もんすたぁといっしょ
自分だけのオンリーワンな人生が欲しいと、思うことはあるだろうか。
僕にはある。
平凡すぎてつまらない人生の中でいつも変わったことが起きないかなぁとか、まるで御伽噺話のような、空想上のあり得ないことが起きないかなぁとか思って生きていた。
人は必死に生きていると言うが、僕は惰性で生きている感が強い。まだ人として生まれて日が浅いからだろうか。
まぁ、何が言いたいのかと言うと、チートとか超能力とか異世界転生とか、そういったファンタジーものに憧れがあった、ってことだ。
『あった』
そう過去形。文字通り憧れが存在していた。今はと言うと存在していない。
ないのである。
頭を空っぽにして読める類の読書を楽しむ僕は、その日、本屋にいた。
古びた本屋にいたわけでも、個人商店のような小さな店にいたわけでもない。ただの全国に一定数あるような有名系列の一店舗。
ほどほどのやる気を兼ね備えた店員さんが彷徨く店内で、あまり推奨されてはいないであろうが、立ち読みをしていた。
漫画だのライトノベルだのをチマチマと、一時間ほど読みふけり、そろそろ帰るかと、その場を後にした。
居座った上に何も買わないで帰っていくたちの悪いタイプの客である。ちなみに僕はコンビニ入って目当てのものがなければ即何も買わずに出て行くようなタイプでもある。
そして店から何事もなかったかのように出て行き、家に帰って、さて風呂に入るか飯にするかと考えたところで違和感に気がついた。
さっき、僕、何も買わなかったよな?
それなのに何故バッグの中に本がある?
いや、見覚えのある本ならいいんだ。いつも持っている本ってあるだろう。僕も手持ちにいつも二冊ほど持っていく。
それ以外にもう一冊。見覚えのない本が入っている。
訳がわからない。無意識に盗ってきたのかと恐怖に震える。
最近の科学技術の発展はすごい。あっちこっちにカメラがあったり、商品が店の外に出たときにわかるようにセンサーをつけていたりする。
ではなぜ僕は持って帰ってこれたのか?
そもそもこれはあの本屋のものなのか?
疑問は尽きない。
とりあえず、バッグの中身を確認する。
財布、携帯、ティッシュ、ハンカチ、ポーチに…本。
特段変わったものはない。
続いてこの見覚えのない本を確認する。
タイトルは読めない、見知らぬ言語だ。気味の悪い様々な色を混ぜ込んだ水彩色が一面にバーンと載っている。よく見ると一般的な本とは違い、個人で作ったかのような手作り感がある。本自体はしっかりしているのだが、中をパラっとめくると古びて黄ばんだ紙が並んでいる。
中に書いてある言語も読めない。挿絵もない。
本の裏には取ってもいないのにバーコードや値札がないことから本屋の本ではないと思う。
もう無意識窃盗犯になったのでないなら、どうでもいいかとその本は本棚にしまって放置されている。
『ずらあはくおき、りえがみよ、のもたしし。たいがのもるめとも、おなもでれそ。』
『るなくなれぐめはちのい。ごいさ、らたれらめとも。』
これが最近の僕に起きた変わったこと。
変な本を手に入れたからといって、誰かがやってきて何かに巻き込まれて、なんて漫画のようなことはいつまで待っても訪れず、他に変わったことはない。
「テ……べゥ…ツミ…ナロ」
頻繁に聞こえるようになった幻聴とか、たまに視界がぶれて変な奴らに囲まれる幻覚とか見るようになったのは気のせいである。
最近ストレスでも溜まっていたのかもしれない。世の中ストレス社会だから仕方がない。
少し頭痛がする。
薬局で買った市販薬、効果は薄かった。
『テエ゛ヘレ゛・ネ゛べゥツミオ・シチナロ』
授業中やたら耳につく声も気のせいだ。
幻聴だ。マボロシだ。僕は何も聞こえてなんていない。
そろそろお医者にでも行った方がいいのかもしれない。
声に邪魔され先生の声が聞こえない。
やたらと声を張り上げるような大声で喋る先生に今日ほど感謝した日はない。
まぁ、授業内容が全く耳に入ってこないのだけど。
