028・壁の向こう側 下
「……勝った」
その場にへたり込みそうになる自身の体をどうにか支えながら、狩夜は小さく呟いた。ほどなくして、強い達成感と共に、喜びの感情が爆発する。
「勝った! 僕だけの力で熊に、こんなおっきな魔物に勝ったんだ!」
一般人では絶対になしえない偉業。強くなったという事実、そして実感に、狩夜は歓喜の声を上げた。その直後、レイラが動く。二枚ある葉っぱを広げ、狩夜を抱き締める様に包み込んだのだ。
レイラも祝福してくれている。そう思った狩夜が、お礼の言葉を口にしようとした、次の瞬間――
「え?」
狩夜は、間の抜けた声を漏らしていた。
狩夜の全身を包み込んだレイラの葉っぱ、その外側から、いくつもの衝突音が響き渡ったからである。
突然の事態に愕然としながらも、狩夜は昨晩眠る前にレイラとした、ある話を思い出していた。
その話とは『狩夜が助けを求める、もしくは危機に陥らない限り、基本的には手出し無用』という、レイラへの依存を打ち切り、狩夜が強くなるための、今後の戦闘における基本方針であった。
この話をした当初、レイラは「もっと私に頼ってくれてもいいのよ?」とでも言いたげな顔で首を左右に振っていたのだが、長い時間をかけて説得し、どうにかこうにか説き伏せた。ゆえに、今日の狩りでレイラは、魔物の回収以外では一切狩夜に力を貸していない。
そんなレイラが、動いた。これはつまり――
「……くそ」
周囲の様子をレイラの葉っぱの隙間から確認した後、狩夜は小さく悪態をつく。
ワイズマンモンキーが、いた。いつの間にやら、狩夜の頭上には四匹ものワイズマンモンキーがおり、四方から狩夜を包囲している。
先ほどの衝撃音は、ワイズマンモンキーの投石によるものだろう。ワイズマンモンキーは、狩夜がベアに気を取られている間に接近し、狩夜が隙を見せ、投石で確実に仕留められる瞬間を、ずっと待っていたに違いない。
なんでそんな手の込んだことをしてまで狩夜の命を狙ったのか? 答えは簡単。間違いなく、昨日の意趣返しである。真正面からでは勝てないと踏んで、このような暗殺を企てたのだ。
レイラは、そんな暗殺者たちの魔の手から、狩夜を守ってくれたのである。
「なんだよ……全然だめじゃないか……」
狩夜は俯き、肩を震わせた。
また守られた。一人だったら、間違いなく死んでいる。
調子に乗った自分が恥ずかしかった。人間の壁を破って、身体能力が上がっても、結局狩夜はこの程度なのである。
弱くて、情けなくて、矮小だ。
こんな体たらくでは、他の誰かを助けるどころか、自分の身すら――
ペシペシ。
弱気な考えを止めたかったのか、もしくは今にも泣きだしそうな狩夜を慰めたかったのか、レイラが頭を叩いて来る。頭部に感じる優しい衝撃に元気づけられ、狩夜は気を取り直し、顔を上げた。そして、自身の暗殺を企てたワイズマンモンキーの群れを、敵意を持って睨み付ける。
「キー! キー!」
一方のワイズマンモンキーたちは笑っていた。入念に準備された暗殺が失敗に終わったというのに、余裕の表情で狩夜とレイラを見下ろしている。
「キャー!」
リーダーと思われる固体が、鳴き声と共に何かを放り投げてきた。すわ投石かと思ったのだが、随分とゆっくりなうえに、軌道も狩夜から大きく外れている。
「「「キャー! キャー!」」」
他の三匹もリーダーに続き、何かを放り投げてくる。そのどれもが狩夜から少し離れた場所に落下し、地面を転がった。
計四つ。狩夜の周囲に投げられた、その何かは――
「……ラビスタ?」
そう、ラビスタであった。しかも、全身傷だらけで、事切れる寸前といった様子のラビスタである。
ワイズマンモンキーの意図が読めず、血まみれのラビスタを訝し気に見つめながら狩夜が首を傾げた。が、その直後。狩夜の耳に、聞き覚えのある音が届く。
「こ、これって……」
