063・光と火の英傑 下
「ぐわぁあぁぁあぁ! 頭が陥没したように痛いぃい!」
組み付いていた狩夜から体を放し、両手で後頭部を抱えながら地面を転げ回るランティス。そんなランティスから息を荒げつつ距離を取り、狩夜は自身を助けてくれた救世主の方へと視線を向けた。
狩夜の視線の先には、龍の装飾がほどこされた巨大な戟を構える、勇ましい美女がいた。
後頭部でシニヨンにされた真紅の髪と、それと同色の瞳をした釣り目がちの双眸。赤を基調とした露出過多なチャイナドレスを身に纏っており、そこからしなやかに伸びた四肢には、武人らしい筋肉と、女性らしい肉感が見事に共存していた。そして、眉間の上から伸びた紅玉の如き二本の角が、彼女がとある種族であることを周囲へと喧伝している。
「ドラゴニュート。火の民か……」
そう、彼女は火の民。竜、もしくは爬虫類の特徴を体のどこかに有する種族である。【厄災】によって弱体化した種族としての特徴は、最大の武器であるブレス。
しかし、なんとも自己主張の激しい女性であった。髪も派手、服も派手、武器も派手、種族としての特徴も派手。すれ違えば誰もが足を止めて振り返り、彼女が放つ圧倒的な熱量を眼球に焼きつけることとなるだろう。だが、決して下品ではない。その派手な装いの中には、確かな気品が存在していた。
特徴の塊ともいえる女性であるが、一番の特徴は――やはり、チャイナドレスを下から猛然と押し上げる胸部の双丘だろう。でかい。とにかくでかい。非常にでかい。
先ほど船着き場ですれ違った人魚たちも凄かったが、彼女はもっともっとすごかった。露出多可なチャイナドレスはぱっつんぱっつんであり、今にも彼女の乳圧に負けそうである。いつ破れてもおかしくない――というか、服のサイズが合っていないように思えた。丈も明らかに不足していて、あれでは少し足を左右に開いただけでも下着が見えてしまうだろう。
エロチャイナ。格ゲーのお色気担当。そんな言葉が実にしっくりくる女性である。
「君、もう大丈夫ですよ。私の知人がご迷惑をおかけしました。代わりに謝罪いたします。申し訳ない。ですが、彼も悪気はないのです。許してあげてください」
「は、はぁ……服が無事でしたので、僕は気にしていませんが……」
身を屈め、目線を狩夜の高さに合わせながら語り掛けてくる火の民の女性。胸の谷間が狩夜の目前に迫り、視界が幸せすぎた。今ならなんでも許せてしまいそうである。
「ぐうぅ……カロン、石突きで後頭部は流石に酷くないかい? 私でなければ死んでいるよ?」
復活したランティスが、後頭部を右手で摩りながら立ち上がった。すると、火の民の女性――カロンが、背筋を伸ばしながらそちらに顔を向ける。そして、威圧するような口調でこう述べた。
「悪いのはあなたでしょう。ファンサービスも結構ですが、先ほどのはやりすぎです。司令官たるあなたの行いは、遠征軍全体の評判に関わるのですからね。自重しなさい」
「手厳しいね、相変わらず」
そう言いながら、困ったように苦笑いを浮かべるランティス。その様子を見るに、後頭部をど突かれたことに関しては別段怒っていないらしい。ランティス・クラウザー。なんとも器の大きい男である。
「そうか、やはり第三次精霊解放遠征が始まるのだな?」
カロンから放たれた遠征軍という言葉に反応し、口を動かすイルティナ。すると、ランティスとカロンが体ごとそちらに向き直る。
「やあ、イルティナ。久しぶりだね。直接会うのは何年ぶりかな?」
「スターヴ大平原攻略戦以来なのですから、二年半前ですよ。というか、相手はウルズ王国の姫君。敬語を使いなさい」
「ふふ、構わんさ。堅苦しいのは苦手だ。しかし、本当に久しぶりだな、二人とも」
どうやら三人は顔見知りらしい。狩夜の知らない過去の話題を口にして、再会を喜んでいる。
「テンサウザンドにまで上り詰めた二人の偉業は、我がティールにまで届いているぞ。私も、かつての戦友として鼻が高い」
「かつて……か。少し期待していたのだが、やはり君は開拓者としては一線を退いたままかい?」