この一時間、耐久レースだ。はじめの十分、僕は耐え切った。
『ヌテヲトマドカ』
あれだけ大きかった彼の声もだんだんかき消されていく。
意味がわからない。人間の言葉なのか判別がつかない。
やたら高音で、機械音と言うには感情的で、耳に付く。
耳が痛い、もしくは頭が痛い。
脳を直接引き裂かれるかのような、手でベリィっと左脳と右脳にばらされたような感覚。言っていてわけがわからない。
あまりに青い顔でも晒していたのか、それに気がついた先生はこちらに向かって何か喋っている。口を動かしている。それだけはわかったものの僕の耳は幻聴の相手で手一杯だった。
『ネ゛ヌイナ゛ーハ』
パチリと視界で火花が飛び散り、やたら不快な『おやすみなさい』はやってきた。
最後に見たのは、国語教師の男性教師。
声の大きな仕事熱心の悪くない先生だった。
だからといって何故こんなときに最後に見たのが彼なのか。
どうせなら、巨乳美女とか優しそうなほんわかお姉さんとかが良かった。めちゃくちゃイケメンな二次元の嫁でもいい。
僕の世界は一度暗転する。
キィィーと、錆びて動きづらい扉を動かしたような音がした。黒板引っ掻いた音みたいで顔をしかめる。
ホコリ臭い。身体が軋んだように痛む。
何があったのかわからない。
「テテド? テッテー?」
気がついたら謎の言語を行使する奇妙な生き物が視界一杯に広がっていた。
叫び声を上げ、情けなくも震えた僕を、攻める者はいなかった。
ウニョウニョとした黒く粘着質な身体を持つ化け物。
ゼリーというにはぷるんといった質感はなく、強いていうなら粘り気のある水っぽい『でんぷんのり』みたいな質感だ。
目玉は四つバラバラについている。僕を見据える灰色の目玉が三つと、腹の部分?にあるくすんだ赤色の目玉。
スライムという単語が頭に浮かんだが、青色でもなければプルルンとしたゼリー質でもない。イメージの可愛らしさや清々しい色はどこにもなく、あるのは汚物のようなグロテスクな見た目ととてつもない不快感。
「テテドー? テテド? テッテッテー」
さっきから謎の言葉を僕にかけてくる黒い生き物。
黒い身体がパックリと割れて声を発するのではなく、身体の中心から震えて音を出しているようだ。どちらにしろ気味が悪い。そんな見た目に反して声は高音で、幼女の金切り声みたく耳につく。
サッと場所を確認すると、僕は地面に転がされていたようだ。
地面には黒い墨汁…いや錆びた黒ずんだ赤色のような液体で丸っこい異界文字のような羅列が並んでいた。
僕を中心に円ができている。文字の羅列でできた円だ。
魔法陣に見えなくもないが、図形のような線はなく、円形に並んだ文字に囲まれているといった風だ。
その円の外には、これが地獄ですと言わんばかりの化け物たちが勢揃いしている。R18-G待った無し。
僕まだそんな歳じゃないんだけど。
口の裂けたけむくじゃらな身体が裂けて二つの頭、目がない獣。
やたらと背が高く細長い黒いナニカ。
目の前の化け物と同じ粘着質の生き物の色違い…赤…青…紫…どれも色濃く不気味だ。
石像のような質感の肌を持ち、まん丸の球体が大きな大きな目玉を文字通り溢れそうなほど飛び出している生き物…。石像だったらそれほどよかったか、身体は石なのに目玉は生き物らしく瑞々しさが見てわかる。他にもウジャウジャと、天井に地面に足元に……エトセトラ、えとせとら……。
もうどこを見たらいいのかもわからない。
気絶したいのに、ここで気絶したら死ぬかもしれないという事実で体が震えて意識が落ちない。
僕は何故こんな目にあっている。
「テッテットー、テテドテテド」
謎の生き物は謎の音声を発しながら、ウゴウゴと身体を震わせ感情的になる。
喜んでいるのか怒っているのかはたまた悲しんでいるのか、僕には全くわからない。
非常識的な日常が欲しいとは思ったが、ホラー小説の中に入りたいなんて、ひとっことも言ってない。
発狂しかけているのに、ヒステリックに叫ばないのは、僕の内気で気弱な性格ゆえなのだろうか?
