011・大開拓時代 上
昔、昔。嘗て繁栄を極めた文明の名前が忘れ去られ、一度はすべて暴かれた世界の形が再びわからなくなってしまうくらい昔。世界樹の聖剣を携えた勇者が、世界を滅ぼさんとする【厄災】と戦った。
八体の精霊と世界樹に祝福された勇者と、邪気の集合体である【厄災】。彼らの戦いは苛烈を極め、七日七晩続いたという。そして、八日目の朝日が昇ると同時に、勇者は【厄災】の胸に、世界樹の聖剣を突き立てた。
そう、勇者は【厄災】を見事打倒し、世界を救ったのだ。イスミンスールの崩壊は、勇者の手により阻止された。
だがそれは、世界中に構築された人間社会、それらの崩壊の合図でもあった。
【厄災】は死の直前、残された力のすべてを使い、全人類に呪いをかけた。その呪いは八体の精霊と、世界樹にまで及んだという。
呪いにより八体の精霊は封印され、世界樹はマナの放出を止めた。そして、人類は最強の武器を失う。
それは “レベル” と “スキル” であった。
経験と反復により、多少の差異はあれど誰もが超人へと至ることを可能にする、人類最強の武器。
【厄災】は呪いにより、その二つを人類から取り上げたのだ。
勇者の手により【厄災】は倒れ、イスミンスールは救われた。そして、その救われた世界に “レベル” と “スキル” を失った人類が残された。魔物という人類の敵が跋扈する、この過酷な世界に。
その現実に、人類は必死に抗った。だが、それらは一様に無駄な抵抗だった。
屈強な戦士に守られていた剣の国も、優秀な魔法使いによって守られていた魔導の国も、“レベル” と “スキル” を失った直後、瞬く間に魔物に滅ぼされてしまう。
“レベル” と “スキル”。この二つがなければ、人類は魔物に太刀打ちできないのだ。
時は流れ、多くの国が亡び、人類はその版図のほとんどを失った。唯一残ったのは、世界樹が根付く地、世界の中心たるユグドラシル大陸のみ。
人類はユグドラシル大陸に引きこもり、何とかその命脈を保った。大陸の外に生息する屈強な魔物に怯えながら、静かに、ひっそりと。
その後、人類の歴史は長い停滞を迎える。長い長い停滞だった。その停滞は永遠に続くように思われたが――ある日、小さな変化が訪れた。
とある猟師が森へと狩りに出かけたときのことである。一匹のラビスタが、友好的な様子で猟師にすり寄ってきたのだ。
ラビスタは、ユグドラシル大陸全土に生息する、弱いながらも縄張り意識が強く、好戦的で知られる魔物だ。そんなラビスタが人に好意を示し、あろうことか懐いたのである。
猟師はそのラビスタに愛着が湧き、家へと連れ帰った。そして、その日の夜、猟師は奇妙な夢を見る。
それは、白い部屋の夢。白い部屋に、自分と自分そっくりの人形が置かれている、奇妙な夢。
猟師は、そこでソウルポイントなるものの存在を知る。どうせ夢だと軽い気持ちでそのソウルポイントを使用した猟師は、夢から覚めた後、いつも通りの朝を迎えた。そして、ラビスタを従えて狩りにいく。
するとどうだろう。体が別人のように軽いではないか。猟師は意気揚々と狩りを終え、ラビスタと共に家へと戻った。その日の夜、猟師は昨日と同じ夢を見た。白い部屋の夢を見た。
これが切っかけになったかのように、ユグドラシル大陸の各地で魔物が人間に懐くという現象が頻発するようになる。そして、魔物を手なずけた全ての人間が、毎晩同じ夢を見るようになったと口にした。ソウルポイントという未知の力があると声を揃えた。
何かが起こっている。
各国は総力を上げて調査に乗り出し、ソウルポイントの研究を始めた。そして、ソウルポイントは、いわば魔物版の “レベル” であり、古来より魔物が使用していた自己強化手段であることを突き止めた。
打倒した相手の魂を取り込み、それを使って自身の魂に干渉、作り変える。肉体は魂の影響を受けるので、肉体は作り変えられた魂そのままに変質する。魔物はこうして自身を強化し、スキルを習得していたのだ。
魔物だけのモノだったはずのソウルポイント。しかし、魔物と心を通わせることで、その力は人類の手にも渡ったのである。
人類は狂喜乱舞した。ソウルポイントという “レベル” に代わる新たな武器を手に入れ、“スキル” を取り戻したのだ。しかも、魂に直接作用するソウルポイントは、若返りや、体の整形すら可能にした。手が届くのである。誰もが夢見る不老長寿に、誰もが羨む美貌、美体に。