「ああ、私にはティールと、そこで暮らす守るべき村民たちがいるからな。もう開拓者として積極的に活動する気はない」
「では、此度の遠征にイルティナ様は――」
「参加しない。というより、遠征軍が組織されたことを知ったのがついさっきだ。ランティスの姿を見たときは驚いたよ」
「なら、なんで今ここに? 里帰りかい? それともバカンス?」
「なに、父上に会わせたい者がいてな。カリヤ・マタギ殿だ。我が命とティールの危機を救い、開拓者になって一週間足らずで主を仕留めた逸材だぞ」
「は、はじめまして」
イルティナからの紹介を受け、頭を深く下げる狩夜。すると、ランティスとカロンの口から「ほう」という声が漏れ、その双眸が細められた。その視線は、間違いなく狩夜を値踏みしている。
「一週間足らずで主を……だとしたら、間違いなく最短記録だね。これはすごい。私はランティス・クラウザー。パーティ『栄光の道』のリーダーで、“極光”なんて呼ばれたりもする。よろしくね」
「カロンです。火の民なので姓はありません。パーティ『火竜の牙』を率いています。二つ名は“爆炎”。以後、見知りおきなさい」
「か、カリヤ・マタギ……です。こ、こちらこそ、よろしく、お願いします……」
英傑二人からの値踏みにすっかり萎縮してしまい、狩夜はガチガチであった。どうにかこうにか口を動かし、何度も何度も頭を下げる。
「カリヤ――君は、まだハンドレットだよね?」
「は、はい。まだハンドレットの開拓者です」
今夜にもサウザンドになるだろうが、今はまだハンドレットである。狩夜はランティスの問いかけに素直に頷いた。すると、ランティスは申し訳なさそうな顔で首をひねり、こう口を動かす。
「そうか、まだハンドレットか。なら、今回の遠征に参加させるわけにはいかないな。今回の遠征は、サウザンドの開拓者であることが参加の最低条件だからね。友人の命の恩人とはいえ、特別扱いはできない。遠征軍全体の士気に関わる」
「無念でしょうが、今回は諦めなさい」
ランティスに続き、カロンもまた申し訳なさそうな顔で狩夜に遠征軍への参加を諦めるよう促してくる。だが、狩夜はなぜ二人がそんな顔をしていて、こんな話を自分にしているのか理解できなかった。
諦めるもなにも、狩夜は遠征軍とやらに参加するつもりなど毛頭ない。なぜなら、精霊の解放にも、ユグドラシル大陸の外にも、まったく興味がないからである。
狩夜が開拓者になったのは、右も左もわからない異世界で衣食住を確保するためだ。それ以上でも以下でもない。その過程で助けられる人は助けようと思うし、情が移った相手には優しくしようと思うが、それだけだ。精霊の解放などという面倒事に巻き込まれるのは御免である。
なぜ二人は自分にこんな話をするのだろう? と、狩夜は首を傾げた。まるで「開拓者ならばユグドラシル大陸の外を目指して当然」とでも言いたげな言動である。
「あの、なんでお二人はそんな顔をして、僕にそんなことを言うんですか? 僕は遠征軍とやらに参加するつもりはないんですけど……」
狩夜のこの言葉に、ランティスとカロンは目を丸くして「何を言っているんだこの子は?」と言いたげな反応を返してきた。二人のその反応に、狩夜は困惑するばかりである。
「遠征軍に参加するつもりはない……か。カリヤ君はそれでいいのかい? 第二次精霊解放遠征が実施されたのは、今から二百年近くも前の話だ。今を逃したら、君が精霊解放遠征に参加する機会は二度とないかもしれないよ?」
「え……はい。それでいいです。僕は自分のことだけで……この過酷な世界で生きていくのに精一杯です。ユグドラシル大陸の外に目を向ける余裕なんてありません」
狩夜のこの言葉に、ランティスとカロンは目を閉じてしまった。値踏みの視線からようやく解放され、狩夜はほっと息を吐く。
「そうか、それは残念だ」
ゆっくりと目を開きながら、ランティスが口を動かした。そして、先ほどまで子供達に向けていたのとなんら変わらない、とても優しい視線で狩夜を見つめつつ、こう言葉を続ける。
「本当に……本当に、残念だよ」
それは言葉通りの、心底残念そうな声であった。