041・上位個体 下
「――っ!」
主という単語に、狩夜は思わず息を飲む。
ティールを襲った巨大な蟲の魔物の話は、イルティナとガエタノから聞いている。人的被害は少なかったものの、ティールを囲っていた防護柵が壊滅的な被害を受け、民家が二つ潰された――と。
「あの主がティールを襲ったとき、村民を守ろうと奮戦したメラドが深い手傷を負った。その傷自体は回復薬を飲ませてすぐに塞いだのだが――傷をつけられたときに何かされたのだろう。そのことに気づかず、放置した結果があれだ……」
イルティナはゆっくりと視線を動かし、変わり果てたかつてのパーティメンバーへと視線を向けた。そして、その姿を見つめながら、悔し気に唇を噛む。
恐らくその主は、メラドに傷をつけた際に寄生型の下位個体、もしくは卵を体内に植えつけたのだろう。だからメラドは村の誰よりも早く発病し、死亡した。そしてメラドの埋葬後、体内で成長、繁殖したヴェノムマイト・スレイブが体から這い出し、ティールの村で大繁殖。奇病を村にばら撒いたのである。その後、その奇病で死んだガルーノの遺体もまた利用され、更に繁殖。爆発的にその数を増やし、今に至る。
これが、ティールの村を壊滅寸前にまで追い詰めた事件の真実。偶然だったとしたら悲劇だが、もしこれら一連の事件を、その主が意図的に起こしたのだとしたら、それは――
「……カリヤ殿、もういいだろう? 二人を下ろしてやってはくれないか? あのままでは、あまりに……その……な」
「あ、はい。レイラ」
狩夜は思考を中断し、レイラの名前を呼ぶ。すると、レイラはコクコクと頷き、ザッツの両親の遺体をゆっくりと地面に横たえた。だが、近づく者は誰もいない。それは、両者の体がヴェノムマイト・スレイブだらけだからである。メナドとガエタノは、それでもふらふらとした足取りで遺体に近づこうとしたが、他の村民に諫められ、すぐに足を止めた。その間もザッツは一人延々と泣き続けている。
狩夜は見てられないと言いたげにその光景がら目を背けると、イルティナに向けて声を発した。
「あの、この後どうしますか? 相手が主となると、無策で突撃というわけにはいかないでしょう?」
「無論だ。だが、まずはあの二人をもう一度弔ってやりたい。しかし、あのような状態では……どうしたものか……」
困りきった顔で俯いてしまうイルティナ。そんなとき、村民の誰かからこんな声が上がる。
「残念だけど……二人の遺体は……もう燃やすしかないんじゃないか?」
この声が響いた瞬間、狩夜以外のすべての人間が息を飲み――
「誰だぁ! 燃やすなんて言いやがった奴はぁぁあぁああ!!」
ザッツの怒声が爆発した。涙でぐしゃぐしゃになった顔を怒りで更に歪めながら、声がした方向を睨みつけている。
「遺体を燃やしたりしたら、父ちゃんも、母ちゃんも、森に……ドリアード様のところに帰れなくなるだろうが!! よくも……よくもそんな酷いことが言えたなぁ!!」
「ど、どういうことです?」
ザッツの怒りようは尋常じゃない。現代日本で生まれ育ち、火葬に慣れている狩夜には、なぜザッツがああも怒っているのか理解できなかった。
そんな狩夜の疑問に、イルティナが答える。
「我々木の民の遺体は、森の中に造られた墓地、もしくは巨木の下に埋葬されるのが通例だ。遺体を木々の養分とすることで、木の民の魂は肉体から離れ、森に――木精霊ドリアード様の元へと帰ることができる」
「な、なるほど」
「遺体を燃やすのは、光の民と火の民の作法だ。つまり、死者の魂を光精霊ウィスプ、もしくは火精霊サラマンダーの元へと送る行為。もし遺体を燃やしてしまえば、メラドとガルーノの魂は、ドリアード様の元へ帰れなくなってしまう」
「そっか、だから……」
だからザッツは、あんなにも怒っているのだ。
「やっぱりお前らなんか大っ嫌いだ! どいつもこいつも自分のことしか考えてねぇ! 人でなしどもめ! ぶっ殺してやる!」
ザッツは叫び、駆けだした。拳を握り締めながら、声が聞こえた方へと邁進する。両親を守るために、暴言を吐いた大人に一矢報いるために。
しかし――
「止まれ、ザッツ」
伯父であるガエタノに、その邁進を阻まれた。後ろから羽交い締めにされ、軽々と持ち上げられてしまう。
「何するんだよ伯父さん! 離せ! 離せよくそぉ!」
四肢をがむしゃらに振り回すザッツであったが、ガエタノの腕はびくともしない。体格の差があまりにもありすぎた。だが、それでもザッツは諦めない。必死に体を動かし、口ではガエタノを非難する。
「なんだよ! 伯父さんまで人でなしどもの味方かよ! ちくしょー!」
「……」
ザッツの言葉にガエタノは何も答えなかった。そして、無言でザッツを抱え上げながら、ゆっくりと歩き出す。
ガエタノが向かう先、それはヴェノムマイト・スレイブにまみれた、ザッツの両親のところであった。
村民の何人かが、ガエタノに制止の言葉をかけようとしたが、ガエタノが浮かべるあまりに真剣な表情に言葉を詰まらせ、何も言えないまま身を引く。ガエタノの前にいた村民たちもすぐさま移動し、ガエタノに道を譲った。
ほどなくして、ガエタノはザッツの両親のすぐ近くにまで歩を進め、そこで足を止めた。次いで、こう呟く。
「見ろ、ザッツ」
ザッツに変わり果てた両親の姿を見るよう促すガエタノ。しかしザッツは「嫌だ!」と言って、顔を背けてしまう。だが、ガエタノはそれを許さなかった。ザッツを地面に下ろすと、その頭を鷲掴みにし、無理矢理両親へと向き直らせる。
「見ろ! ザッツ! 見るんだ!」
「う……うぅ……」
ザッツは観念したように呻き、両親と向き合った。涙で真っ赤になった目で、変わり果てた両親を直視する。
「わかるだろザッツ!? これを見ればわかるだろ!? お前が本当に怒りを、恨みを向けるべき相手がなんなのか!」
「うぅ……うううぅぅ」
「お前の父さんと母さんを殺したのは、あの主だ! 村の仲間たちじゃない! あの魔物だ! わかるだろ!」
「うううぅうぅぅう!!」
「だから間違うなザッツ! 村の仲間に甘えるなザッツ! 本当の敵から目を背けるなザッツ!!」
ザッツは泣いていた。ガエタノも泣いていた。イルティナも、メナドも、タミーも、村民たちも、皆が皆泣いていた。村の英雄の変わり果てた姿に、ティールのすべてが涙した。
「ザッツ……ガエタノさん……」
「くそ……くそぉ……」
「あの主の……あの主のせいで……」
「ガルーノさん……メラドさん……いい人だったのに……」
「ちくしょう! ちくしょう! 絶対に許さねぇ!」
墓地の至るところから悲しみの声が上がる。以前ガエタノがザッツに言ったように、ガルーノとメラドを忘れた者など、ティールには誰一人としていなかったのだ。
ガエタノは、ここでザッツから手を離す。解放され自由になったザッツであったが、もう同胞である村民に拳を、怒りを向けようとはしない。泣きながら両親を真っ直ぐに見つめている。
「……討ってやる」
ザッツは両親から視線を外し、天を仰いだ。そして、狩夜と村民全員に見守られながら、決意の言葉を口にする。
「絶対、父ちゃんと母ちゃんの仇を討ってやる!!」