167・愛に飢えた女 下
初見の剣技を繰り出される前に予見し、ほんの少し左前へと移動することで全身を刀の軌道の外へと移動させる揚羽。一方の立羽は、魂に刻まれ、未来永劫連れ添うことを余儀なくされた剣技そのままに、決して当たることのない胴突きを、虚空へと繰り出してしまう。
「初見の剣技を連続で繰り出せば押し切れると考えたのであろう? うむ。その判断は正しい。月読命流秘伝の呼吸法や歩法で誤魔化したところで、身体能力では余の方が下。すべての剣技を見聞きする前に、余は切り伏せられ、敗北するであろう。もっともそれは、相手が姉上でなければの話じゃがな」
「それはどういう意味よ!?」
胴突きが終わった直後、そこからの派生技として用意されていた横薙ぎを繰り出す立羽であったが、揚羽はこれも先読みしていたらしく、すでに刀の間合いの外に身を置いていた。
自身の前を刀が横切ると同時に揚羽は言う。
「〔長剣〕スキルであろうが、Lv9であろうが、余には次に姉上が何をするのかが手に取るようにわかる。姉上が持つ呼吸と間を熟知しておるからな」
「――っ」
「姉上も知っていようが、我ら武士は、相対する者が持つ呼吸と間を読むことで、次の行動を予測しながら動き、戦う。個々が有する呼吸と間。これらを完全に読み切り、相手の行動のすべてを掌握することを、俗に見切ると言うわけじゃが――余は、とうの昔に姉上の呼吸と間を見切っておる。月読命流と〔長剣〕スキル。その太刀筋の違いに面食らい、修正に手間取りこそしたが、それも終わった。もう当たらぬぞ。痛めたあばらを庇うために、戦闘選択肢が激減しているならなおさらな」
「あなた、そのために刀を捨ててまで、わたくしに手傷を!」
こう口を動かしながら刀を振り続ける立羽であったが、やはり当たらない。常人相手ならばどれもが必殺、不可避であろう剣技。そのどれもが虚しく空を切る。
見切ったという言葉が大言壮語でないと、これ以上ない方法で証明しながら、刀が避けられる度に自信と戦意を失っていく立羽に向かって、揚羽は言う。
「わたくしを見ろ――と、姉上は余にそう言ったな? 見ていたさ。幼少の頃から、ずっとずっと。美月城の庭で一心不乱に木刀を振るう姉上の姿をな。努力する姉上の姿が、飛び散る汗が、美しかったから憧れた。自分もそうなりたいから努力した。余に努力することの大切さを教えてくれたのは、他でもない姉上である!」
刀ではなく、鞘でもない。自らの言葉を刃に変えて、揚羽は立羽を切りつけた。立羽の表情が悲痛に歪むが、揚羽はそれにかまわず矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「そう、余は見ていた! だからわかる! 姉上の剣が、そして、気持ちがな! 名家の女性ならば誰もが背負う宿命から、禁忌である帝とのまぐあいから逃げたかったのであろう!? それは責めぬ! そんな資格余にはない! 余もそうであるからな! ああそうだ、逃げ出した! 将軍としての仕事を放り出し、城を無断で抜け出した!」
「や……い……」
「余は、ソウルポイントという僅かな希望にすがったのだ! 余は男になることを求め、姉上は男に助けを求めた! 形は違えど、切羽詰まると男に走るのは同じか! はは! やはり我らは姉妹だな! いや、これは女の性か!?」
「やめ……な……い……」
「余が男になることで、帝と青葉の負担を減らしたいと余は思った! 母上を皇后にし、心無い言葉から守りたいと考えた! そして、帝位継承権を手に入れ、次代の帝となった暁には――」
「やめなさい……」
「姉として愛し、先人として尊敬する姉上に、将軍職を継いでほしいと、願っていたのだがな」
「やめなさい!」
こう叫ぶと共に、立羽は刀を振るうのをやめた。そして、小刻みに揺れる瞳で揚羽を見つめながら、今にも消え入りそうな声で力なく言葉を紡いでいく。
