238・魔草三剣・布都御種 上
「ピャイィィイィイイィィイィィィ!!」
聖域に響き渡ったのは、危機に直面した際に鹿が発する警戒音。
仲間に救援を求める声を上げながら、狩夜から少しでも距離を取るべく移動するドゥラスロール。角を犠牲に窮地を脱した後、躊躇なく逃げの一手を選択した白の聖獣を、狩夜はレイラと共に追い縋る。
渾身の一撃の代償。不可避であった技後硬直は、時間にしておおよそ一秒。追撃を放てず、ドゥラスロールに逃走の猶予を与えたその一秒を埋めるべく、狩夜は有らん限りの力で聖域を駆け抜ける。
だが、自身とドゥラスロールとを隔絶する一秒の差を、狩夜はほとんど埋められずにいた。
逃げを選択した後のドゥラスロールの動きは、奇襲の際に見せたそれとは明らかにキレが違う。ヒーラーであり、他の聖獣と比べて膂力で劣るドゥラスロールであるが、決して貧弱というわけではない。その身体能力は、ハンドレットサウザンドの開拓者である狩夜と比較しても、見劣りするものではなかった。
地形もドゥラスロールに味方する。一面が世界樹の根に覆われた聖域の地形に、狩夜は不慣れで、ドゥラスロールは慣れていた。加えて土地勘もある。それら地の利を最大限利用して、ドゥラスロールは狩夜を引き離しにかかった。
神の眷属たる聖獣が、聖域の守護者が、恥も外聞もかなぐり捨てて断行した全力の逃走。その必死の逃走が、狩夜の接近を拒んでいる。
狩夜は悟った。このままでは追いつけない。
ゆえに求めた。この状況を打開しうる力を。
だから叫ぶ。眼前の苦境を切り開くことのできる武器の名を。
「魔草三剣が一つ! 布都御種!」
狩夜の呼びかけに応じ、レイラが動く。
葉々斬を含む、自身から伸びるすべての蔓を根元から自切。その後、頭上から伸びる二枚の葉っぱを重ね合わせ、頭部から垂直に伸ばしてから硬質化させた。
それらに並行し、レイラ本体にも変化が起こる。胸部を割り開き、体内に収納していた世界樹の種を露出。両腕を左右に広げ、両脚を揃えた後、双方を細長く伸ばした。
完成したのは、緑色の刀身と茶色の柄、そして、星の縮図たる宝玉の三つから構成される、幅広の両手剣。
魔草三剣・布都御種。
かの剣神、建御雷神が振るったとされる神剣。それとよく似た名を持つ剣を、相棒たるレイラが全身を使って作り上げた、自陣営最強の武器を受け取った狩夜は、両手でそれを握り締め、世界を縮めるつもりで聖域を蹴り飛ばす。
次の瞬間、埋まることのなかった一秒が消し飛んだ。狩夜の体が爆発的に加速し、ドゥラスロールに肉薄する。
魔草三剣・布都御種は、歴代の勇者たちが振るった世界樹の聖剣を、可能な限り再現することを目標に作られた武器だ。
聖剣は、地球で生まれたなんの変哲もないただの人間を、救世の勇者へと変える究極の武器。幼生固定された世界樹の種から供給される無尽蔵の力が、使い手の身体能力を激増させる。
今、狩夜の体にはそれと同様のことが起こっていた。世界樹の聖剣の再現である布都御種は、使い手である狩夜の身体能力を強化する。使用している世界樹の種が未完成なため、効果のほどは聖剣のそれに大きく劣るが、それでも劇的であった。
当然、布都御種自体の攻撃力もすさまじく、もはや高速振動や毒といった小細工は必要としない。余りある破壊力と、強化された膂力をもって、万物を切り裂き、破砕すれば事足りる。
以上の理由から、布都御種は狩夜とレイラが切れる最強カード。まごうことなき切り札と言える。だが、決して完全無欠というわけではない。むしろ弱点目白押しだ。
布都御種を使用する際は、レイラが有する数多の能力のほぼすべてを、聖剣の再現、それのみに費やさなければならない。ゆえに布都御種の使用中、レイラは治療能力や感知能力はおろか、葉っぱ一枚自由に動かせなくなってしまう。
つまりは、攻撃力が上がる反面、防御が疎かになるということだ。
そのため、普段狩夜の身の安全を第一に考えるレイラは、よほどのことがない限り布都御種の使用を拒む。そして、狩夜もまた、とある理由から布都御種の使用を控えていた。
――聖剣を振るい、強大な敵に立ち向かう。そんなのまるで勇者じゃないか。
――まったくもって、柄じゃない!!
狩夜はそう胸中で叫び、背後からドゥラスロールに切りかかる。
繰り出したのは、右斜め上からの袈裟切り。万物を切り裂く緑色の斬撃を、ドゥラスロールは左に向かって進路をとることでどうにかかわした。
もう技後硬直などという愚は侵さない。狩夜もまたすぐさま左へと進路を変え、ドゥラスロールの後を追う。そして、一歩で肉薄、二歩で並走、三歩で追い越した。
四歩目で眼前へと回り込んだ狩夜は、目を見開いて驚愕しているドゥラスロール目掛けて水平切りを繰り出す。それとほぼ同時にドゥラスロールは跳躍し、自身に迫る斬撃を飛び越えようとした。
ドゥラスロールの回避行動を意に介さず、最後まで水平切りを振り抜く狩夜。両の手に、肉と骨を断ち切る確かな手応えが走る。
視界の中で舞う真紅の鮮血には目もくれず、狩夜は背後へと振り返る。すると、四足すべてを膝下あたりで切り落とされた、ドゥラスロールの姿があった。
跳躍を終え、大地へと落ちていくドゥラスロール。だが、かの者を支える足はすでに無い。ドゥラスロールは腹から聖域に叩きつけられた後、世界樹の根の上を豪快に転がった。
無い足で立ち上がろうともがくドゥラスロールに、狩夜は間髪入れず追撃を仕掛ける。今度こそ息の根を止める――と、その鬼気迫る表情で語りながら、狩夜は走り、布都御種を頭上へと振り上げた。
狙いは首ではなく脳天。二度と復活しないよう、水晶の角ごと、ドゥラスロールの頭を叩き割る。
身動きできないドゥラスロールに、狩夜の攻撃を防ぐ手立てはない。そして、水晶の角もまだ伸び切ってはいなかった。大上段から振り下ろされるこの斬撃が届きさえすれば、狩夜たちの勝利である。
だがここで、狩夜とドゥラスロールの間に、漆黒の風が吹き荒れた。
ダーインである。
ドゥラスロールの警戒音を聞いて駆けつけた、聖獣随一の身体能力を持つ漆黒の牡鹿が、狩夜の前に立ち塞がった。




