030・救えなかったもの 下
「――っ」
この村に――いや、この世界イスミンスールに来て、初めて他者から向けられた負の感情。心を抉られるようなその感覚に、狩夜は思わず息を飲み、沈黙してしまう。そんな狩夜に対し、ザッツは更にまくしたてた。
「他の人は皆助かったのに、なんで俺の父ちゃんと母ちゃんだけ死ななきゃなんないんだよ! 答えろよ!」
「やめろザッツ! いい加減にしろ!」
何も言えないでいる狩夜に代わり、ガエタノが声を張り上げた。それに続き、いつの間にか周囲に集まっていたティールの村の人々も、次々にザッツに向けて非難の声を上げる。
「おいザッツ、口を慎め。お前の両親が死んだのは病気のせいであって、カリヤさんのせいじゃないだろ」
「そうだぜ。そりゃあただの逆恨みだ」
この他にも「そうだ、そうだ」とか「早く謝れ」といった声が上がる。だが、ザッツは一向に態度を改めようとはしない。それどころか――
「うるさーい!!」
と、この場にいるすべての人間に向けて、怒りを爆発させた。
「どいつもこいつもよそ者の味方をしやがって! こいつより先にお前らを救ったのは父ちゃんだろ!? お前らが病気で動けない中、父ちゃんが皆のために食べ物や薬草を探して、魔物からこの村を守ったんだ! 父ちゃんだって病気だったのに……なのに、皆のために、このティールのためにって……命を削って頑張ったんだ!」
ザッツのこの言葉に、村の住人は口の動きを止めた。そして、ばつが悪そうにそっぽを向いたり、頬をかいたりしている。
「その無理のせいで父ちゃんは死んだ! なんでだよ!? なんで村のために頑張った父ちゃんが死んで、そんな父ちゃんに甘えて、村で安静にしてたお前らが助かってんだよ! おかしいだろ! 父ちゃんは頑張ったんだ! 俺や、村のみんなを助けるんだって、命懸けで頑張ったんだ! 報われなきゃ嘘だろ! 誰よりも頑張った父ちゃんが、何で助かってないんだよ!? 死ぬべきだったのは父ちゃんじゃなくて、お前らの――」
「ザッツゥゥウゥウゥ!」
ここにきて、ついにガエタノが爆発した。鷲掴みにしていたザッツの頭から右手を放し、握り拳を作る。そして、その拳をザッツの脳天目掛け垂直に振り下ろし、全力で殴りつけた。
周囲に響き渡る鈍い音。さすがのザッツもこれには口の動きを止め、両手で頭を抱えながら蹲った。そんなザッツを、胸の前で右拳を震わせているガエタノが見下ろしている。そして、ガエタノは更に握り拳を強く握り締め、右手から赤い雫を垂らしながら、毅然とした態度でこう言葉を紡いだ。
「お前の父さんが死んで……他の村民が助かった。その理由は……理由はなぁ……」
一度言葉を区切り、大きく息を吸い込むガエタノ。そして、このティールの村――いや、周囲の森の奥地にまで響いていきそうなほどの大声で、次の言葉を言い放つ。
「そんなの、お前の父さんがこの村で一番強く、勇敢で、立派な人間だったからに決まってるだろうが!!」
この言葉を聞き、蹲っているザッツの体が大きく震えた。そんなザッツを見下ろしながら、ガエタノは更に言葉を続ける。
「確かにお前の言う通りだ、ザッツ。私や村のみんなが助かったのは、お前の父さんのおかげだ。お前の父さんがいなければ、カリヤ殿が村にくる前に、私たちは全滅していただろう。そしてお前は、そんな父さんが死んで、私たちが生きているのが許せないんだよな? 気持ちはわかるぞ。お前の父さんは、私にとっては弟だからな……」
「……」
「でもなザッツ! それは言っちゃダメなんだ! 言葉にしちゃダメなことなんだ! 言葉にした時点で、それはお前の父さんへの、命懸けでこの村を救った英雄への侮辱になる! 弟を侮辱することは、誰であっても私が許さん! たとえお前であってもだ、ザッツ!」
ここで一旦口の動きを止めるガエタノ。そして、目の前で蹲るザッツの肩に右手を置き、今度は優しく語り掛けた。
「お前の父さんは、私の誇りだ。この村の英雄だ。村民全員がそう思っているよ。誰も忘れてなんかいない。だから、カリヤ殿にあたるな。他者を憎むな。いつの日か、お前にもわかるときが――」
