032・姫の婚約者にろくな奴はいない 上
「物資がきたぞー!!」
異世界生活六日目・早朝。クエストを受注し、狩夜がレイラと共にギルドを後にした直後、その声はティールの村中に響いた。
声を上げたのは、今日も柵の設置作業に従事していた男衆の一人。彼の声を聞きつけて、村民が続々と家を飛び出し、村の出入り口へと殺到する。村民の顔は一様に笑顔で、誰もが物資の到着を歓迎していた。
森へ向けようとしていた足の動きを止め、村の出入り口の先、小川に沿ってできた道へとその視線を動かす狩夜。そして、大きな荷車を囲むように陣形を組む、その一団の姿を視界に収める。
真っ先に目についたのは、巨大な荷車を引く大きな鳥。体高は二メートルを優に超え、姿形はダチョウ――いや、ドードーに近い。体毛は水色がかった灰色で、その巨体を支える足は丸太のように太かった。羽はあるが、小さく退化しており、飛ぶことは出来そうにない。小山のように物資が満載された荷車を軽々と引き、悠々と歩いている。
次に目についたのは、その怪鳥にまたがり手綱を引く、一人の男。
雪のように白い肌と、横に長い耳。ウェーブのかかった金髪を持つ、純血の木の民。美男美女揃いの木の民の中でも、頭一つ抜けた美丈夫であった。
驚くことにその男は、国によって厳重管理されているという金属装備を二つも身に着けている。一つは腰に下げたロングソード。もう一つは、彼の全身を包むプレートメイルだ。騎士然としたその姿が実に絵になっている。
彼は間違いなく開拓者だ。そして、彼がテイムした魔物が、あの怪鳥なのだろう。
美丈夫のパーティメンバーと思われる者の姿もあった。
背中に石斧を背負った大柄な男と、弓と矢筒を背負った妙齢の女性。そして、瓢箪・大を二つと、大きなバックパックを背負った小柄な少年という四人組のパーティで、全員が純血の木の民である。
他にも、フォレストリザードを肩に乗せた開拓者らしき男性と、そのパーティメンバーであろう女性の二人組や、非戦闘員と思われる男女が四人。開拓者のような服装をしているものの、テイムした魔物を連れていない男女が六人おり、計十六人の集団であった。
ほどなくして、その集団はティールの村に到着し、出入り口を潜る。道の左右に集まったティールの村民が歓迎の声を上げると、美丈夫が笑顔で手を振った。その姿も嫌味なほどに様になっている。
美形は得だなと思いつつ、狩夜は目の前を横切っていく美丈夫を見上げ、漠然と呟いた。
「金属装備を二つも……きっと有名人なんだろうな」
「ええ、有名な方ですよ。いろいろな意味で」
独白に答える形で聞こえてきた声に反応し、狩夜は顔を右に向けた。次いで口を動かす。
「ガエタノさん」
いつの間にか狩夜の隣にはガエタノがいた。彼は狩夜に小さく会釈し、こう言葉を続ける。
「彼の名はジル・ジャンルオン。ウルズ王国戦士団・団長の息子にして、“七色の剣士”の二つ名を持つ開拓者です」
「“七色の剣士”ですか。それは強そうですね」
なんとも強そうな肩書であった。いや、実際に強いのだろう。数々の偉業と功績を打ち立てて、美丈夫――ジルは、あの二つの金属装備を手に入れたに違いない。
「王国戦士団・団長の息子ということは――あれですか? 彼は貴族ということですか?」
「貴族? いえ、ジル殿は貴族ではありませんよ。というより、今のウルズ王国に貴族と呼べる身分の人間は、王族以外に存在しません」
「え? 王族以外に貴族っていないんですか? ウルズ《《王国》》なのに?」
「はい。王族以外の貴族とは、戦争などで功績を上げ、王より爵位と領地をもらった者――で、あっとりますかな? 何分、私もこういったことには疎くて……」
「いや、聞いているのは僕なんですけど……でも、間違ってはいないと思いますよ。貴族って、そんな感じの人達だと思います。たぶん」
