166・愛に飢えた女 上
揚羽の手から離れた刀が高々と宙を舞うなか、実の姉妹が超至近距離を高速で擦れ違う。そして、甲高い金属音が余韻を残しながら消えるのと同時に、互いに全身の動きを止め、刀を振り抜いた姿勢のまま静止した。
二人が不動無言で姿勢を維持すること約三秒。打ち上げられた刀が重力に従って落下し、禁園に突き刺さった次の瞬間――
「ぐ……!?」
立羽の膝が折れた。苦痛の声を口から漏らしつつ左手を刀から離し、右脇腹へと運ぶ。
激痛に顔を歪めながら、立羽は視線を背後に、刀こそ手放したものの、無傷のまま両の脚で大地を踏みしめる揚羽へと向けた。そんな揚羽の左手には、すれ違いの瞬間立羽の脇腹を抉り、あばらを砕いた漆塗りの鞘の姿がある。
「ふむ……どうやら余は、一つ思い違いをしていたらしい」
揚羽は、手を離れた刀の代わりに鞘を両手で構えた後振り返り、左膝を地につけたまま立ち上がれない立羽、その少し後ろに向けて口を開く。
「思い……違い?」
「余は、戦技習得系スキルは野生に生きる理性なき獣どもに、手っ取り早く武器の使い方を覚えさせるために用意された、魔物のための武術であるとばかり思っていたのじゃが、実際に剣を交えてみて、その考えが間違いであったと気づかされた。姉上が振るう〔長剣〕スキルは、間違いなく人間が編み出した、人間のための武術である。もっとも、月読命流のような対魔物用の剣術ではなく、対人間を想定した武術であるようじゃがな」
「……」
「余には見える。姉上の背後に立ち力を貸す、一人の剣客の姿が。その者がどこの誰で、どのような理由と経緯で人類の敵たる魔物に己が武術を託したのか……ふむ、俄然興味が湧いた。ソウルポイントとは元来魔物だけのもの。そのソウルポイントで習得できる武術が、人間の武術であった。これは、いったい何を意味するのであろうな?」
「……ねぇ、揚羽? あなた……何を言っているの? あなたは今……何を見ているの?」
全身を小刻みに震わせながら、立羽は小声で問いかける。だが、揚羽はそれに答えはしなかった。立羽の背後に立つという、彼女にだけ見える剣客とやらに向けて、惜しみのない賞賛の言葉を投げる。
「叶うなら、一人の武人としてそなたと直接言葉を交わし、剣を交えてみたかった。技術を魂に転写された人間越しですら伝わるその力量、剣に費やした時間。これほどの使い手ならば、そなたはさぞ名の知れた――」
「揚羽ぁあぁあぁ!!」
有らん限りの怒声でもって妹の名を叫び、その言葉を遮る立羽。そして、痛みを怒りで抑え込むように立ち上がり、虚空を見つめる揚羽の視線に割り込むと、次のように言葉を続ける。
「そのどうでもいい考察を今すぐにやめなさい! 今あなたの前に立ち、剣を交えているのはこのわたくし、美月立羽よ! わたくしを見なさい! わたくしを無視することは許しません!」
鬼気迫る様子で叫ぶ立羽に、揚羽は面喰った様子で二度ほど瞬きをした。次いで、悪戯を叱られた子供のように謝罪の言葉を口にする。
「む、確かに礼を失するおこないであったな。すまぬ、姉上。優れた武術を前にするとつい。余の悪い癖じゃな。改めるよう努力しよう。姉上は、いつも余の至らぬところを遠慮なく指摘し、叱咤してくれるな。本当に助かる」
「ま、またそうやって、あなたはわたくしのことを馬鹿に――」
「してなどおらぬよ。これは本心からの言葉である。姉上がいたからこそ、今の余があるのだ。姉上には感謝してもし足りぬよ」