「うるさい!」
肩に乗せられたガエタノの手を払いのけながら、ザッツが叫ぶ。次いで勢いよく立ち上がり、ガエタノを睨みつつ口を動かした。
「俺は……俺は父ちゃんが立派でなくてよかった! 勇敢でも、英雄でもなくてよかった! ただ……ただ俺と、ずっと一緒にいてほしかった!」
「ザッツ……」
力なくザッツの名を呼ぶガエタノ。そんなガエタノから視線を外し、ザッツは狩夜を睨む。
「お前が嫌いだ!」
次いで周囲を見回し、言う。
「お前らも嫌いだ!」
そして、肩を震わせながら天を仰ぎ、涙を流しながら大声で叫んだ。
「みんなみんな、大っ嫌いだ!」
自身を取り巻くすべてのものに呪詛を吐いた後、ザッツは駆け出した。ガエタノの脇を通り抜け、周囲の村民の隙間を縫い、いずこかへと走り去る。
そんなザッツを、狩夜は無言で見送った。両親を失って悲しみに暮れる少年にかけられる言葉など、狩夜は何一つ持ってはいない。
「……すみません。私の甥っ子が……とんだご無礼を……」
狩夜と同じようにザッツを見送ったガエタノが、深く深く頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。狩夜は短く「いえ」と答えた後、こう言葉を続ける。
「やっぱり……助からなかった人もいたんですね……?」
予感はあった。だが、今まで誰にも聞けなかったことを狩夜は問う。
ガエタノは、ゆっくりと深く頷いた。そして、イルティナや、メナド。タミーや、他の村民も、狩夜に気をつかって言わずにいたであろうことを、重苦しい声で語り始める。
「ええ、あの奇病での死者は二人。ザッツの父である私の弟と、母である義理の妹です。義妹は誰よりも早くあの奇病にかかり、そして死にました。奇病が村全体に広がったのは、義妹の死後すぐです。弟が死んだのは、カリヤ殿が村を訪れる二日前になります」
「……そうですか」
「はい。ちなみに弟と義妹は、共にイルティナ様のパーティメンバーでありました。義妹は、メナドの姉になります」
「メナドさんの……」
ということは、ザッツはメナドにとっても甥ということになる。
「ザッツも、両親が生きていたころは「俺も将来は開拓者になって、父ちゃんみたいになるんだ!」と、一人で村を抜け出しては魔物のテイムに挑む、とても活発な子だったのですが、義妹が死んで以来塞ぎがちになり、追い打ちをかけるように弟が死んで、今ではあの有様。まるでこの世の全てを憎んでいるかのように、誰彼かまわず当たり散らすしまつ」
狩夜は、ガエタノの話を聞きながら目を閉じた。そして、ザッツの口から放たれた言葉の数々を心の中で思い起こす。
どれもが勝手な言い分だったと思う。両親の死を狩夜にあたるのは間違いなく筋違いだ。
僕は悪くない、あれは勝手な逆恨みだと結論づけて、犬にでも噛まれたと思ってさっさと忘れる。それが一番の解決法であろう。
狩夜は「うん、そうしよう」と胸中で呟き、今日のことはすぐに忘れ、ザッツとは今後かかわらないようにしようと心に決めた。だが、そう決めた瞬間――
ズキリ!
と、なぜだか胸が痛んだ気がした。狩夜は驚いて目を見開き、次いで右手を胸へと運ぶ。
特に異常は――見当たらない。
なんだったんだ? と、首を傾げる狩夜。そんな狩夜に、ガエタノが再度話しかけてくる。
「この村に滞在する間、またザッツが粗相をするやもしれませんが……広い心で許していただけると、助かります」
「……え? あ、ええ。わかってますよ。ガエタノさん」
狩夜は胸から手を離し、愛想笑いを浮かべながら頷いた。そして、まだ怒りが収まっていないらしいレイラの頭を撫でてから「僕にも何か手伝わせてくださ~い!」と、意識して明るい声を出し、作業現場に駆け寄る。
その後狩夜は、狩夜を快く迎え入れてくれた男衆たちと共に、一心不乱に働いた。時間を忘れ、日が暮れるまで柵の設置作業に従事した。
今は消えた胸の痛みと、一人の少年を忘れるために――