042・心弱き者の最後 上
「なんとか丸く収まった……かな?」
ことの成り行きを見守っていた狩夜は、事態が収束に向かっていることを感じ、安堵の息を吐く。
ガエタノの機転により、ザッツと村民との間に決定的な溝ができることは回避された。だが、事態が好転したわけではけしてない。ヴェノムマイト・スレイブとヴェノムティック・スレイブの元締めである主は依然として健在であるし、居場所すら特定できていない。ザッツの両親の遺体もヴェノムマイト・スレイブにまみれたままで、ティールの村は魔物に占拠されているも同然だ。問題は山積みである。
真っ先に対処するべきはザッツの両親の遺体であろう。皆の精神安定のためにも、今すぐ対処するべきである。
「でもよ、燃やすのがだめならいったいどうする?」
「水……しかないだろ。マナを含んだ泉の水で、何度も何度も洗うんだ。体の中に巣くってる魔物が全滅するまで、何度でもよ」
「そうだな。それしかないか」
ザッツの両親を真っ先に対処した方がいいと考えたのは狩夜だけではないらしい。遺体にまとわりつくヴェノムマイト・スレイブをどう処理するか、村民たちは真剣な顔で話し合いを始めた。
「うーん……ガルーノさんとメラドさんには申し訳ないけど、一度泉に沈めた方が手っ取り早いんじゃないか? そうすりゃさすがに全滅するだろ」
「馬鹿野郎。下流には都があるんだぞ。そんなことができるか」
「あ、そっか……」
「ひたすらに木桶で水をくむしかねえな。ちょっとばかし大変だがよ」
「二人には世話になったんだ。水をくむぐらいなんでもねぇだろ」
「違いない」
「ほんじゃまあ、水で奇麗に洗うって方向で」
『異議なし』
どうやら水で洗うという方向で話が纏まったようだ。話し合いを切り上げ、村民たちが動き出す。
「おい、ザッツ。父ちゃんと母ちゃん洗うぞ。手伝え」
「……わかった」
さすがにそれしかないと思ったのか、ザッツも意義を申し立てたりはせず、村民の言葉に素直に従った。木桶を取ってこようと踵を返して、両親の遺体に背中を向ける。
その、次の瞬間――
「下がれ、ザッツ!」
というガエタノの声が墓地の中に響き渡った。そして、ザッツの体が横に突き飛ばされ、地面を転がる。
「「え?」」
意図せずに重なる狩夜とザッツの声。それとほぼ同時に、ガルーノの体から高速で何かが飛び出し、ザッツを突き飛ばしたことで無防備となっているガエタノの体へとへばりつく。
「くぅ!」
何かがへばりついた直後、ガエタノの体から真紅の液体が噴き出し、宙を舞った。狩夜の視線の先で、激痛に歯を食いしばるガエタノが地面へと倒れていく。
「ガエタノさん!」
踵を返し、叫ぶ狩夜。すると、ガエタノの体にへばりついていた何かが狩夜から距離を取るように跳躍し、地面の上に降り立った。
動きを止めたことで鮮明になった、その何かの姿は――
「ヴェノムティック・スレイブ!? もう一匹いたのか!?」
そう、ダニ型の魔物、ヴェノムティック・スレイブであった。ガエタノの血肉で赤く染まった鋭い顎をカチカチと鳴らし、狩夜を威嚇している。
そんなヴェノムティック・スレイブを憎々しげに見つめながら、狩夜は後悔と共にこう独り言ちた。
「そう……だよね、もう一匹いるよね。繁殖してるんだから、番がいて当然か……くそ!」
口を動かしながら態勢を低くし、狩夜はヴェノムティック・スレイブの死骸を地面に縫いつけているマタギ鉈へと手を伸ばした。こんなことなら止めを刺した後すぐに回収しておけばよかった――と、狩夜が胸中で後悔した、まさにその時――
「ギギィ!」
ヴェノムティック・スレイブが動く。といっても狩夜に向かって襲いかかってきたわけじゃない。むしろその逆。狩夜に背中を向けて、森を目指して一目散に逃げ出したのだ。
「きゃあ! こっちにきた!」
「ひぃ、助けてぇ!」
ヴェノムティック・スレイブの進行方向にいたティールの村民たちが、助けを求めて逃げ惑う。ヴェノムティック・スレイブは、そんな村民たちをついでとばかりに無差別に傷つけながら逃走。森の奥へと消えていった。
ヴェノムティック・スレイブの後を追おうと、狩夜は駆け出そうとしたが――やめた。視界の端に血を流して倒れているガエタノの姿が映り、頭が冷えたからである。
狩夜がヴェノムティック・スレイブの後を追えば、当然だがレイラも一緒にティールを離れてしまう。そうなっては、ガエタノや村民たちの治療ができない。ガエタノは素人目でも危険とわかる重傷だ。マナを含んだ水や聖水での治療では間に合わない可能性がある。村民の中にも深手を負った者が何人もおり、それらを放置してヴェノムティック・スレイブを追うことは、狩夜にはできなかった。
