164・魔草三剣・草薙 下
二人の周囲には、揚羽を捕らえようとして返り討ちにあったカルマブディスの仲間たちが横たわっている。戦闘経験が乏しいもぐりとはいえ、何人かはテンサウザンドの開拓者であったはずだ。それが、数人がかりでこの結果。一体どれほどの技量差があれば、ソウルポイントで身体能力を強化していない人間が、テンサウザンドの開拓者をこうも容易く撃退できるというのだろう?
狩夜は念には念だと、草薙を地面に対して水平に一閃。刀身から紫色の液体を周囲に振りまき、倒れている者たちに浴びせかけた。これで二度と立ち上がりはしないだろう。
「その奇妙な左手の武器……毒か?」
「はい」
背中越しにされた揚羽からの問いに、狩夜は簡潔に答える。
そう、草薙に宿る力は毒。自由に動き回ることのできない植物が、数多の捕食者から身を守るために体内で生成する弱者の牙だ。
アルカロイド。
窒素原子を含み、ほとんどの場合塩基性を示す天然由来の有機化合物の総称。近似種を含め、約数千もの種類があるとされており、植物に含まれる毒は、このアルカロイド類がほとんどである。
マンドラゴラであり、世界樹の種を内包するレイラが生成したアルカロイド、すなわち毒の威力は、強力かつ凶悪。触れただけでも危険であり、眼球などの粘膜や傷口、七つある鋭鋸歯から直接体内に入り込もうものなら、即座に効力を発揮し、生命活動を脅かす。
草薙は、レイラが生成した毒を葉脈を通して刀身全体に行き渡らせ、攻撃と同時に任意のバットステータスを対象に付与することができる。その種類は、致死性の超猛毒から、睡眠、幻惑、麻痺、興奮、鎮静、魅了、嘔吐、下痢、呼吸困難と多種多様。ありとあらゆる毒を状況に応じて使い分けることが可能だ。
植物であるレイラだからこそ完成させることができた、状態異常攻撃に特化した魔剣。それが草薙の正体である。
葉々斬が、レイラの攻撃力を狩夜に譲渡するための武器とするならば、草薙は、レイラの状態異常攻撃能力を狩夜に譲渡するための武器と言えるだろう。そして、多種多様な状態異常攻撃こそが、レイラの――マンドラゴラの本領だ。
右手に葉々斬。左手に草薙。これが、現状における叉鬼狩夜の最強戦闘形態である。
「殺したのか? 心の臓は……まだ動いているようだが」
「まさか。使った毒は筋弛緩系です。一週間ぐらいで動けるようになりますよ。全員生け捕りにして、御奉行様の名裁きに期待ってところですかね」
「ふむ、わかった。余の口から伝えておこう。で、もう一つ聞きたいのだが……それほどの力、なぜ普段は使わない?」
「修行です。こんなの普段から使っていたら堕落しますよ。僕は強くなりたいのであって、目先の勝利が欲しいわけじゃありません」
「はは! 良いな! ますます気に入った!」
この言葉を合図に、狩夜と揚羽は同時に地面を蹴った。
狩夜の次なる標的は、先ほどまでの一団とはどこか雰囲気の違う闇の民の男たちである。全員がどことなく知的な印象で、カルマブディスとおそろいの白衣を身に着けていた。
その先頭に立つ細身の男――事前情報からして、矢萩の苦無に塗ってあった毒を無効化したという男――が、狩夜を見つめながら口を動かす。
「毒を使うとはなんと卑怯な男なのでしょう! だが残念でしたね! 我々化学班はカルマ様と同じくLv9の〔対異常〕スキルを全員が習得している! 状態異常攻撃は効かな――」
「そっちが先に毒使っといて、どの口がそれを言う!」
狩夜は細身の男の言葉を最後まで聞くことなくこう叫び、自称化学班の男たちの中に正面から突撃した。
Lv9の〔対異常〕スキルを習得しているということは、身体能力はテンサウザンドではなくサウザンド止まり。先ほどの大柄な男たちよりもよほどやり易い。
狩夜は草薙を縦横無尽に振るいながら走り続け、一秒と時間をかけずに白衣の群れの中を駆け抜けた。
そして――
「馬鹿な……我々に、状態異常攻撃が……効くはず……」
細身の男のこの言葉を合図にしたかのように、化学班全員が一斉に倒れ、そのまま動かなくなった。狩夜は後ろを振り返った後、細身の男を見下ろしながら言う。
「つまり、レイラの毒は〔対異常〕スキルじゃ防げないってことですね。貴重な情報をどうもありがとうございます。さて、将軍様のほうは――」
「ぶぎゃあ!」
「……うわぁ、痛そう」
化学班を全滅させた狩夜が揚羽の方に視線を向けると、黒曜石のナイフ片手に揚羽に突撃していったチンピラ風の男が、股間にカウンターで蹴りをもらい、口から泡を吐いて悶絶している光景が目に飛び込んできた。
ソウルポイントでどれほど身体能力を強化しても、睾丸が男子最大の急所であることは変わらない。地獄の苦しみを味わっている最中であろうチンピラ風の男に向けて、揚羽は言う。
「これは、余に無礼を働いたことと、余の優秀な臣下を猪豚呼ばわりしたことへの仕置きである。刀が怖いのがわかるが、そちらに意識を向け過ぎじゃな。それと、そなたの動きは単調にすぎる。あれでは、相手が余でなくとも次に何をしようとしているか悟られるぞ」
股間を両手で抑えながら悶絶している男にこう助言をした後、揚羽は刀を返しながら上段に構え、峰打ちでチンピラ風の男の頭を強打し、その意識を刈り取った。そんな揚羽に向けて、立羽が次の様に怒鳴る。
「揚羽! あなた、決して抵抗しないというわたくしとの約束を反故にするつもり!? あのときの言葉は嘘だったの!? 武士に二言は許されないわよ!?」
「勉強不足じゃな姉上! 教育係から教わらなかったのか!? 武士の嘘は嘘ではない、武略である!」
「なぁ!? あなた将軍でしょう!? それが武士の頂点に立つ者のすること!?」
「はは、まったくじゃ! じゃが安心せよ! 余は此度の騒動の責任を取り、後日自ら将軍職を辞する! この帝国に仇なす謀反人どもを根切りにした後でな!」
立羽と会話しつつも揚羽は刀を振り続けた。月光の下で迷いなく刀を振るうその姿は勇ましく、背筋が振るえるほどに美しい。
血しぶきすら自らを彩る花に変え、揚羽は禁園を舞った。その名の如く、蝶のように。
そして――
「ふむ、青葉や峰子らの出る幕はなかったか」
いつの間にか、カルマブディスの仲間は誰一人として立ってはいなかった。今、この禁園の中で動ける人間は、狩夜と揚羽、カルマブディスと立羽の四人だけである。
「いよいよ終幕じゃな。狩夜よ、余は身内の恥をすすがなければならぬ。カルマブディスの相手を頼めるか?」
実の姉である立羽を真っ直ぐに見つめながら言う揚羽。その言葉に、狩夜もまたカルマブディスを真っ直ぐに見つめながら答える。
「かまいませんよ。女性を相手にするよりも気が楽です。それに、個人的にあいつにはちょっとムカついてるんですよね。一発殴らなきゃ気が収まりません」
「一発と言わず何発でも殴るがよいぞ。将軍である余が許そう。では、また後でな。旦那様」
「はい、また後で――って、旦那様って何!?」
こう言葉を交わした後、狩夜と揚羽は自らが倒すべき相手に向けて歩を進める。その歩みを止められる者は、もはや誰もいなかった。