テテテテと鳴く化け物をその場で震えながら見ている僕。
他の生き物も何故だかゆっくりと近づいてくる。
来るなよ、やめて、まって、食べないで、殺さないで。
いろいろ言いたいことはあったが、声が出ない。
少しでも目を逸らしたくて、自分の身体を見る。ただのいつも通りのパーカーとジーンズはいた普通の僕だった。
うちの学校は私服校なのだ。
ともかく、僕自身は普通そうだ。
そうだこれはきっと夢だ。
授業に飽きて居眠りしている僕の夢。きっとそのうち先生か生徒に起こされる。もしくは授業が終わってから鳴るチャイムで目覚めるはずだ。
なんだ、心配いらないじゃないか。
僕は安心した。夢なら何されようが何をしようが、現実世界に全く関係ない。おそらく、本屋に行ったあたりでもうすでに夢の中だったのだろう。
僕は、昔青いエレベーターとかいう謎の夢を見たことだってある。エレベーターに乗る際、数回に一回だけ、壁が青く塗られていて、それに乗った者は酷い痛みに襲われるという謎のホラー系の夢だ。
一回誰かが乗るとまた普通のエレベーターに戻るのだ。
僕がソレに知人を押し込んで、自分だけ難を逃れたという後味が悪すぎる夢だった。
仲のいい相手ではないが、嫌っているわけでもない相手だったから余計に気分が悪くなった。どうせ昔の知人だから、そう何度も会う相手ではなかったが……。
そう、夢の中なら非日常だって起こるのだ。
これも夢だ。気味の悪い夢だ。
視界の暴力を、無の境地で眺めながら、僕の手にべちょっとした身体を伸ばしてくるかの生き物を見る。
握った感じは、焼く前のパン生地とか作った後のねちょねちょしたもの。匂いは……生ゴミのような汚臭はしないが、心地の良いフローラルな香りでもない、無臭だ。こんな見た目で香水みたいな甘い香りだったら、引く。
他の百鬼夜行の如き怪物たちのところへ、手を引くその化け物は、冷静に見れば、敵意はない。静かで、大人しい。
「テテド」
さぁ、こちらにおいで。まるでそう言うかのように、鳴く化け物。不意に優しさを感じた。
僕はよくわからないまま、手を引かれ、その怪物たちのもとへと連行される。
耳につく、高音も、低い唸るような獣の声も、何もかもが僕の底にある野生の本能を煽って、逃げ出したくなるが、逃げたところでここはどこだか、そもそも走ったところで文化部の僕に逃げられる体力はない。
諦めを、知った。
それにこれは夢なのだから、逃げてわざわざ怖い思いをする必要はない。
蠢く化け物は、動きが遅く、ゼリーみたいな身体をペチャネチャいわせながら、這っていく。僕の手を離さないまま。
案内されたところにいたのは、一際大きな怪物の元だった。
巨人、辛うじて人型に見えなくもないが、顔が遠すぎてよく見えない。視界も暗い。
とりあえず、靴の先ですら僕の身長の倍以上あるのは確かだ。…かの正義の味方の宇宙人ですら三メートルとかそれくらいじゃなかっただろうか。ともかく、顔が見えない。
座っているようではあるのだが……これで立ったらどうなるのかとか、天井に頭ぶつけないかとか色々思うところがある。
他にも大きい身体のやつはいたが、ここまで近くに寄らされたのはこの時初めてだった。
「ヴェ……デーヴェ……デデべ……」
やっぱり何語かわからない。そして身体がでかい分声もでかい。反響して聞こえるから、例え知っている言語でも聞き取りずらかったかもしれない。
声は出せなくて、わからないと伝えられないのだが、フルフルと首を振って、意思疎通を試みる。
……待て、コイツ僕のこと見えてないのでは?