「信じない……信じないわ……あなたの言葉なんて……敵の言葉なんて信じない……揚羽はわたくしを……敵であるわたくしを動揺させようと嘘を言っているだけよ……そうよ……揚羽がわたくしを見るはずない……いつもいつもわたくしの邪魔をして……馬鹿にして……わたくしを愛していた? 将軍にしたかった? そんなはず……」
「姉上」
名前を呼ばれた瞬間、立羽の両肩が何かに怯えるように飛び跳ねた。そんな立羽に向かって、揚羽は言う。
「我ら美月将軍家は、この耳で相対する者の鼓動を聞き、あるときは罪人の、またあるときは取引相手の嘘を見抜き、この国を守ってきた。どうだ? 姉上の耳に届く余の鼓動は、嘘を言っているか?」
「……あ……ああ……」
決して防ぐことのできない、真実という言葉の刃が立羽を切り裂いた。
揚羽の言葉に嘘はない。立羽にはそれがわかってしまう。どんなに心で否定したくても、自身の耳が、揚羽の鼓動が、嘘の可能性を否定する。
目の前にいる揚羽との確執。成し遂げたいこと。カルマブディスへの恋慕。フヴェルゲルミル帝国の未来――様々な思いが立羽の中で交錯し、せめぎ合う。
そして――
「ああああぁあぁあぁあぁあぁ!!」
立羽の心が決壊した。自身の感情を制御できなくなり、涙を流しながら揚羽に切りかかる。
「わたくしの前から消えなさい!! 美月揚羽ぁあぁああぁあ!!」
自らを惑わす者を排除するべく、決死の特攻を仕掛ける立羽。そんな立羽を前にして、揚羽も動く。そう、この姉妹の戦いに幕を下ろすために。
相手の呼吸を読み。
間を測り。
視線を重ね。
重心を見極め。
足運びをから軌道を推測する。
そして、両の手を動かし、相手の急所が必ず通過する場所に己の武器を――
「月読命流初伝・月鏡」
ただ置いた。
「っが!?」
揚羽の鞘の先端と、立羽の顎が、予定調和の様に激突。
ソウルポイントで強化された身体能力。それをただ一点に集約する形で跳ね返した揚羽。立羽の顎は即座に砕け、痛々しい鈍い音が禁園に響き渡る。
人体急所である顎が砕かれ、脳を揺すられた立羽は、力なく地面に崩れ落ちた。が、確かに生きている。もし揚羽が先ほどの返し技を鞘でなく真剣で繰り出していたら、立羽は死んでいただろう。一命を取りとめたとしても、一生消えない傷が顔に残ったに違いない。
「つきかかみ……こんな……しょほのわさに……やられる……なんて……」
朦朧とする意識と砕けた顎で、立羽は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。そんな立羽に向かって、揚羽は昔を懐かしむように語りかけた。
「姉上、覚えておるか? この技は、木刀を握ったばかりの幼い余に、姉上が教えてくれた技であるぞ? そして、皆伝となった今でも多用する、余の得意技でもある」
「あ……」
「思い出したか? ならば、これも思い出してほしい。姉上はいったい、なんのためにこの国を変えたいと願い、努力していたのかを……」
揚羽のこの嘆願に、立羽は「いや、聞きたくない」とばかりに首を振る。そして、助けを求めるように手を伸ばしながら、想い人の名を口にした。
「かるま……さま……たしゅけ……て……」
この言葉に対する、狩夜と戦闘中のカルマブディスからの返答は――
「役立たずが!!」
という、心無い非情なものだった。
「あ……」
これが最後の一押しになったのか、立羽は意識を手放す。信じていた者に見捨てられた実の姉を見下ろしながら、揚羽は悲し気に口を動かした。
「股を開き、舌を伸ばすだけで手に入る女の幸せなど、所詮この程度か……今は眠れ、美月立羽。愛に飢えるあまりに狂ってしまった哀れな女よ。そなたへの罰は、すべてが終わった後に帝が決めてくれるであろうさ」
揚羽はこう言った後で身を翻し、カルマブディスと戦う狩夜へと目を向けた。次いで言う。
「さて、こちらは片づいたが、余の愛しい旦那様の方はどうか?」