日本の一中学生が、縁遠い存在である貴族のことを熟知しているはずもない。狩夜の知識では『貴族=なんか偉い人』ぐらい認識でしかなかった。特に興味もなかったので、イルティナやメナドからも聞いてはいない。
「現状のユグドラシル大陸では、人間同士の戦争など起こりようはずがありません。すべての人間が種族を越えて力を合わせなければ、魔物に攻め滅ぼされてしまいますからな。なので、戦争で功績を上げるなど、そもそも不可能なのです」
「なるほど」
「加えて、貴族に任せられるような土地もありません。これは他国も同様。つまり今の人間には、王と、その血縁者だけで十分に管理できてしまう程度の土地しかないのです。それ以外の土地は……悔しいですが、全て魔物のものですな」
どうやら、本当にこの世界には、王族以外に貴族はいないらしい。
「強いて言えば、魔物に支配された土地を開拓し、そこに人が住める環境を構築した者が、新たな貴族となるのやもしれません。その開拓地の支配権を手に入れ、王を名乗ることすら許される。他には……王族と婚姻を結んだ者も、新たな貴族と呼べるでしょう。その者は、王族の一員となるのですからな」
ここでガエタノは言葉を区切り、狩夜からジルへと視線を向けた。そして、こう言葉を続ける。
「そういう意味では、ジル殿は貴族と呼んでもいいのかもしれません。彼は、イルティナ様の婚約者でありますので」
「え!? イルティナ様の!?」
狩夜は驚き、声を上げる。そして、ガエタノからジルへと視線を向け、しばらくその姿を見つめた。
ほどなくして、狩夜は別段心を波立たせることもなく、その事実を受け入れる。あんな美人と結婚するジルのことが、男として多少妬ましくはあったが、狩夜の中で湧き上がった負の感情は、せいぜいそれくらいのものであった。
次いで狩夜は、絶世だの、傾国だのが三つも四つもつきそうなほどに整ったイルティナの顔を思い浮かべながら、胸中で呟く。
やっぱり一国の姫ともなると、婚約者とかいるんだなぁ――と。
まあ、お似合いではあると思う。美男美女で、共に一流の開拓者。一国の姫と戦士団・団長の息子なら、親同士の交流、そして、本人同士も幼いころから交流があったのだろう。
狩夜は、短いつき合いながらも縁を持った者の一人として、イルティナとジルのことを祝福しようと思った。もっともそれは、ジルが善人であり、イルティナがジルとの婚約を認めていればの話である。親が勝手に決めた婚約者で、イルティナは嫌々という可能性もあるのだ。姫の婚約者にろくな奴はいないというのが、ファンタジーのお約束なのである。
「ティナ!」
狩夜が何の根拠もない勝手な想像をしていると、ジルが大声を上げ、怪鳥の上から飛び降りた。次いで、みずからの足で村の中央の広場へと駆けていく。そこにはメナドを後ろに控えさせたイルティナの姿があった。ティナというのはイルティナの愛称だろう。
「ティナ、会いたかったよ! 本当に病気が治ったんだね! 都にいる間、一秒たりとも君のことを忘れたことはなかった! 君が隣にいない日々は、まさに一日千秋、永遠のように長く感じたよ! だが、それも今日で終わりだ! さあ、今すぐ二人の愛を確かめ合おうじゃないか!」
歯の浮くような台詞を次々に並べながら、イルティナのもとへと駆けより、その体を抱き締めようと両手を広げるジル。そんなジルを見つめながら、イルティナも破顔した。そして、こう告げる。
「ああ、私も会いたかったよ。ジル」
近づいていく二人の距離。そして、ついに二人の距離は零となる。ただし、その接触面はごくわずかであった。その場所は――
「私とこの村を見捨てた貴様の顔面に! 私みずから一撃叩き込んでやりたかったからなぁ!」
イルティナの右拳と、ジルの左頬である。