案内役の化け物は、相変わらず動じないし、僕より小さいコイツの存在はわかってるのであろうから、気がついていないということはないと思うのだが。
「ヴェ……デデ……」
「テッテー」
ナニカ、案内役と巨大怪物が会話を始めた。
小さな案内役の声でも聞こえているのか、会話はポンポンと心地よく続いていく。
しばらくそれを見ていると、会話が終わったのか、案内役がまたゆっくり動き出した。
「テテド……」
心なしか元気がない。どうしたのだろうか。
後ろに引き返していく案内役にまた大人しくついていく。
「ヴェ……シ……ナ……シチナロ…」
後ろを向いた僕に…おそらく、僕に。
巨大怪物は話しかけてきた。
思わず振り向く。何故それが僕に向けてのものだと気がついたのかはわからない。
ゆっくりと動きだしていたそいつに、また叫びそうになったが、声を抑えて動向を見守る。
一叩きで僕を夏の蚊の如く潰せるであろう大きな手が、ゆっくりと僕に近づく。
叩かれたらどうしようか、そこで目が覚めるのだろうかと、妙に落ち着き払って、その手を見る。
ゆっくりと形を変えた『手』は、僕をしっかりと指差した。
「シチナロ……シチナロ……」
僕、が、シチナロ?シチナロって何?名前?
僕の名前は日本らしい漢字名なんだが…。
僕は自分を指差し首を傾げる。…やっとここで声が出た。
「…シチナロ……?」
「テッテッテー」
そうだよと言わんばかりに、案内役が鳴いた。
僕はシチナロというらしい。
ネチャネチョ這いずる、案内役にも慣れたあたりで、近くにいた百鬼夜行共は、解散していった。スッと闇夜に消えたり、暗闇の天井に飛んで行ったり、もしかしたらここは屋内ではないのかもしれない。
僕は真っ黒な空間を進んでいく。
やたらと暗く、僕では視界が良くないところを進む。
しばらく歩いていると暗い視界に慣れてきてぼんやりと様子が分かるようになった。どうやら岩で覆われた廊下のような細道のようだ。
「テテ……テテロロ」
急に止まった案内役は、正面の二つの目玉で僕を見て何か言う。
ニュアンス的に、『シチナロ』に似ている。
……もしかして呼ばれているのだろうか。
「僕……です、か?」
自分に指をさし敬語で聞く。僕はきっと立場的にまだ下の場所にいる気がした。
「テッテー」
そうそう、と案内役は身体を上下に揺すって頷くそぶりを見せた。プルプルしているというよりかはドロドロしている。
「テテ」
こっち、と僕へと身体の一部を伸ばして、誘導する。
壁、であろう場所に扉があって、案内役はその扉を器用に開ける。
中は、わりかし綺麗な部屋だった。
暗くて、壁も地面も岩肌。ちょうどソファーとテーブルが一組中央に配置されていて、端っこにベッドが一つ。
木のテーブルの中央で存在感を示す、本が一冊。
貴様か。この原因は貴様なのか。
やたらと不気味なその本は、どうやらここへの片道切符のようなモノだったようだ。
案内役は、てててと謎の鳴き声を出しながら、テーブルへ近づく。
僕が入り口で止まっているのを見てテテ? と身体を横に曲げる。
何をしているのと聞いているようだ。
「なんでも、ないよ」
伝わらないであろうが、言葉を口に出した。
部屋に入って、扉を閉める。
テーブルに一緒になって近づくと、どうやら本を手に取りたいようだと気がついた。
見たいの? と聞くがテテ? と同じようなニュアンスで問われて、伝わってないなと、残念に思う。
本を手に取り、床に片足をつけ、案内役に本を渡す。
僕ではこの本の中身はわからない。気になるのならと渡してみると、テテーと喜び?を体で表す案内役。
本を汚さずに読む案内役を放置して、僕は部屋の散策をする。
ベッドは何もかも真っ黒の寝具。ソファーは星空のような綺麗な生地で作られている。
テーブルも暗い色をしている。見目は木なのに、質感は金属な気がする。
座って良いのか、そもそも触っても良いのか、わからないから何もしないでおく。
壁や地面は何もなく、装飾品ひとつない。
いろいろ見て回っているうちに、気が済んだのか、案内役はテーブルに本を置いて、僕の方へ来る。
なんだろうかと僕も近づくと、テテテ、と身体を伸ばし、ベッドにペチペチと叩きつけている。
何を言いたいのだろうか。
わからずに首を傾げていると、テテテテとさらに大きな鳴き声を出す。
布団? と、ベッドに触ると、テッテ、と身体を左右に揺らし、何か考えているのかしばらくフリフリしていた。
すると唐突に、ぶわりと案内役の体積が増幅し、僕の目の前に真っ黒な何かが襲い掛かった。
うわっと驚き悲鳴を上げた僕を、それはいとも容易く捕まえて、ふわりと身体が宙に浮く。肌に触れたその黒い部分は手を繋いだあの感覚と似ていてネチャついている。
どうやらドロドロの案内役に捕まったらしい。
食われるのかと恐々としていると、ゆっくりと横にされた身体が布団に下される。
もしかして、寝ろ、と言っているのか?
