017・開拓者ギルド 上
イルティナ邸から歩くこと数分。村で二番目に大きい建物の前に狩夜は立っていた。
木造平屋なのは他の建物と同じだが、出入口がかなり広い。引き戸を二枚使い、左右に開けるタイプである。そして、そんな出入口の上には大きな看板がかけられていた。
その看板には、世界樹を簡略化したと思しき絵が描かれており、とある文字がでかでかと彫りこまれている。
そう『開拓者ギルド』と。
なぜ日本人である狩夜がイスミンスールの文字を読めるのかというと、異世界活動初日に習得した〔ユグドラシル言語〕スキルのおかげである。
このスキルは、習得するだけでこの世界の共通語が話せるようになり、文字すらも読み書きできるようになるという、異世界人の狩夜にとって、かなりの便利スキルであるらしい。イルティナやメナドといきなり会話が成立したのも、このスキルのおかげなのだ。
この〔ユグドラシル言語〕スキルは、魔物との戦闘や、不慮の事故で開拓者を続けることが困難になった者に人気があるらしい。習得するだけで文字の読み書きが完璧になるので、他の職に就いたときに重宝されるのだとか。
だが、このスキルの本来の用途は別にある。それは、魔物に人語を理解させ、会話を可能にさせることだ。
テイムした魔物との意思疎通を明確化し、絆を深める。それこそが、このスキルの本来の活用法なのである。
開拓者が連れている魔物が人語を話していたら、このスキルを習得していると考えればいい。野生の魔物の中にも、このスキルを習得し、人語を話す魔物がいるとのことだ。
「それじゃ、いこうか」
狩夜がこう言うと、頭上のレイラがコクコクと頷いた。狩夜は止めていた足を前に動かし、開拓者ギルドの出入口を潜る。
開拓者ギルドの中に入ると、そこには酒場のような空間が広がっていた。
木製のテーブルが八脚と、イスがたくさん。カウンターの向こう側にある棚には無数の酒壺や瓢箪が並べられており、壁のあちこちには張り紙が張られている。
ギルドの中にいた人の数は非常に少ない。カウンターの向こうで事務に勤しむギルド職員が一人、それだけだ。狩夜以外の利用者の姿は皆無である。大開拓者時代を支える開拓者ギルド、その内部とはとても思えない過疎化具合だった。だが、それも仕方のないことだろう。何せこの村には奇病が蔓延し、村人全員が倒れていたのだ。イルティナが奇病は治ったと都に連絡したようだが、この村に活気が戻るのは当分先のことだろう。イルティナとメナド以外の開拓者が、全員村を出ていってしまったのなら尚更である。
そんなふうに思考を巡らせながら、狩夜はギルドの出入口付近で何度も室内を見回した。すると――
「いらっしゃいませ。開拓者ギルドにようこそ。本日はどのようなご用件ですか?」
事務仕事をしていたギルド職員が顔を上げ、狩夜に話しかけてきた。狩夜はそちらに視線を向け、口を開く。
「開拓者として登録するためにきたんですけど……」
「はい、ご登録ですね。どうぞこちらに」
職員は、狩夜の頭上にいるレイラを一瞥してから笑顔を浮かべ、カウンターの前にあるイスに座るよう促してくる。
金髪をアップにした真面目そうな女性だった。切れ長の瞳が狩夜を見つめている。
整った容姿で、耳が横に長い。露出が少なく、森の中でも動きやすそうな服装。典型的な木の民のようだが、イルティナをはじめとした他の村人と違い、肌の色が雪のように白かった。どうやら初代勇者の血筋であるブランではなく、純血の木の民であるらしい。
「登録作業の前にお礼を言わせてください、カリヤ・マタギ様。この度は私を、ひいてはこのティールを救っていただき、心から感謝いたします。私の名はタミー。タミー・カールソン。この開拓者ギルドで職員をしております。以後お見知りおきを」
ギルド職員――タミーは、狩夜がイスに座ると同時に深く頭を下げ、お礼を告げてきた。そんな彼女に対し、狩夜は首を傾げながら口を動かす。
「あれ? どうして僕の名前を?」
「昨晩、ラビスタを届けてくれたメナドさんから伺いました。そういえば、あのラビスタもカリヤ様が提供してくれたものだそうですね。重ねてお礼申し上げます」
再び頭を下げるタミー。そして、彼女は頭を上げると同時に表情を引き締め、こう話しを切り替えた。
「では、これより登録作業を始めます。まず、テイムした魔物をご提示ください」
「こいつです」
狩夜は右手で頭上を指差した。そこには、狩夜の頭を腹這いの体勢で占拠するレイラの姿がある。
タミーは、レイラを見つめながら両目をほんの少し細め、次いでこう口にした。
「昨日も思いましたが、随分と珍しい魔物をお連れですね。私も初めて見ます。植物系なのはわかりますが……あの、触ってもよろしいですか?」
「え? 僕はいいですけど……」
狩夜は、視線と顔を上に向け、レイラの様子を窺った。するとレイラは「いいよ~」と言いたげに、コクコクと頷く。
「では、失礼します」
タミーは、自然な動作で右手を伸ばし、レイラの葉っぱに振れた。その瞬間、タミーの指が仄かに光る。
「名称はマンドラゴラ。木属性。限界パーティ人数は三人。やはり、図鑑に載っていない魔物……今まで発見されたことのない魔物ですね」
レイラがマンドラゴラであると、タミーは予備知識なしにズバリ言い当てる。つまり、さっきの光は――
「あの、先程の光はなんらかのスキルですか?」
「はい。〔鑑定〕スキルを使用しました。まだLv1ですので、直接触らないと発動しませんし、鑑定対象が生き物の場合は、名称と簡単なステータス情報しかわかりません」
