007・白い部屋 上
「ふぁあ~」
手製のかまどに乾いた流木をくべながら、狩夜は大欠伸をした。次いで言う。
「眠い……」
狩夜は今、かつて幾度となく死闘を演じた仇敵と再び相対している。
敵の名前は、睡魔。
ウサギモドキの肉を食いつくし、残った骨を内臓、皮と一緒に森に捨てた後、凄まじい眠気が狩夜を襲ったのである。腹の皮膨れば目の皮緩むとは、まさにこのこと。
「始発の電車に乗ったから、昨日はあんまり寝てないしなぁ……」
加えて、森の中を歩き通した疲労もある。
満腹、寝不足、疲労のトリプルパンチが、睡魔となって襲い掛かっているのだ。狩夜の意思は陥落寸前である。
しかし、未知の獣が徘徊する森の近くで眠るわけにはいかない。火の番だってしなければならないのだ。
狩夜は「いけない、いけない」と頭を振る。次いで、あることに気がついた。レイラが服の袖を引いているのである。
レイラの方へと眠気眼を向ける狩夜。すると「心配だよ~」と言いたげな顔をしたレイラが目に入る。そして、そんなレイラの傍らには――
「おお!?」
いつの間にか、巨大な葉っぱの敷布団があった。
その葉っぱの敷布団は、レイラの頭部と繫がっている。どうやらレイラは、二枚ある大きな葉っぱの片方を更に巨大化させ、寝床を作ってくれたようだ。
服の袖から手を離したレイラは「無理せずここで寝た方がいいよ」と、葉っぱの敷布団を両手で叩き、狩夜に眠るよう促してきた。
狩夜は困ったように表情を歪めた。レイラの気遣いは嬉しい。嬉しいのだが――
「いや、でもさレイラ。僕は火を見てないと……」
眠気眼のまま狩夜がこう言うと、レイラは「私に任せて!」と言いたげに、右腕で自身の胸を叩いた。
「あ~でもさ、レイラは植物だろ? 火の番なんてできるの? 本当に大丈夫?」
狩夜の確認の言葉に、レイラはコクコクと自信満々で頷いた。
「任せて平気?」
コクコク。
「……」
狩夜は、しばしレイラの顔を見つめながら考えた。そして――
「わかった。悪いけど、任せる」
今はレイラの好意に甘え、睡魔に屈することを選んだ。
――だって、なんかもう、色々なことがどうでもよくなるくらい眠いんだもん。
狩夜は、すぐに葉っぱの敷布団に横になる。次いで驚いた。葉っぱなのに弾力に富み、本物の布団の様に柔らかいのである。すぐ下が石だらけの川原とは思えなかった。
「レイラ~、君の葉っぱすごいね~」
すでに半分眠りながらも葉っぱを褒める狩夜。とても素晴らしい寝心地だった。
――これなら……ぐっすり……ね、むれ……
●
明晰夢、という言葉がある。
睡眠中に見る夢のうち、自分で夢であると自覚しながら見ている夢のことである。誰もが一度くらいは経験したことがあるのではなかろうか。
狩夜は今、その明晰夢を見ているようだ。なんとなくわかる。しかし、なんとも珍妙で、奇妙な夢だ。
まず、白い部屋がある。真っ白で、正方形な部屋だ。出入り口もなければ、窓もない。その部屋に狩夜がいて、狩夜の頭上にはレイラがいる。そして、狩夜とレイラの前に、狩夜がいた。いや、正確には、狩夜の形をかたどった、何かがあった。
その何かは、3Dポリゴンな狩夜である。点と線と面で構成された、ローポリで半透明な狩夜。そんな狩夜が、部屋の中央で足をそろえて直立し、両腕を地面に対し水平に広げながら、全裸で立っている。
「ん~?」
狩夜は、真っ白い部屋をぐるりと見回してから、困惑顔で首を捻った。
随分と現実味の薄い光景である。いや、夢なのだから、現実味が薄いのはむしろ当然であった。気にするだけ無駄だなと、狩夜は気にするのをやめる。次いで、なんとなく口を動かした。
「レイラ、ちゃんと火の番やってる……よね?」
この言葉にレイラは「やってるよ~」と言いたげにコクコクと頷いた。そのレイラの反応を見て、狩夜は安堵の息を吐く。だが、すぐに頭を振った。
これは夢。夢の中のレイラに何を言っても無駄である。
――あ、そういえば、現実のレイラに、交代するから四時間ぐらいで起こせって伝えるのを忘れた。大丈夫だろうか?
狩夜は、しばらく考えた後「ま、いいや。後で謝ろう」と結論を出し、無警戒にローポリな狩夜に近づいた。目の前の不思議な光景に興味が湧いたのである。
「どうせ夢だし」と、軽い気持ちでローポリな狩夜に右手を伸ばし、左肩に触れた。その瞬間“ポーン”という、小気味の良い電子音が白い部屋に鳴り響く。
そして――
「うわぁ!?」
ローポリな狩夜の胸から、極薄の板のようなものが突然飛び出し、狩夜はその場を飛び退いた。
「び、びっくりしたぁ……」
高鳴る胸に右手を当てながら、再度ローポリな狩夜に近づく狩夜。そして、出現した極薄の板を上から覗き込む。
極薄の板には、日本語で『ソウルポイントを使用しますか? YES NO』と書かれていた。
「何……これ?」
狩夜が、極薄の板を覗き込みながら固まっていると――
「レイラ?」
頭の上にいるレイラが動いた。右腕から蔓を伸ばし『YES』をタッチする。すると、極薄の板の画面が切り替わった。どうやらこれは、タッチパネルに近しいものらしい。
狩夜は、レイラの行動を別段咎めようとはせずに、極薄の板――タッチパネルを再度覗き込む。
「これって……」
そこには、メニュー画面のようなものが表示されていた。
左上には『叉鬼狩夜』という名前。その右隣りには『1003・SP』という謎の数字。そして、それらの下には『筋力UP・1SP』『敏捷UP・1SP』『体力UP・1SP』『精神UP・1SP』『次へ』『戻る』の、六つの項目がある。
この画面を見た瞬間、狩夜はある程度の予想というか、仮説を立てることができた。しかし「いや、さすがにそれは……」と、首を左右に振り、即座にその仮説を否定する。
狩夜が「ないない」と首を左右に振っていると、レイラが再び動いた。蔓を動かし『筋力UP・1SP』をタッチ。するとタッチパネルに『ソウルポイントを1ポイント使用し、叉鬼狩夜の筋力を向上させます。よろしいですか? YES NO』と表示された。
レイラは、迷うことなく『YES』をタッチする。すると――
『叉鬼狩夜の筋力が向上しました』
と、事務的でテンションの低い声が白い部屋に響き渡った。タッチパネルはすでにメニュー画面に戻っている。だが、若干の変化があった。
まず、名前の横の数字。これが『1003・SP』から『1002・SP』に減少している。そして、先ほどは『1SP』で選択できた項目が『筋力UP・2SP』といった具合に、軒並み値上がりしていた。
「あ~」
「ひょっとして、この仮説は正しいのか? いやいやこれは夢だ」と、狩夜が頭を抱えている最中でも、レイラの動きは止まらない。
今度は『体力UP・2SP』の項目をタッチ。続いて『YES』。
『叉鬼狩夜の体力が向上しました』
事務的でテンションの低い声が、再び響く。
メニュー画面に戻ると、謎の数字が『1000・SP』に。そして『2SP』で選択できた項目が、今度は『3SP』に値上がりしていた。