夢の中で寝るとはどうゆうことか……。
案内役は僕の見張り番なのか、ベッドの横で身体を縦に伸ばしてこちらを見ている。
もう考えることをやめて僕はふかふかのベッドで眠ることにし、目を閉じた。
……視線を感じて、すぐには眠れなかった。
よくわからないが、意識が落ちて、目をまた開けても、夢は続いていた。
ドロドロの案内役は、まだベッドの横にいた。
大きな目玉たちを身体で覆い隠し、目を閉じているようにも見える。
……寝ているのか?
部屋を確認すれば、目を閉じたその時と全く変わらない配置で部屋は存在していた。
これからどうすれば良いのか。
ゲームではないからチュートリアルも何もない。しかし下手な行動をすれば怖い思いをするであろうことは明白である。
「テテド……テテロロ」
部屋を観察していると不意に案内役が鳴いた。
目を向けると灰色の目と僕の目が、視線が、カチあった。
「……テテロロ。……テテド、テテテテ」
何か言っている。
僕には全く伝わらない。
とりあえず、テテロロが僕のことを言っているのはわかった。
案内役は何かを一生懸命に伝えようとした後、飽きたのか、諦めたのか、静かになって、布団から上半身を起こしただけの僕の手を伸ばした身体で掴んだ。
やはり冷たくベチャネチャしている。
これは、起きろ、ということだろうか。
おそるおそる、布団から出た、その過程ですら手を離さない案内役。僕の手を掴んで離さない。離さない。はなさない。
「テテロロ……テド……テド……」
ぼんやりとしかけた僕に、案内役は声をかけた後、ゆっくりと移動していく。
どうやら外に出るようだ。
部屋の外に出て、また薄暗い洞窟のような廊下を進む。
どこにいくのかはわからない。ただただ不安に支配された身体は小刻みに震える。
言葉は通じない、見た目はグロテスク、そんな存在とずっといっしょだ。恐怖を感じることは、当たり前だろう。
目が覚めたら、美味しいホットココアを飲もう。
「…テテロロ。テテド、テテテ、テテ、テテテテテテ」
もうなんていってるのかさっぱりだ。
岩でできた扉の前で案内役は、テテテと喋りだした。
「ジャー、グワァージャー」
すると突然、扉、否、扉の絵柄であった何かトカゲに似た化け物が絶叫した。それはまるで歓喜の叫び声であった。
僕はビビって、その場から跳び上がりそうになった。突然、絵が動きだしたのだ。当たり前の反応だろう。
「テテ、テテド、テテド、テテロロ」
「ジャー」
案内役は、もう一言二言くらい、扉と喋ると、扉は自動ドアの如く、スッと開いた。
横にスライドしたわけではない、地面に吸い取られるように扉が下がっていったのだ、スッと。
「……テテロロ」
開いたよ、行こうか、と案内役は僕を引っ張り扉の向こうへ歩いていく。
もうそろそろ目が覚めないだろうか。この夢は僕の心臓に悪い。夢で驚いて心肺停止なんて笑えないことになりそうだ。
……あぁ、本当に笑えない。
僕の頭ももう少しファンタスティックで希望のある夢を想像できなかったのだろうか。ココじゃあ、ただの地獄だ。
案内された先には綺麗なお姉さまやお兄さまがいた。
テーブルを囲んで座っている。顔面凶器、二次元が服着て三次元にやってきた。
予想外の事態に困惑していると、そのうつくしい人々は微笑んだ。
人々を誘惑するかのような優婉なその表情に、一瞬、ぽやんと頭が空っぽになった。
「……ヤァ……デュ・ディー。……キャクカ」
