136・伝説の勇者と創世記 下
奇襲同然の先制攻撃を受け、初めこそ後手に回った世界樹だが、精霊と人間の活躍、何より、世界樹自身が汚れた魔物の魂を浄化し、その能力を弱体化させるマナを放出する事で、邪悪の樹との戦いを次第に有利に進めていくようになった。
だが、戦いの終結にまではいたらない。なぜなら、邪悪の樹の周囲には、世界樹と同じく強力な結界が張られており、精霊も人間も近づくことができなかったからである。
双方共に決定打にかけ、不毛な消耗戦がいついつまでも続いた。そして、種族ごとに独自の文化が形成され、世界の至るところに人間の国ができあがるころ、長きに渡る邪悪の樹との戦いに終止符を打つべく、世界樹が動く。
世界樹の花が散り、次代を内包する果実が完成すると同時に、異世界より一人の人間を、このイスミンスールに召喚したのである。
そう、初代勇者だ。
初代勇者は、幼生固定された世界樹の種が埋め込まれた聖剣を手に、世界樹の三女神の一人であるヴェルダンディと共に聖域を飛び出した。そして、冒険の最中で心を通じ合わせた木の民の姫と共に数多の試練を潜り抜け、ついに邪悪の樹の根本にまでたどり着き、すべての元凶たる悪魔を、見事切り倒したのである。
生みの親である邪悪の樹を失った魔物たちは、とたんに大人しくなり、世界樹が放出するマナによって次第に弱体化。最終的には魂を完全に浄化され、ごく普通の動植物となんら変わらない姿へと落ち着き、神である世界樹から、共にイスミンスールで生きる仲間として認められた。
永遠とも思える邪悪の樹と世界樹、人間と魔物との戦いは、こうして幕を閉じ、世界には平和が訪れる。
これが、イスミンスールの創世記、第二章・人類誕生と、初代勇者の伝説。その概要である。
「まあ、邪悪の樹と魔物との戦いは、これじゃ終わらなかったんだけどね。アースの連中がやらかしたから」
アース。世界樹が八種の人類を創造する以前からイスミンスールで暮らしていた知的生命体。人に似て非なる者。
彼らは「我らアースこそが、この世界の正当なる支配者である」と考えており、後に生まれた八種の人類の事を、魔物と戦うための道具。戦う事しか能のない野蛮な存在と見下していたのである。そして、それ以上に恐怖もしていた。アースには、人間と違ってレベルも、スキルもない。彼らから見れば、人間は魔物と同じ、危険な力を持った化け物にしか見えなかったのである。
神である世界樹や女神、精霊にどれほど祈り、願ったところで、結果はなしのつぶてだ。神である世界樹と、その眷属たちは、よほどのことが起きない限り下界には不干渉を貫く。アースの疑心暗鬼につきあう理由はどこにもない。
このままでは、我々アースはいずれ人間に淘汰される。
魔物の脅威が去り、初代勇者が多くの子孫に見守られながら大往生した後、彼らは満を持して決起した。自らを【アース神族】と呼称し、切り倒された邪悪の樹と、その切り株がそのまま残されていたアースガルズ大陸の一角を占拠。全人類に宣戦布告したのである。
アース神族は、邪悪の樹の力を悪用し、魔物を量産。弱体化して平和に暮らしていた魔物の魂にも干渉し、凶暴化させ、力による世界の征服をもくろんだ。
そんなアース神族たちの野望を打ち砕いたのが、世界樹によって召喚された二人目の異世界人、二代目勇者である。
二代目勇者は、聖剣と女神ヴェルダンディ、そして、主に光の民の力を借りて、アース神族の首魁を打倒し、二度と悪用されないよう、邪悪の樹を跡形もなく粉々にした。
その後、二代目勇者はアースガルズ大陸に根付いた切り株も、大陸ごと消し飛ばすことを選択する。そんな二代目勇者と女神ヴェルダンディの説得も虚しく、全アース神族は、消えゆく大陸と運命を共にすることを選び、イスミンスールから姿を消した。
その後、魔物たちは再度マナによって弱体化し、再び世界に平和が訪れる。大陸一つと、アースという一種族を犠牲にして。
「この後はしばらく平和が続くよ。ボクのご先祖様である三代目勇者の活躍は、もう少し後だね。魔物が再度凶暴化するのは更に後。【厄災】と四代目勇者が出てくる少し前までは大人しくしてる」
「詳しいね。さすが良家のお嬢様」
木の民の姫であるイルティナと、ほぼ同じ説明であった。一国の姫と変わらない知識とは、大した教養である。
「これぐらいは嗜みさ。魔物とそうでない生き物の違い、理解してくれたかな? ボクたちと魔物とじゃ、そもそも起源が、魂の種類が違うんだよ」
「うん、ありがとう。ちゃんと理解したよ」
――納得はしていないけどね。
起源とする存在が違うのだから、人と魔物は生まれ持った魂が違う。一見筋が通っているように思えるが、どうにも腑に落ちない。
魂の違いだというのであれば、なぜマナは異世界人である狩夜にも適合する? いや、それ以前に、なぜ世界樹は魔物を弱体化させるマナという物質を、ああも都合よく精製し、世界に放出することができたのだ? 邪悪の樹がイスミンスールに根づいた直後であるにもかかわらず?
