093・聖獣 上
――落ち着け! これはむしろチャンスだ!
跳びかかってきた聖獣――ドヴァリンの姿を見据えながら、狩夜はマタギ鉈を鞘から抜き放った。
相手は鹿、背中に翼が生えているわけではない。跳び上がり、空中へとその身を投げ出したのは、明らかに悪手。
――着地する前に仕留める!
「レイラ!」
名前を呼ばれただけでレイラは狩夜の意図を察し、両手からガトリングガンを出現させる。そして、その銃口を斜め上空から迫りくるドヴァリンへと向けた。
千を超えるワイズマンモンキーの群れを一方的に壊滅させた、種子の弾幕。それを空中で防ぐ術などない。
勝利を確信した狩夜が、ハチの巣になったドヴァリンの姿を幻視した、次の瞬間――
「え?」
ドヴァリンの頭部から、角が消えた。
鹿の角は、おおよそ一年をかけて大きく成長し、冬から春先にかけて自然と抜け落ちる。が、あれは違う。抜けたのではなく、本体から分離したのだ。
ドヴァリンの頭部から分離した角は、空中を自在に飛び回りながらさらに細分化し、無数の刃となって聖域を疾駆する。
直後、聖域に甲高い連射音が響いた。
レイラのガトリングガンが唸りを上げ、角のなくなったドヴァリンへと種子を連射したのである。
しかし――
「っなぁ!?」
細分化したドヴァリンの角が、ガトリングガンの射線上に密集。本体を守る盾となり、レイラの種子を弾いた。
レイラはそれでも連射を続けたが、ドヴァリンの盾はびくともしない。それどころか、防御に回していない残りの角で、狩夜たちに反撃してきた。
「うわ!?」
迫りくるドヴァリンの刃を、狩夜は左に跳躍することでどうにかかわす。狩夜が移動するのに合わせて、レイラはガトリングガンの射線を調整。絶えずドヴァリンを攻撃し続けたが、やはり盾に阻まれた。
「どこぞの新人類か、あいつは!?」
攻防一体のオールレンジ攻撃に目を見張りながら、狩夜は着地に備えて体勢を整える。だが、ドヴァリンの攻撃が止まらない。かわしたはずの刃が即座に方向転換。狩夜の後を追った。
両の脚が宙に浮いている狩夜に、聖獣の刃をかわす術はない。一瞬で立場が逆転してしまったこの状況に、狩夜は戦慄する。
だが、ここでレイラが動いた。ガトリングガンでの攻撃を続けながら葉っぱを動かし、ドヴァリンの刃を弾き飛ばす。
「ありがと、レイラ!」
レイラに礼を告げると同時に、狩夜の両足が再び世界樹の根を踏みしめた。そして、先ほどまで狩夜たちいた場所に、ドヴァリンも着地する。
「……(むぅ)」
いくら撃っても牽制ぐらいにしかならない。そう判断したのか、レイラはガトリングガンでの射撃を止める。それに対し、ドヴァリンも周囲に展開していた角を回収、頭部へと戻した。
幾重にも枝分かれした物々しい角が、ドヴァリンの頭上で瞬く間に形成されていく。
デフォルトの状態に戻ったドヴァリンの体には、傷一つついてはいなかった。一度攻勢に出れば、どんな相手でも一撃で屠ってきたレイラの攻撃を、見事に防ぎ切ったのである。
「これが、聖獣……」
聖獣、ドヴァリン。世界樹の最終防衛ラインであるその姿を、狩夜は改めて観察した。
姿形はヘラジカに近い。青みがかった毛皮を持つ、巨大なヘラジカだ。
オジロジカ亜科に属するヘラジカは、シカ科の中でも最大種である。大きい個体になると体長が三メートルを超え、角も二メートルを超えるほどに成長する。その大きな角が、ヘラのように平たいことが名前の由来だ。
だが、それは地球に生息するヘラジカの話である。聖獣であるドヴァリンは、そんなヘラジカより更に一回り大きい。体も、角も。
見上げるような筋骨隆々の巨体は、体長おおよそ五メートル。左右に大きく広がった角は、三メートルを優に超えるだろう。
狩夜は、そんなドヴァリンの角を、敵の最大の武器を険しい表情で注視しつつ、こう口を動かした。
「必要に応じて頭から分離し、細分化。ドヴァリンの意思通りに宙を駆け、攻撃と防御を同時にこなす、万能の武器となる……か」
攻防一体。遠近中なんでもござれ。戦闘における選択肢を爆発的に増加させる、憎らしいほどに高性能な武器。先の攻防で、狩夜はドヴァリンの角をそう評価した。
ぱっと見、弱点がない。
「あんなの、いったいどうしろって――」
「ドヴァリン! よくも……よくもウルド姉様に……我らの創造主たる世界樹に、このような非道な真似を!」
思わず口から漏れ出た狩夜の弱音を遮るかのように、スクルドが叫んだ。つい先ほどまで泣いていたのが嘘であるかのような毅然とした態度で、かつての仲間を糾弾する。