すごく聞き取りづらいが、なんとなく、日本語っぽく聞こえる発音だった。
何語だろうかと考えて、ふと彼ら彼女らの口元を見ようと目を凝らして気がついた。
耳の形が人と違う。
よく物語に出てくるようなエルフ耳に似ているが少し違う。尖った先がふわふわと羽のよう。
座っているから見えにくいが、足の方もふわふわと、毛が生えていて獣のよう。机上の果物を載せた皿に伸びる腕にも鳥のような羽がついている。動かしづらそうだ。
「テテド」
案内役は身体を上下に動かし肯定するような素振りを見せた後、テテェ……テテテテっテ、と謎のリズムを刻む。そして最後に、テテロロと、僕を呼んだ。
「アァ、レイノ」
へぇそうなんだとばかりに、大変にこやかな顔をしている。
「……シチナロ。アァ、コレ、シチナロ」
「シチナロ……イル……シチナロ」
めちゃくちゃ呼ばれている。
僕は有名らしい。例のやつだ、噂の人だ、とばかりに美人麗人に囲まれる。
「えっと……」
地獄から一変して天国になった。訳がわからない。
「シチナロ、イラッシャイ……オカエリ」
おかえり?初めてきたところなのに。
一人の男性が嬉しそうに、無邪気に笑っている。
「テテドー。テテー」
案内役が一言ないた。途端に周りは静かになった。
「…ソウ。シチナロ、シラナイ」
「シチナロ、ハジメマシテ」
悲しそうな顔に瞬時に切り替わった彼らは悲しそうな目で僕を見る。まるで友人から忘れられた子供の様。
僕は戸惑ってばかりだ。
「……デュ・ディー。シチナロ、コトバワカラナイ?」
急にどうかしたのか、隣で僕を眺めていた女性が案内役に目を向け、話しかけはじめた。
「テテ……テテテッテテ」
少し動きが鈍くなった案内役はその四つの目を全て伏せ、悲しそうな?顔?をしている。
「……ソウ、ソッカ」
辛そうな顔の比較的背の高い男性が、乱雑に頭を撫でてくる。全く会ったことのない親戚の爺ちゃんに可愛がられている孫の気分。
「…シチナロ、ヨウコソ。『ラ゛ツケシード』へ。ソシテ、『ネベゥツミオ』へ」
謎の単語が追加された。
幻聴の時と似たような言語であることは理解できたが、聞き取りづらいにも程がある。
なんと言ったのだろうかと考えていると、横の女性が教えてくれた。
「『ラ゛ツケシード』……コノヘヤ。『ネベゥツミオ』コノクニ」
この国の言語はとんでもなく聞き取りにくく、喋りにくそうだ。少なくとも、僕にとっては。
「ワレラハ、ハピ。ソヤツハ、テテ」
彼らはハピという種族らしい。そして、この案内役はテテだそう。
「テテ……さん?」
声を出すと、ハピの男性が、目を丸く見開いた。喋れないと思われていたようだ。
「テテノ、『デュ・ディー』。シチナロノ、ゴエイ」
テテも名前ではなく種族名だったようだ。このドロドロ生物はテテ族というらしい。
護衛…案内役ではなかったようだ。いや、ソレも兼ねていただけのことなのだろうか。
「えと…どでぇーさん…あれ? どぅでぃーさん?」
発音が分からなくて四苦八苦していると、テテーと話しかけられて、ディーでいいそうだ、敬称も要らないと通訳してもらった。あの短い言葉にどれほどの意味がこもっているのだろうか、謎は尽きない。
「ディー」
名前で呼べば、案内役、いや、ディーは嬉しそうに左右に揺れた。
相変わらずの見た目なのに、どうしてだか、可愛らしさを見出しはじめた。仲良くなったお陰か、起床時からずっと感じていた不快感が少し和らぐ。監視じゃなくて護衛だったと気がつけたことも原因の一つなのだろう。
