045・ヴェノムティック・クイーン 上
「大丈夫ですか? ガエタノさん」
「私は最後でかまいません」という本人の意思を尊重し、最後に治療したガエタノ。その体についた傷が綺麗に消えたことを見届けた後、狩夜は不安げな顔で口を動かした。すると、ガエタノは小さく頷き、こう答えながら立ち上がる。
「ええ、大丈夫です。要らぬ心配をおかけして申し訳ありません。いやはや、レイラ様のお力はやはり素晴らしいですな。あれほどの傷を瞬く間に治療してしまうのですから。まるで、厄災以前にあったという治癒魔法のようです」
体に異常がないか確かめながら、狩夜に対して笑って見せるガエタノ。だが、その笑顔はどこかぎこちなく、体の動きは不自然だ。前者はザッツが心配だからで、後者は血が足りないからだろう。いかにレイラといえど、失った血液までは元に戻せないのだ。
「ザッツ君、心配ですよね……」
変に言い回したりはせず、ストレートにたずねる狩夜。すると、ガエタノの顔からは笑顔が消え、視線が徐々に下がっていく。ほどなくして、ガエタノは震える声でこう言葉を紡いだ。
「はい……心配です……」
ガエタノも言葉を飾ったりはしなかった。率直な言葉を狩夜に向けてくる。
「弟と義妹が死んで、ザッツを引き取ってからというもの、毎日が心配と不安の連続です……少し帰りが遅くなれば戻ってくるのかと心配になり……夜眠ったかと思えば悪夢に魘されるのではと不安になり……まったく、気楽な独り身だったころが懐かしいですよ」
小さく自嘲気味に笑うガエタノ。次いで、こう言葉を続けた。
「やはり私のような無骨者には、ザッツの親代わりは務まらないのです。私は子供の育て方など知りません。いつもいつも、上から怒鳴りつけることしかできず……きっとザッツは、そんな私に失望していることでしょう」
「そんなことは――」
「ありますよ。なぜなら私は、ザッツが一番に望んでいることを叶えてやることができない」
ここでガエタノは悔し気に両手を握り締め、体を震わせた。だが、口の動きは止めず、その胸中を吐露する。
「ザッツの一番の望みは、あの主を倒し、両親の仇を討つことです。私ごときの力では、到底かなわぬこと……開拓者でない私では、あの主と戦う親の背中をザッツに見せるどころか、ザッツを追って一人森に入ることすらできないのです……」
「ガエタノさん……」
「あの主が弟と義妹の仇だとわかった今、自らの無力をこれほど呪ったことはありません。あの主はザッツだけでなく、私の仇でもあるというのに……」
ここでガエタノは顔を上げ、ヴェノムティック・スレイブとザッツ。そして、それらを追ったジルたちが消えていった方向を見つめた。ガエタノの動きに釣られ、狩夜もその方向に顔を向ける。
同じ方向を見つめる狩夜とガエタノ。そして、狩夜は顔の向きをそのままに、こう口を動かした。
「大丈夫ですよ、ガエタノさん。ザッツくんはきっと無事です。今にジルさんと一緒に帰ってきますよ」
ガエタノを励ますと当時に、自らの望みを言葉にする狩夜。その言葉に答えようと、ガエタノが口を動かし始めた、まさにそのとき――
「み、みんな~!!」
と、狩夜とガエタノの視線の先から、パーティ『虹色の栄光』に所属するサポーターの声が聞こえてきた。直後、ガーガーに跨るサポーター本人と、同じくガーガーに跨るザッツが森から飛び出してくる。
「ザッツ! よかった……」
無事に戻ってきたザッツ。目立った怪我のないその姿に、ガエタノが安堵の声を上げた。それに続き、狩夜も口を動かす。
「噂をすれば影……か。よかったですね、ガエタノさん。でも、ジルさんたちがいませんね? どうしたんだろ? 先にザッツ君だけティールに帰したのかな?」
言い終えると同時に首を傾げ、ジルたちの姿を探すべく、ガーガーの後方に広がる森に視線を向ける狩夜。直後、有らん限りの声でサポーターが叫ぶ。
「今すぐ泉に飛び込めー!!」
この叫びに、ティールの村民たち――いや、イスミンスール人たちは即座に反応した。我先にと泉へと殺到し、躊躇なく飛び込んでいく。
