1つと情報系が2つ。

「やはりこれからの時代を考えたら、情報系を選んだ方がいいでしょうか」

「『人々の知識活動を支える』という図書館の役割に着目すれば、情報系以外に取り組むべき課題は、これからの時代もいくらでもあると思う。じっくりと考えて、自分の興味があるものを選んだらいいんじゃないかな」

「安心しました、そう言っていただいて」とマイさん。

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