「テテロロ。……テッテド? テテテテテテ」
「なんて?」
やっぱり仲が良くなっても言葉はわからなかった。
「ハラヘリカ?」
通訳はもらったが、ハラヘリカってなんだ。
首を傾げていると、相手側も首を傾げる。そして言葉を変えれば良いのかと思いったったようだ。
「クウフクカ?」
今度はわかった。『空腹か?』つまりさっきのは、『腹減りか?』ってことだ。
そういえば、起きてから何も食べてない。夢の中でも食事は必要らしい。
僕が頷くと、彼らはいそいそと食事の準備を始めた。
ディーは、僕と一緒にテーブルで待機。
僕らはお客さん扱いをされているらしい。
待つこと数十分、もともと何か準備をしていたのか、なかなかに凝った料理がでてきた。手の込んだといえば、美味しそうに聞こえるが、実際はその逆だ。
ディーの目玉みたいな瑞々しく大きな球体がゴロゴロと何かの野菜と共に漬物扱いを受けていた。
やけにブヨブヨしたゼラチン質で玉虫色のゼリー状スープ。
一見美味しそうなハンバーグなのに、付け合わせの野菜が『ピキー』と鳴くものだから、コレもなんの肉だか分からなくて手がつけられない。
手が込んでいることは、確かだが、ソレが必ずしも良いことではないのだと、知った。
何を食べたら良いのか分からなくて、でも何か口にしなければと焦りもして、顔色を悪くしてしまう。
ソレにいち早く気がついたのであろう、ディーがテテテと鳴いた。そして流れるようにハピ族の皆様に伝わり、無理しなくていいだの、どれが食べられる?自分のと変えようか?と気を使ってくれた。
見た目がグロテスク極まりないのに、彼らはこんなにも僕に優しい。
僕は木の実の類で食事を済ませた。肉類はしばらく口に入れられる自信がない。魚も同様だ。
でも、良い印象が残ったものもある。
飲み物だ。
透明なグラスの底が青いグラデーションで、とても綺麗だった。星型で桃色の飴か何かが混ざっていたが、グラスを一回ししたらスッと溶けて消えてしまった。
原材料は知らないが、炭酸のようにパチパチと口の中で弾ける感覚と、甘過ぎない爽やかな甘み。ふと香る桜の花に懐かしさを感じた。
「シチナロ……」
食事が終わり、さてこれからどうするのかとディーを見つめていると、ハピ族の女性に話しかけられた。
顔を向けると、優しく微笑んでいる彼女の顔が見えた。
諦めと悲しみを不意に感じた、でもそれとともに薄寒い親切心のようなものも感じた。
「オヤスミ、シチナロ。マタアシタ」
「……えぇ、また」
自室(と思われる部屋)で、ベッドに入ると、図々しくもディーが枕元に這いずってやってきた。
一緒に寝たかったようだ。
夢で寝るとは変な気分だ。どうにも慣れない。
「テテロロ。テテテド」
これはきっとお休みの挨拶。
言葉もわからないのに、僕は確かに理解できた。
「おやすみ。ディー」
『アーア、ヤクソクシチャッタ。』
『ゴハン、タベタ。シルシモ飲ンダ』
『シチナロハ、ワレラノモノ』
『モウニドト、テバナサナイ』
これが覚めない夢なのだと、僕だけが知らなかった。
[もんすたぁといっしょ]
最初の本のあたりの『分部ながらひ』は、逆さまにすると読めます。この場合だと『ひらがな部分』。句読点の位置はあまり気にしなくていいです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。