155・本質 上
ユグドラシル大陸の主、そして、ミズガルズ大陸の希望峰周辺に生息する魔物は、サウザンド級の魔物。開拓者で言うところの壁を、二つ破った魔物である。
テンサウザンド級はそのワンランク上、壁を三つ破った魔物だ。希望峰の先に存在する、真の強者だけが立ち入れる未開の地。マナによる弱体化が一切おこなわれない魔境に生息する、屈強な魔物たちがこれにあたる。
前提条件が完全に狂った。矢萩と牡丹の苦戦は異常事態でもなんでもない。これは必然であり、まだやられていないのが不思議なくらいである。なぜなら、テンサウザンド級を打倒する際の最低戦力は、テンサウザンドの開拓者が三人以上、もしくは、サウザンドの開拓者が数十人だと言われているのだから。
そんなテンサウザンド級の魔物を、彼女らは十一匹も同時に相手にしている。
体こそ繋がっているものの、首の一本一本が独立してソウルポイントを吸収、蓄積していることは、中央の首だけが高レベルの〔耐異常〕スキルを有していることからも明らかだ。それぞれの首がソウルポイントを十分の一ずつ吸収し、それをパーティ全体で共有する。そうすることで、あの怪物、そしてカルマブディスたちは、獲得ソウルポイントを増やしているのだろう。
オーガ・ロータスの異常状態に侵され、意識のない十本の首。それらの能力は、中央の首が白い部屋の中に侵入し、自分にとって都合のいいようにあれこれ弄り回しているに違いない。
テイムした魔物はパーティの中心であり、支柱。主人であるパーティリーダーだけでなく、全パーティメンバーと魂で繋がっているので、やろうと思えば白い部屋の中に入り込み、本人からの妨害さえなければ、ソウルポイントを使ってその魂を自由に改竄できる。そう、初めて白い部屋を訪れたとき、レイラが狩夜にしたのと同じことを、奴もしているのだ。
人類に残された唯一の居場所であるユグドラシル大陸。その地下で、とんでもない怪物が人の手によって作りだされていた。オーガ・ロータスを超える脅威、カルマブディス・ロートパゴイの真の切り札を目の当たりにして、狩夜は――
「「……(にたぁ)」」
笑う。相棒であるレイラと共に。
覚悟と狂気を孕んだ凄絶な笑みを、背中にいるレイラとまったくの同時に浮かべる狩夜。次いで、自身をこの地へと突き落とし、この怪物と引き合わせてくれた真央に対して、心の底から感謝した。
日頃狩っている主とは比較にもならない、極上の獲物を紹介してくれてありがとう――と。
「くぅうぅぅぅ! きつい! 丸腰きつい! 武器、なんか武器! 矢萩、なんか持ってないわけ!?」
「持っていたらとっくに使っている! お前こそ何かないのか!」
「あるわけないでしょうが! インテリヤクザに捕まったときに、装備は丸薬一つ残さず没収されたし! あんの野郎、ここから出たら泣かす! 絶対泣かす! ふえぇええぇん! 紅葉様、ヘルプミィイィイ!」
まだ軽口を叩く余裕があるのか、この場にいないパーティリーダーに対し、涙ながらに助けを求める牡丹。
本来、草である二人の仕事は斥候と探索だ。魔物と正面切って戦うのは、ハンドレットサウザンドの身体能力と、現存する魔法武器の中で最強との呼び声高い霊槍・耶倶矢を持つ、紅葉の仕事である。
かつてレイラの葉っぱすら貫いたあの攻撃力。怪物の硬い鱗を容易に突破するであろうそれを、この状況を打開できる強い武器を、牡丹は声高に求めた。
その要請に、姉に代わって弟の青葉が動く。
「武器!? 武器ですね! えっと、えっと……あった! 狩夜殿! 腰に下げたその短刀、かなりの業物とお見受けいたします! 金属装備が貴重品であることは重々承知しているのですが、今だけ貸してはいただけませんでしょうか!」
まさに一心不乱。狩夜が浮かべている人間離れした表情が一切目に入らなくなるほどに、マタギ鉈を、この地下空間に存在する唯一の武器を凝視しながら、青葉は言う。
この言葉を聞き、狩夜ははっと我に返った。
浮かべていた凄絶な笑みを消した狩夜は、マタギ鉈を鞘に収めたまま腰から外す。そして、すぐさま青葉の胸元へと押し付けた。
半ば押し付けるように手渡されたマタギ鉈を、青葉は両手で受け取る。その後、マタギ鉈を見つめながら二度ほど瞬きをし、次のように口を動かした。
「あ、あの、説明不足だったでしょうか? ボク――じゃない、俺にではなく、あそこで戦っている矢萩か牡丹に渡してあげてほしいのですが……」
「青葉君。それ、しばらくの間君に貸します。自由に使っていいですから、自分の身は自分で守ってくださいね」
「え?」
「僕は、レイラと一緒に前に出ます。これ以上は見ていられません」
狩夜のこの言葉に、青葉は目を丸くして絶句した。そんな青葉を意に介さず、狩夜は怪物に向けて歩を進める。
テンサウザンドの開拓者と、テンサウザンド級の魔物。ユグドラシル大陸ではまずお目にかかれないその戦いを、今後のためにもう少し見ておきたい気持ちも狩夜の中にはある。あるが、これ以上は矢萩と牡丹の体力的にも、時間的にも危険だ。まだ余裕があるうちに、この戦いを終わらせなければならない。
それに――
「一緒に戦うならまだしも、女の子にただ守られてるだけってのは、やっぱり男としてだめだよね」