「【厄災】の呪いに侵されて正気を失っているとはいえ、これは明確な反逆行為! 世界樹、延いてはこの世界、イスミンスールを滅びに導くその所業、万死に値します! その身に僅かでも聖獣としての誇りが残っているというのであれば、大人しく縛に着き、世界の代行者たる勇者様による裁きを、今ここで受け入れなさい!」
よどみなく紡がれたスクルドの言葉。その言葉に対するドヴァリンの返答は――
「……」
無言のまま、己が最強の武器である角を、周囲に再展開することであった。
「ドヴァリン!? く……まるで反応がない。もう言葉すら忘れたというのですか!?」
悔し気に叫ぶスクルド。そして、それを合図にしたかのように、ドヴァリンの角が宙を駆ける。
二度目の攻防の始まりだ。
「うわ、きた!」
四方八方から不規則な軌道で押し寄せるドヴァリンの刃。動体視力は決して悪くない狩夜であるが、とてもじゃないが動きを把握しきれない。
ドヴァリンを攻略する糸口が見つからない。妙案も思いつかない。弱点は見当たらない。
どうする!? と、狩夜が胸中で叫んだ瞬間――
ツンツン。
と、レイラの葉っぱに、後頭部をつつかれた。
「私を信じて、ドヴァリンに向かって走って!」
そう言われたような気がした。狩夜は「あれに突っ込めってのかよ!?」と目を見開き、一瞬だけ体の動きを硬直させる。
正直、怖い。もの凄く怖い。人間としての知性と、動物としての本能が「逃げろ!」「避けろ!」と喚き散らす。
でも――
『次に誰かがカリヤ様に助けを求めたら、その人を初めて会ったときの私だと思って、助けてあげてください』
だけど――
『すみません! すみません姉様ぁあぁ!!』
必ず守ると心に誓った約束がある。そして、止めてあげたいと思った涙がある!
ここで逃げたら男じゃない!
「為せば成る! 叉鬼狩夜は男の子!!」
そう叫んで自らを鼓舞し、狩夜は世界樹の根を蹴った。レイラを信じ、ドヴァリンに向かって突撃する。
無謀とも取れる突撃を選択した狩夜を、無感情な瞳で見つめるドヴァリン。真っ直ぐに向かってくる外敵を切り刻もうと、ドヴァリンの角が狩夜に殺到した。
ここで、再びの連射音。レイラがドヴァリンに向けて、ガトリングガンを乱射したのである。
対するドヴァリンは、狩夜へと動かしていた角の約半数を防御に回し、盾を形成。レイラの種子を弾く。
先ほどの焼き増しのような光景だが、決して無駄ではない。ドヴァリンが角の約半数を防御に回したことで、狩夜に向かっていた角の数が目に見えて減少し、移動速度も格段に低下した。攻撃と防御を同時にこなすことで、角を操作するドヴァリンの脳への負担が激増したことと、盾を前面に展開したことで、視界の大半が塞がったことが原因だろう。
ドヴァリンに対しては牽制ぐらいにしかならない種子の弾幕。だがそれは、言い換えれば牽制にはなるということなのだ。
動きの鈍った角を、レイラは背中から出現させた二本の蔓で適度にあしらう。それに並行して、頭部の葉っぱを巨大化させ、左右からの袈裟切りを繰り出した。
左右から迫る、ギロチンを彷彿させる巨大な刃。ドヴァリンはその刃に即時対応。攻撃に回していた角を自身の周囲に戻し、新たな盾を二枚形成。レイラの葉っぱを受け止めた。
「……(ギラリ)」
ここでレイラの目が光る。両手から出現させていたガトリングガンを突然体から切り離し、ドヴァリンの頭上へと放り投げたのである。
レイラの突然の行動に面喰ったのか、ドヴァリンの視線がガトリングガンを追って上を向き、次いで見開かれた。
切り離されたガトリングガンと、防御のために先ほど出現させた背中の蔓が空中でドッキングし、真上からドヴァリンを攻撃したからである。
「私だって、似たようなことはできるんだ~!」とでも言いたげな顔で、蔓を巧みに操作するレイラ。有線式ではあるが、見事なオールレンジ攻撃を披露し、遠隔操作されたガトリングガンで、あらゆる角度からドヴァリンを狙い撃つ。
ドヴァリンは、前方に展開していた盾を二枚に分割し、これに対応。計四枚の盾でレイラの攻撃を防ぐ。だが、それにより――
「いける!」
狩夜の前進を阻むものはなくなった。狩夜は今出せる最高の速度で根の上を走り、視線を上に向けているドヴァリンへと肉薄する。
慌てて狩夜とレイラ本体に視線を戻すドヴァリンであったが、遅い。すでに狩夜は、ドヴァリンの左横を駆け抜けた後であった。
ドヴァリンの体に、切り傷という名の置き土産を残して。