今は逃がすしかない――そう胸中で呟きながら、狩夜はガエタノへと向き直る。すると――
「逃げるな! お前も父ちゃんの仇だぁぁあぁ!」
と、怒声を上げながら走るザッツが、狩夜のすぐ横を駆け抜けていった。突然のことで反応が遅れ、狩夜は何もできずにザッツを見送ってしまう。
「ザッツ君!?」
あわてて振り返り名前を呼ぶが、ザッツは止まらなかった。ヴェノムティック・スレイブの後を追って、森の中へと消えていく。
「ザッツ! 馬鹿、戻れ! お前ひとりで何ができる! 待て、待つんだ!」
重傷であるにもかかわらず、懸命に声を上げるガエタノ。だが、ザッツは戻ってこなかった。ガエタノの声が、ただただ虚しく周囲に木霊する。
狩夜は悩んだ。ザッツの後を追うか、追わないかで。
今すぐザッツの後を追いたい気持ちはもちろんある。ソウルポイントで強化されていない一般人であるザッツでは、ヴェノムティック・スレイブに勝てるわけがない。すぐにでも保護しなければ、間違いなく返り討ちである。だからといって、今狩夜がティールを離れるわけにもいかない。レイラの治療を必要とする者が、ここには何人もいるのだ。
苦悶の表情を浮かべながら、狩夜は悩み、体を震わせる。イルティナも、メナドも、ガエタノも、狩夜と同じような顔をしていた。
そんな時である。場の空気を全く読まない高笑いが、墓地の中に響き渡った。
「はぁーはっは!! どうやら私の出番のようだね!」
ジルであった。パートナーである怪鳥ガーガーの上にまたがりながら、ヴェノムティック・スレイブとザッツが消えた方向を見据えている。その傍らには、彼のパーティメンバーが勢ぞろいしていた。
「ジルさん!? いったい今までどこに――」
「そんなことはどうでもいいだろう狩夜君! ザッツ少年のことは私たち『虹色の栄光』に任せてくれたまえ、必ず無事に連れ戻す! 君はこの場に残り、傷ついた村民たちの治療を頼む!」
ここで言葉を区切り、ジルは狩夜からイルティナの方へと顔を向けた。そして、イケメンスマイルを炸裂させながら、こう宣言する。
「ティナ! 私はこのティールを苦しめた悪しき魔物を必ずや討ち果たし、ザッツ少年を連れて君のもとに戻ってくる! 吉報を待っていてくれたまえ! いくぞ皆、私に続けぇ!」
この言葉を最後にジルは口の動きを止め、真剣な表情でガーガーの腹を蹴った。ジルを乗せたガーガーを先頭に、パーティ『虹色の栄光』が森へと突撃していく。その様子を、狩夜は呆気にとられながら見送った。
「あの、イルティナ様……ジルさんたち行っちゃいましたけど……ザッツ君のこと、任せちゃって大丈夫ですかね? 正直、かなり不安なんですけど……」
ジルたちが見えなくなった後、狩夜は困惑顔で口を動かした。一方、ジルの一連の行動に呆れ顔のまま閉口していたイルティナであったが、狩夜の問いかけで我に返り、こう口を動かす。
「まあ……大丈夫だろう。あれでジルもサウザンドの開拓者だ。そこらの魔物に遅れはとらんよ。それに、ジルは戦う相手の強弱に敏感でな。自分より強い相手にはすぐさま逃げ出すが、弱い相手にはめっぽう強い。そんなジルが率先して向かったんだ。ヴェノムティック・スレイブ相手なら高確率で勝てると踏んだのだろう。ザッツを助けたいという思いも――まあ、本心だ。下心はあるだろうがな」
「下心?」
「ああ、ジルは今すぐになにかしらの手柄が欲しいのだろう。ここで手柄を立てて、私に復縁を迫るという腹積もりに違いない。そんなことをしても無駄だというのにな……馬鹿な男だよ、まったく」
イルティナはこう言った後「やれやれ」と言わんばかりに小さく溜息を吐いた。その溜息は、どこか嬉し気な溜息だったように狩夜は感じた。
「あの、イルティナ様……」
「なんだ、カリヤ殿?」
「本当は、ジルさんのこと好きだったり――」
「それはない!!」
狩夜が最後まで言い終えるのを待たず、否定の言葉を口にするイルティナ。それが照れ隠しなのか、はたまた本心なのかは、人生経験及び、恋愛経験に乏しい狩夜にはわからなかった。
「ごほん……ではカリヤ殿、無駄話はここまでにして、村民たちの治療を頼む。不安だろうが、ザッツのことはジルに任せておけば大丈夫だ」
「あ、はい。わかりました。レイラ、お願い」
イルティナが言うなら大丈夫だろうと自分を納得させ、狩夜は負傷者の治療を開始した。心の中ではザッツのことを心配しながらも、真剣な顔でレイラに指示を飛ばす。
――ジルさん。ザッツ君のこと、どうかお願いします。