魔物に襲われたら水に飛び込め。幼いころからそう教え込まれ、何度も訓練をしている彼らは、サポーターの叫びを聞いただけで状況をある程度把握し、すぐに体を動かすことができたのである。
逃げ遅れ、その場に取り残されたのは、やはりそういった訓練をまったくしていない地球人。つまりは狩夜だけであった。
もっとも、取り残されたのではなく、自らの意思で逃げずにその場にとどまった者ならば他にもいる。狩夜の隣でザッツを守るべく水鉄砲へと手を伸ばすガエタノ。ティールとそこに住まう村民を守るべく、武器を手に取るイルティナとメナド。そして、今朝がたジルたち『虹色の栄光』と共にティールへとやってきた開拓者の二人組。それら計五人が、真剣な表情で森を見据えていた。
理由は人それぞれだが、サポーターが警戒を促した相手に対して、逃げることなくその場で待ち構える狩夜たち六人。それらに感謝の視線を送りつつ、村民たちは次々に泉へと飛び込み、安全地帯である水の中で身を寄せ合い始めた。
そんな中、ついにその時は訪れる。
「待ぁァテぇぇえぇ!! 人間のォ、子供ぉオぉ!!」
鼓膜を掻き毟るかのような悍ましい声がティールの村全域にあますことなく響き、ティールと森の境界線で爆発が起きた。地響きと共に大量の砂埃が舞い上がり、数本の大木が根元からへし折られ、どこぞへと吹き飛んでいく。
「――っ!!」
声すら出すことができず、全身の体毛を逆立てながら両肩を跳ね上げる狩夜。そんな狩夜の視線の先で、舞い上がる大量の砂埃をものともせず直進し、その怪物はティールの村へと踏み込んでくる。
見上げるほどに巨大なダニ型の魔物であった。悪夢のような体躯をしているが、その体を構成するパーツはヴェノムティック・スレイブに酷似している。それに加え、いくつもの特徴が事前情報と合致した。あれがヴェノムティック・スレイブと、ヴェノムマイト・スレイブの元締めであるという主で間違いない。
「クイーン……」
二人組の開拓者、その片割れの女性が漠然と呟く。かすかに聞こえた言葉に、狩夜は胸中で同意した。あれはまさしく女王。ヴェノムティック・クイーンと呼ばれるに相応しい存在である――と。
「やハリ、こノ子もやらレたか……」
ヴェノムティック・クイーンは、ティールに踏み込んだ直後に歩みを止めた。そして、地面に転がるヴェノムティック・スレイブの死骸をじっと見つめながら口を動かす。
「あそコでも……アソこデも……私ノ子供が、孫タチが死んでイル。あの死にかたハ、偶然とは思えナい。やハりあの子の報告通り、こノ村の人間ドモが、我々ノ存在に気がつイたのは確実か……」
ヴェノムティック・スレイブの死骸だけでなく、ティールの至るところに目を向けながら口を動かすヴェノムティック・クイーン。孫というのはヴェノムマイト・スレイブのことだろう。極小の死骸であるにもかかわらず、ヴェノムティック・クイーンは、その存在と死を知覚することができるらしい。
片言ではあるものの、ヴェノムティック・クイーンが発する言葉からは、明確な意思と知恵を感じ取ることができた。この主は、今まで狩夜が目にしてきた魔物たちとは、明らかに別物である。
「こうナってハしかたナイ。実験ついでニ内側カラ切リ崩シ、今後のタメに村ごト苗床にシて眷属ヲ増やス計画だったガ、もウ止めダ。私たちノ存在を隠蔽し、毒の治療法ヲ闇に葬ルためにも、今こノ場で、村の人間どもヲ皆殺しニしてくレる」
この発言に狩夜は戦慄する。ティールを襲った一連の事件は偶然ではなく、ヴェノムティック・クイーンが意図的に起こしたものだったのだ。
しかも「実験」「今後のため」とまで口にした。つまりティールの壊滅、占領は、ヴェノムティック・クイーンが思い描く計画、その足掛かりにしかすぎないということである。ゆくゆくはあの奇病を大陸全土に撒き散らし、人間すべてを根絶やしにするつもりなのかもしれない。
ヴェノムティック・クイーン。こいつは危険だ。突然変異、もしくは〔ユグドラシル言語〕スキルの副次効果かもしれないが、なんにせよ頭が良すぎる。放置すればティールどころか、ユグドラシル大陸全土を脅かす存在になりかねない。