人類は、久しく忘れていた欲望を刺激された。そして、その欲望は活力となり、人類の反撃の狼煙となった。誰もが未開の地に思いを馳せ、ソウルポイントの可能性に夢を見た。
魔物のテイムに成功した者は、我先にとソウルポイントで自身を強化し、ユグドラシル大陸の外を目指した。各国は新たに『開拓者』という職と制度を作り、それを後押しする。
そう、世はまさに――
「大開拓時代!!」
と、イスに腰掛けたイルティナが、右手を握り締めながら高らかに宣言した。狩夜は「お~」と感心した声を出し、胸の前で軽く拍手をする。レイラもそれに続いた。
場所はイルティナ邸のリビング。そこに置かれたテーブルにつきながら、狩夜は対面に座るイルティナの言葉に耳を傾けていた。
異世界人であるという狩夜の言葉を聞いたイルティナは、幾つかの質問をした後、狩夜の言葉をあっさりと信じた。ありがたいことではあるのだが、少々拍子抜けである。
イルティナいわく、この世界にやってきた異世界人は、狩夜が初めてではないらしい。
有名どころでは、世界の危機を幾度も救ってきた勇者たちだ。この世界、イスミンスールは、過去四度滅亡の危機に瀕したという。しかし、その度に異世界から勇者が現れ、危機を打ち砕いたのだとか。
だが、先ほどの話を聞く限りでは、四人目の勇者は【厄災】とやらに勝ち、イスミンスールを救ったとは言い難い。むしろ、最後に笑ったのは【厄災】の方だったのではないだろうか? 現にイスミンスールの人類は、今も困窮した生活を送っている。
そう、ここは異世界・イスミンスール。天国ではなく、異世界。魔物という人類の敵が闊歩する、過酷な世界であった。
――僕、本当に異世界に来ちゃったんだなぁ……って、感慨にふけってる場合じゃない。今は情報収集に徹しよう。
「あの、いくつか質問いいですか?」
自身の語りに興奮した様子のイルティナに向けて、右手を上げながら口を開く狩夜。するとイルティナは「かまわないぞ、何でも聞いてくれ」と言葉を返してくる。
「それでは遠慮なく。どうしてユグドラシル大陸だけが無事だったんですか? ここにも魔物はいるでしょう」
狩夜はイルティナ邸の床を、ユグドラシル大陸を指さしながらたずねる。するとイルティナは窓の向こう、彼方に聳えるあの大樹に視線を向け、口を開いた。
「それは、ユグドラシル大陸の魔物がとても弱いからだ。世界樹のおかげでな」
狩夜もあの大樹、世界樹とやらに目を向ける。
「世界樹は、呪われた今も必死に世界を守ろうとしているのだ。厄災の呪いにより、大気中にマナを放出することができなくなった世界樹だが、なにも能力の全てが失われたわけではない。世界樹は取り込んだ水を排出する際、その水に多量のマナを溶かしこむ。そして、水の流れを利用して、この大陸全土にマナを届けているのだ。この大陸の水はとても美味しいだろう? それは、水の中に多量のマナが含まれているからなんだ」
「へ~」
深く頷きながら声を漏らす狩夜。川の水がとてつもなく美味しく感じたのは、それが理由であるらしい。
「魔物といえど、水がなくては生きられない。マナが溶けた水や、その水で育った植物からマナを体内に取り込んだ魔物は、魂を浄化されて弱体化する。現に、この大陸の魔物は弱い。“レベル”と“スキル”を失った人間が、工夫次第で問題なく倒せるぐらいには――な。厄災から数千年、私達人類が今日まで生き永らえることができたのは、世界樹のおかげなんだ」
こう口にした後、イルティナは世界樹への感謝を表現するように、窓に向かって小さく一礼する。
狩夜は「なるほど」と頷く。人類存続の理由は理解できた。だが、一つ腑に落ちないことがある。
「ですが、イルティナ様。僕、この大陸でとんでもなく強い魔物を見たことあるんですけど。なんかもう、狩ろうと思ったら、武器を持った大人が数十人規模で必要になりそうな奴」
狩夜は、昨日遭遇した漆黒の四足獣を思い出しながら口を動かした。あの四足獣はウサギモドキ――ラビスタとは明らかに格が違った。レイラが瞬殺してしまったが、それはレイラだからできたことである。あのダンプカーみたいなのが、そう簡単に倒せるとは思えない。
そんな狩夜の言葉に、イルティナは真剣な顔でこう答える。
「ああ、それはきっと主だな」