014・あなたは勇者ですか? いいえ、違います 下
しかし、だとすれば疑問が残る。
「でも、凄いのが武器なら、わざわざ異世界人に頼らなくてもいいじゃないですか。この世界の誰かしらにその聖剣を使ってもらえば――」
「それは無理だ」
疑問の言葉を遮るイルティナ。そして、彼女はこう言葉を続ける。
「イスミンスールの人間では、世界樹の聖剣は扱えない。なぜなら、イスミンスールに生きとし生けるすべての生物は、世界樹に触れられないからだ」
「え?」
「世界樹は、このイスミンスールを創造し、今なお支え続ける神樹。何人たりとも、神に触れることは叶わない。我々は、聖剣には拒絶され、世界樹には近づくことすらできないのだ」
イルティナは、ここで視線を世界樹へと向ける。
「世界樹の周りを取り囲むように山脈があるだろう? あの山脈を境に円形の結界があり、その結界が全ての生物の侵入を阻んでいる。そして、結界の内側には世界樹しか存在しない。それ以外の生き物は、一切存在しないのだ」
「それは、草木や虫も……ですか?」
「そうだ。初代勇者が記した書物によれば、絶大な力を持つ世界樹を奪い合い、他の生物が争わないように――という配慮らしい。世界樹に触れることができるのは、この世界の外からきた生物だけだ」
「なるほど」
だから異世界人じゃないとダメなのか。
「例外として、世界樹の眷属たる三人の女神と、四匹の聖獣も世界樹に触れることができるそうだが……これらは世界樹の一部のようなものらしい」
視線を狩夜のほうに戻したイルティナは「世界樹の一部なら、触れられるのは当たり前だな」と続ける。
「その情報も、初代勇者の?」
「うむ。あくまで書物からの情報であり、女神も、聖獣も、私が直接見たわけではない。いや、実際に見た人間など、もう一人もいないのだ。今では『女神も、聖獣も、『厄災』の呪いで消えてしまった』という考えが一般的だな」
『厄災』の呪いで世界が崩壊したのが数千年前。今も生きている人間など、いるはずもない。
世界樹と、その眷属である三人の女神。そして、四匹の聖獣。
異世界人である狩夜と、異世界の植物であるレイラなら、結界とやらを越えてそれらに会いにいくこともできる。異世界から勇者を召喚する世界樹なら、狩夜を元の世界に戻す方法も知っているかもしれない。だが、それには危険がつき纏う。魔物が跋扈する森を抜け、遠目からでもわかる険しい山脈を越えなければならないのだ。正直、命がいくつあっても足らない気がする。たとえレイラがいたとしてもだ。
死んだら終わりだ。死んだら負けだ。だから死ねない。死にたくない。だけど、元の世界にも帰りたい。
これからどうするべきなのだろう? 叉鬼狩夜は何を指針にして、何を目標に生きていけばいいのだろう?
見通せない明日。頼りない自分。知らない世界。不安ばかりが積み上がる心。
自然と顔が下を向く。抑え込んでいた哀愁が、今にも噴き出してしまいそうだった。そんなときである。とても優しい、染み入るような声が、狩夜の耳に届いた。
「まあ、カリヤ殿が勇者でなくとも、この村を救ってくれた救世主であることに違いはない。当面の衣食住は私が保障しよう。今夜は――いや、しばらくは私の家で暮らすといい。いくらでも頼ってくれ」
「え? あの……いいんですか?」
「当たり前だ。我々木の民は、受けた恩は必ず返す。なんなら一生ここにいてくれてもかまわないぞ? それくらいのことをカリヤ殿はしてくれたのだ」
俯いていた顔を上げると、優雅に微笑を浮かべるイルティナの顔が見えた。そして、イルティナは身を乗り出しながら右手を伸ばし、狩夜の頬を優しく撫でる。
狩夜は、素直にイルティナの手を受け入れた。すると、ざわついた心が徐々に静まっていく。
「弱気になるな、なんとかなる。そろそろ夕餉としよう。メナド、準備だ」
狩夜の頬から手を離し、イルティナは言う。確かに狩夜は空腹だった。奇病に侵されていた間、まともに食事をしていなかったというイルティナたちは尚更だろう。
イルティナは「久方ぶりに楽しい食事ができそうだ」と嬉しそうである。だが、食事の準備を命じられたメナドの表情は暗い。メナドはその暗い表情を保ったまま、おずおずと口を開いた。
「あ、あの……姫様……食事のことなのですが……」
「どうした? 我々の全快祝い兼、カリヤ殿の歓迎会なのだから、豪勢に頼むぞ」
「いえ、その……大変言いにくいのですが、村民全員が倒れていたため、食料の備蓄がほとんどありません。畑も魔物に荒らされており、壊滅状態でして……」