それは、けたたましい足音。聞き間違えでなければ、狩夜が異世界にきた直後に聞いた、あの足音に酷似している。しかも一つではない。全方位、至る所から聞こえてくるその足音は、まるで地鳴りであった。
ここにきて、狩夜はワイズマンモンキーの狙いに気がついた。奴らは血まみれのラビスタを使って、ここまで誘導してきたのである。この森に生息する魔物の中で、主を覗けば最も強く、恐ろしい魔物を。
新人殺しの異名を持つ漆黒の四足獣。その魔物の名は――
「ブモォオォォオォ!」
ベヒーボア。
狩夜が目にした主化した個体に比べて、一回り以上小振りであったが、それでも十分に大きい。主がダンプカーなら、こっちは軽自動車といったところだろう。
そんな黒い暴獣が群れをなし、円を小さくしていくかのように狩夜とレイラに突撃してくる。
「キャー! キャー!」
木の上という安全圏で高みの見物をしながら、ワイズマンモンキーが嬉し気に声を上げた。多くの仲間を屠った狩夜とレイラが、自らが誘導したベヒーボアに潰されるところを、今か今かと待っている。
真正面から戦って勝てないなら暗殺を企て、それでも倒せないなら、別の魔物を利用し、殺させる。その知能の高さに、狩夜は素直に舌を巻いた。そして、狩夜はワイズマンモンキーの狙い通り、大ピンチである。
全方位から隙間なく迫りくるベヒーボアの大群。それらを避ける術など、狩夜にはない。川に向かうのは――無理だ。ベアを見つけ、追いかけているうちに、思っていた以上に森の奥まできてしまっている。正面から戦うなど論外。質量の暴力の前に、為す術もなく踏み潰されるだけだ。狩夜一人の力では、もうどうしようもない状況であった。正直、お手上げ。完全に詰んでいる。
狩夜は小さく嘆息した。そして、自らの無力を胸中で嘆きつつ、こう口にする。
「調子に乗って、本当にすみませんでした……」
――もう二度と、自分が強いなどと思いません。狩りの最中に油断もしません。だから――
「レイラ……お願い、助けて」
狩夜の口からこの言葉が放たれた瞬間、レイラは狩夜の防衛にまわしていた二枚の葉っぱを、周囲に向けて無造作に振るう。すると――
「ウキャ!?」
狩夜とレイラを中心にして、世界が上下に分割された。
狩夜に向かって爆走していたベヒーボアの大群も、周囲に乱立する森の大木も、レイラの葉が通過した場所にあったすべてのものが、ものの見事に切り裂かれ、上下に泣き別れしている。
切り倒されていく大木の上で、ワイズマンモンキーが目をむいていた。先ほどの状況から逆転されるとは思っていなかったのか、反応が遅れ、宙に放り出されてしまう。なす術なく地面に向かって落下していった。
そんなワイズマンモンキーたちを見つめながら、レイラが笑う。口裂け女のような、あの笑みだ。
落下途中のワイズマンモンキーの表情が恐怖一色に染まった直後、その表情は永遠に動かなくなる。
レイラの体から四本の木の枝が出現し、ワイズマンモンキーの頭部を串刺しにしたのだ。
まさに一本一殺。四本の枝それぞれにワイズマンモンキーの死体がぶら下がり、磔となっている。
狩夜ではどうしようもなかった状況をものの数秒で打開し、周囲に死を撒き散らした後、レイラは頭上に肉食花を出現させ、まずワイズマンモンキーの死体をそこに放り込んだ。次いで、周囲に散乱するベヒーボアの死体に向けて蔓を伸ばし、順次肉食花の中へと放り込んでいく。
狩夜はその光景を見つめながら「結局レイラに頼っちゃったな~」と自嘲気味に呟き、次いでこう口にした。
「レイラ、ベヒーボアの死体なんだけど、一匹だけ食べずに保管しておいてくれないかな? ギルドに運んで、クエストをクリアしよう」
レイラは、狩夜の言葉にコクコクと頷いた。そして、ベヒーボアの死体が残り一つとなったところで肉食花を引込める。その後、口を大きく広げて、ベヒーボアの死体と、狩夜が仕留めたベアの死体を丸飲みにした。
「よくあるよね。クエストを受注した瞬間に、もうクリアって展開」
叉鬼狩夜。クエスト【新人殺しを討て!】 をクリア。