揚羽はこう言うと鞘を構え直し、正面から立羽と向き直った。直後、立羽は脇腹の痛みを堪えながら駆け出し、怪我をしているとは思えぬ速度で、上段から刀を振り下ろす。だが――
「それはさっき見たぞ?」
揚羽はその神速の斬撃を余裕をもってかわし、追撃の切り上げも悠々と避けてみせた。立羽の表情が驚愕に染まる。
これならどうだと視線で語りながら、無数の斬撃を見舞う立羽であったが、それすらも揚羽はあっさりとかわして見せた。それどころか、その斬撃の雨を掻い潜って立羽に肉薄し、攻めに転じる。
鞘を右手だけで持ち、大きく振りかぶる揚羽。その斬撃を刀を盾にして防ごうとする立羽であったが――
「かは!?」
その防御の隙間をすり抜けるように繰り出された、揚羽渾身の左貫手に右胸を貫かれる。
揚羽の左貫手は、あばらとあばらの間を通り抜け、立羽の右肺を痛撃。立羽はたまらず肺の中の空気をすべて吐き出し、全身の動きを硬直させる。
そんな立羽の左側頭部に向けて、揚羽は容赦なく右手の鞘を振るった。自由に動けない立羽は、その攻撃の直撃を受ける――
「くぅ!?」
はずだったが、そこはサウザンドの身体能力。常人よりも遥かに速く硬直から回復した立羽は、すんでのところで揚羽の鞘をかわした。次いで、慌ててその場を飛び退き、間合いを開ける。
冷や汗を浮かべながら揚羽を見つめ、呼吸を整えることに全力を注ぐ立羽。そんな彼女に向けて、揚羽は言う。
「ふむ、あれを避けるか。先の一撃で意識を刈り取り、戦いを終わらせるつもりであったのじゃがな」
「あ、揚羽……あなた、なぜ急に強く……」
「余が強くなったわけではない。ただ、姉上の動きを見切っているだけじゃ」
間髪入れず返されたこの返答に、立羽は両目を見開いた。直後、そんなはずないとばかりに頭を振り、否定の言葉を口にする。
「で、でたらめよ! いくらあなたが天才でも、こんなに早く〔長剣〕スキルの、それもLv9の動きを見切れるはずがないわ!」
「そうでもない。余の戦技習得系スキルへの思い違いは、先ほど語った一点だけであり、それ以外は概ね予想通りであった。ソウルポイントで習得した戦技は、魂に直接転写されたもの。なれば、あらかじめ定められた型通り動作しかできぬのが道理。そして、余にはこの耳がある。兎の獣人の中でも、ずば抜けて優れたこの聴力がな」
「――っ」
「姉上や木ノ葉たちの耳は、他者の心音や呼吸音を聞き取るぐらいで精一杯であろうが、余の耳は関節の駆動音や、筋肉が伸縮する音すら聞き分ける。一度見聞きした攻撃ならば、その予備動作から次の動きを容易に先読みが可能じゃ。余が姉上の背後に見た剣客本人ならば、状況に応じて微妙な力加減や、太刀筋の変更もできようが、借り物の剣技ではそれができない。戦技習得系スキルの限界じゃな」
「この地獄耳!」
立羽は揚羽の説明が終わると同時に駆け出し、再度刀を構えた。
どうやら、異常聴覚による先読みを可能にする揚羽に対し、立羽は真正面から攻め続けることを選択したらしい。
筋力でも、敏捷でも、持久力でも自身が上。まだ見せたことのない〔長剣〕スキルの剣技を連続で繰り出せば、身体能力で押し切れる。立羽はそう判断したようだ。
揚羽が倒れるまで休むことなく刀を振り続ける。そう表情で語りながら、立羽が最初にくり出した剣技は――
「胴突きであろう?」
「っな!?」
そう、立羽が選んだ攻撃は突き。それも、剣技の中でもっとも避け辛い技の一つとされる、胴突きであった。