「スキルが使えるということは、あなたも白い部屋に?」
「はい。私はギルドマスターのパーティに所属し、何度か白い部屋の方にいっております。ユグドラシル大陸各地で働くギルド職員全員が、一度はギルドマスターのパーティメンバーを経験し、ある程度の身体能力の強化を終え、いくつかのスキルを習得しております」
そう言うと、タミーはほんの少しだが得意げに微笑んだ。が、それは一瞬のことで、彼女はすぐに表情を引き締め、真剣な声色で質問をしてくる。
「このマンドラゴラという魔物ですが、いったいどこで、どのような経緯でテイムされたのですか? 詳しく教えてください」
「それは……言わなきゃダメですか?」
「はい。なにぶん新種の魔物、もしくは別大陸からの外来種の可能性があります。ことと次第によっては、現地に調査団を派遣しなければなりません」
タミーの顔は真剣そのものだった。初めて見た魔物一匹に、随分と過剰な反応を見せている。
大げさすぎやしないか? とも思ったが――違う。これは狩夜の認識が甘いのだ。この世界の住人にとって、魔物とはそれだけ畏怖の対象なのだろう。開拓者ギルドの職員であるタミーは、そのことを誰よりも理解しているのだ。
この世界の住人は、過去に魔物に負けて、負けて、負けて、負け続けて、このユグドラシル大陸に泣く泣く押し込められたのだ。そして、それ以来一度も勝っていないのである。いくら警戒しても、警戒しすぎということにはならないのだ。
狩夜はしばし悩み、素直に答えることにした。もちろん、狩夜が異世界人であるということは秘密にして。
狩夜は、自身が異世界人であることは黙っていてほしいと、イルティナとメナドにも口止めをしていた。異世界人であると説明するたびに勇者かと期待され、それと同じ回数落胆されるのは御免である。
「えっとですね、こいつはじいちゃん――祖父の家の裏手にある広場に生えていたんです。それを僕が引っこ抜いて、そのときにテイムに成功しました」
「ふむ……その周辺にはこの魔物、マンドラゴラの姿は他にも確認できましたか?」
「いえ、僕が見つけたのはこいつだけです。それに、他にいるとも思えません。こんなのがたくさんいたら、とっくの昔に騒ぎになっていたと思いますから」
「確かにそうですね。今まで発見されなかったことを考えると、以前からユグドラシル大陸に生息していた魔物とは考えにくい。新種や突然変異の線も――薄いですね。ユグドラシル大陸に生息する他の魔物とは、姿形があまりに違いすぎます。となると、別大陸からの外来種……でも、別大陸の魔物がテイムされた事例はないし……何らかの方法で、この子の種が大陸に持ち込まれた? それとも……」
ぶつぶつと独り言をしながら、自身の考えに没頭していくタミー。狩夜そっちのけで、思考の海へと沈んでいく。
そんなタミーを呆れ顔で見つめながら、狩夜は次のように口を動かす。
「あの、登録をお願いしたいんですけど?」
この言葉にタミーは体を大きく震わせ「し、失礼しました!」と、慌てて謝罪してきた。次いで背筋を伸ばし、仕切り直すように咳払いをする。
「コホン。では、登録作業を再開します。次に、開拓者とはどういった職業なのかを、口頭にて説明させていただきますが、よろしいですか?」
「お願いします」
「はい。開拓者とは――」
タミーの説明を要約するとこうだ。
開拓者とは、ソウルポイントの発見と解明のおり、八種の民すべての王の連名にて制定された、新たな職業である。
開拓者は、村、町、砦、関所等に自由に出入りでき、その際に発生する通行料が全面的に免除される。
開拓者は、ユグドラシル大陸全土の魔物を自由に狩る権利を得る。ただし、保護対象として指定されている魔物や、他の人間にテイムされた魔物にいたっては、その限りではない。
開拓者は、みずからの意思でユグドラシル大陸の外に出る権利を得る。
開拓者が開拓の際に見つけたアイテム、装備品、貴金属、魔物の素材等は、全て開拓者本人に所有権がある。ただし、なんらかのクエストを受けていた場合は、その限りではない。
開拓者が魔物に支配された土地を開拓し、そこに人が住める環境を構築した場合、開拓者はその開拓地の支配権を得る。この支配権は、他者に譲渡、又は売却してもよい。
開拓者ギルドは、開拓者の安全、健康面に干渉せず、一切の保証をしない。
とのことだ。
なるほど。特典と権利の大盤振る舞いである。これは人気が出るわけだ。
ソウルポイントだけでも魅力的なのに、未開の大陸でうまく立ち回れば、自分の領地を手に入れ、王を名乗ることすら可能なのである。
剣一本で名を立てることが男子の本懐。一国一城の主が男の夢。イスミンスールは、きっとそういう世界だ。そんな世界で、目の前にこんな特典ぶら下げられたら、誰もが夢と欲望にギラつくはずである。
その証拠に、説明を聞き終えた狩夜の心にも、若干の熱が宿っていた。
当面の稼ぎ口として開拓者になろうと思った狩夜であったが、今この時は、なぜだかそれ以上のものを感じていた。狩夜も男で、馬鹿ということなのだろう。
「では、こちらの登録用紙に必要事項をご記入ください。文字が書けない場合は代筆をいたしますが?」
「大丈夫です」
〔ユグドラシル言語〕スキルがあるので、読み書きはできる。
狩夜は、タミーから登録用紙と羽ペンを受け取り、登録用紙をカウンターの上に置いた。そして、その上に羽ペンを走らせる。