共に空――宇宙からこの星にやってきた二本の樹。
周囲に張られた強固な結界。生命を生み出すという共通点。
創造と破壊。方向性こそまるで違うが、ひょっとしたら、世界樹と邪悪の樹は――
「それにしても、邪悪の樹って呼び方はどうなのかな? 名前とかなかったの?」
自らの考えを確信に近づけるため、更なる情報を真央に求める狩夜。だが、真央は首を左右に振り、こう答える。
「あったのかもしれないけど、現代には伝わってないよ。考古学者たちは、名前を後世に残すのも憚れるほどに嫌われていたんじゃないか――って言ってる」
「そっか……それにしても、初代も、二代目も、やっぱりすごいね。本当に世界を救ってるもん。さすが勇者だ。名前負けしていない」
「うーん、僕は初代はともかく、二代目はあんまり好きじゃないな。本人はともかく、その子孫――ヴァンの一族がね……」
「ああ、アースと似たようなことをやらかして、三代目勇者と戦ったんだっけ?」
祖先の敵役なら、嫌っていて当然か。
「そう。自らを神、【ヴァン神族】と呼称して、【クリフォダイト】っていう特殊な鉱物を使って、世界の転覆を企てた。このクリフォダイトは本当に恐ろしい鉱物で、後の【厄災】にも――っ!」
会話を途中で止め、もの凄い勢いで後方へと振り返る真央。狩夜の頭上にいるレイラもまた、頭を百八十度回転させ、真央と同じ方向を凝視する。
感知能力を持つ仲間たち。その突然の行動に、狩夜は冷静に対応する。即座に気持ちを戦闘用に切り替え、腰のマタギ鉈へと手を伸ばした。
「なに? 魔物?」
真央とレイラの視線の先には、グンスラーの周囲に広がる密林がある。狩夜の目には普段と違うようには見えないが、何かいるのだろうか?
「……(ふるふる)」
ほどなくして「気にしなくていいよ~」と、レイラが首を左右に振る。どうやら、密林の中に何かがいたのは確かなようだが、その何かはグンスラーに足を踏み入れることなく、どこかへと消えたらしい。
狩夜はゆっくりと息を吐き、戦闘用へと切り替えた気持ちを、日常のそれへと徐々に戻していった。一方、狩夜と違ってまったく緊張を解こうとしない真央。深刻な顔つきで、密林を見つめ続けている。
「今のは……」
「真央? レイラは気にしなくていいみたいなことを言ってるけど、どうする? 気がかりなら、僕も一緒に森の中まで確認しにいくけど?」
「……いや、レイラちゃんが言うように、もう何もいないよ。いっても無駄足になるだけだ。でも……」
「でも?」
「……やっぱりなんでもない。ごめん狩夜、気にしないで。さあ、ご飯ご飯。いっぱい食べるぞー!」
気持ちを切り替えるように大声を上げ、宿屋に向かって再度歩き始める真央。狩夜は「あ、待ってよ!」と、慌ててその後を追いかける。
真央とレイラの感知に引っかかった、謎の存在。それはいったい何だったのだろう? 胸中でそう呟きながら、狩夜は真央と共に宿屋を目指した。