「あ……」
「そういえばそうだった」とでも言いたげな声を漏らすイルティナ。次いで、狩夜とメナドの間で視線を行き来させる。
狩夜も村に足を踏み入れる時に確認しているが、どの畑も作物の姿はなく、荒れ放題であった。あれはもはや畑ではない。ただの荒れ地である。
「ど、どうにかならんか?」
「なりません。ないものはないですから……」
両肩を深く落としながらメナドはため息を吐く。どうやらお手上げらしい。
「ぐぬぬ……な、ならば! 私が今すぐ森に押し入り、魔物を狩ってくればよい! メナド、供をしろ!」
「いけません! 姫様は病み上がりではありませんか! 今夜は食事を質素に済ませ、日の出を待つべきです!」
意気込むイルティナと、慌てて制止するメナド。だが、それでもイルティナは止まらない。
「ええい止めるな! 私はティールの代表として、村民を飢えさせぬ義務があるのだ! そ、それと、勘違いはしないでくれカリヤ殿。私は村民を飢えさせるような政策はしていない。本当だ!」
イルティナは顔を赤くしながら弁解する。どうやらお客さんである狩夜の目を気にしているらしい。面子というやつだ。村の代表、木の民の王族といった体裁を、狩夜の前で保ちたいのだろう。
狩夜は苦笑いを浮かべながら「王族って大変なんだな……」と胸中で呟いた。その後、頭上のレイラに向けて口を開く。
「レイラ」
名前を呼んだだけでレイラはすべてを理解してくれた。コクコクと頷いた後、レイラは口を大きく開き、小気味の良い音と共にラビスタの死体を吐き出し始める。
「「おお!?」」
驚きの声を上げる二人の女性の前に、瞬く間にラビスタの山が築かれた。その数は、五十を優に超えている。これなら村人全員にいき渡るだろう。
「この村を見つけるまでの道中で仕留めたものです。よろしければどうぞ」
狩夜が笑顔を浮かべながらこう言うと、メナドは目を輝かせながら声を上げる。
「ラビスタがこんなに! 素晴らしいですカリヤ様! これなら数日は大丈夫です!」
「ぐぬぬ……衣食住を提供すると言った直後にこれとは……だが、背に腹は代えられぬ。すまない、カリヤ殿」
「いえいえ。こんなにあっても食べきれませんし、村の皆さんで食べてください」
「感謝する。とはいえ、タダで受け取るわけにはいかん。このラビスタは、正当な価格で買い取らせてもらうとしよう」
狩夜は無償で提供するつもりだったが、買い取りを申し出るイルティナ。買い取り。つまりは魔物の肉と引き換えに、イスミンスールの通貨が手に入る。
その思わぬ事態に、狩夜は目を光らせ、胸中で叫んだ。
――お金! まじ欲しい! 超欲しい! 魔物の肉ってお金になるんだ!
魔物の肉はお金になる。その事実が、狩夜に希望をもたらした。
そう、狩りだ。狩りで生計を立てるのだ。祖父から受け継いだマタギの血が騒ぐ。叶わぬ夢と諦めていた、狩猟生活の幕開けだ。
沈んでいた気分が高揚しているのがわかる。むしろ興奮しているくらいだ。思わぬ形で夢が叶い、異世界生活に希望が見えたのだから、無理もない。
小躍りの一つもしたい気分の狩夜であったが、首を左右に振り気持ちを落ち着かせた。今はお金や夢よりも、先にするべきことがある。そう、空腹を満たすのが先決だ。腹が減っては戦はできぬ。
「イルティナ様、お金うんぬんは明日でいいですよ。今は食事にしましょう」
「そうだな。メナドは村民の皆にラビスタを届けてこい。私たちの分の解体は私がやろう。カリヤ殿はここで楽にしていてくれ」
イルティナはそう言いながら立ち上がり、目の前の山から一匹のラビスタを片手で掴み上げた。一方のメナドは「承知いたしました」と頭を下げた後、持てるだけのラビスタを両手に抱え、足早で玄関を目指す。
席を立ち、台所へと向かうイルティナ。そんな彼女の背中を見つめていると、不意にある質問が脳内に浮かび上がり、狩夜は慌てて口を開く。
「あ、すみません。イルティナ様、ちょっと待ってください」
「ん? 何だ、カリヤ殿?」
「今日最後の質問です。この世界に、マンドラゴラという魔物は存在しますか?」
狩夜は、頭上にいるレイラを右手で撫でながら尋ねる。するとイルティナは、レイラを見つめながらこう言葉を返した。
「マンドラゴラ……カリヤ殿がイスミンスールにやってくる切っ掛けになったという、地球という世界の魔物だな?」
「はい」
「私が知る限りでは、存在しない。マンドラゴラという名を、私は今日初めて聞いたよ」
こう言い残し、イルティナは再び歩き出した。